ブログパーツリスト

  • presented by 地球の名言

« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »

2014年12月

絶望の果てに光がある

はじめは新聞記事から、間接的に知ったのですが。

ビクトール・フランクルというかたの存在・・・
じんわりと何か、伝わるものがあって。



フランクルが精神科医、ということで、紹介した
臨床心理士の諸富祥彦氏とは通ずるところがあるようです。
記事でのお話から著書をたどることとなり、その過程で
フランクルの言葉に出合いました。


・・・内容としては重い、とみることもできる、けれど、
人間の本質の部分にふれてくるような・・・

日常のなかで漠然と湧きあがってくるものについて、深く
書かれているのです。安易な考えにすりかえない、
目をそむけてはならない、そうすることによって、悩みや苦しみは
堂々巡りになってしまう、ということ。


極限状態のうちに生き抜いた人だけがもつ、透徹したまなざしが
そこにはあると思います。
明快な答えだけを求めるのなら、フランクルの言葉は不向きかも
しれません。それでも、じっくりと考えたり向きあったりすることが
可能ならば、かかえている荷物をどのように背負うのが良いかの
道筋は、自ら描きだせるのではないでしょうか。


読みかけでもあるし、伝えるにもむつかしさがあるので直に
読んでいただくのがいちばんなのですが、印象深い言葉を
紡いでいくことで日々の助けとなれば。


『我を忘れて誰かのために何かを行う。
 そのことではじめて人間は真の自分を発見するのだ』

・・・何かを思ったり考えたりする時に、決まって、自分のことを
意識しているわけではなく、むしろ、自分のことを忘れて何か
大切な人のことや、大事なことを考え、自分以外の何かや誰かに
向けて我を忘れている・・・

自らを乗り越えて世界に開かれているという意味の「自己超越性」
こそが人間の本質。他者や社会との関わりで生きることが自身の
認識にもつながる。


愛する人の存在にもふれています。

苦悩する人間を愛する人間に変えた・・・

このエピソードは、読んで、感じていただけたら幸いです。

愛する人への思いが人間を生かしていくのだということを、
その人への思い、その人からの思いこそ、あなたの人生に
意味を与える素晴らしいものであると。



いくばくかの経験から積み重ねてきたもののおかげなのか、
自身の内面では波立っていたこともあったはずなのですが
普段よりはしずかに過ごせていた気がします。

自分のとらえかたのクセ、人との関係性、価値観の変化、
心と体との対話、などなど、案外動きは激烈(!?)だったの
かな??

やめるという選択も、時折浮かぶのだけど、この空間なくすと
生命維持にかかわるという想いもあるので、おそらくそう簡単には
やめません。時が経つにつれ、書く状態も変わってきているから
言葉の数はより凝縮されていくと思いますが・・・


本年もおつきあいくださり、有り難うございました。
膨大な情報の行き交う時空でこちらまで来ていただけたことに
ほんとうに感謝いたします。
すこしでもお気に召しましたなら嬉しいです。

フランクルの言葉は、どっしりと自分の生をまっとうしたい
かたには有効と観じますから、ぜひおすすめしたいです。
よろしければ読んでみてください。

ビクトール・フランクル
絶望の果てに光がある 諸富祥彦 Yoshihiko Morotomi
KKベストセラーズ


来年もどうぞよろしくお願いします。
あなたにとって、新年が色彩ゆたかな一年でありますよう
お祈り申し上げます。

では、楽しいクリスマス、そしてお正月を!!


楪 蒼朋  〈ゆずりは そうほう〉










ブログランキング・にほんブログ村へ




〈ゆずりは書籍〉

『君はそれ以上~出逢い』  電子書籍について
http://blueaqua-gaia.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-63b7.html

文芸社書籍情報 『君はそれ以上~出逢い』
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-07035-3.jsp

『僕のたからもの』  iOS版
http://www.creatorsworld.net/ebook/mc01750119/

Android 版 『僕のたからもの』発売中
http://blueaqua-gaia.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-d531.html


心を込めてはぐくんだ思い出は、この先どんなことがあっても
あなたの支えとなってくれるはずです。どうしようもないほどの
苦難にぶち当たった時、心を込めて、その思い出を大切に
思い出してください。
《ビクトール・フランクル 絶望の果てに光がある》 より

 


 

ことば 文字 の あいだ を たゆたう

言葉が あたりまえにありすぎて なんだか その
有難みが置き去りにされている気がして 

何か違うのではと


通常 芸術とか 創造とかって言語をきいたとき
ことばや 文字を思い浮かべる人ってどのくらいだろう

話したり書いたりすることを 「つくる」とは
わざわざ位置付けてはいないかもしれない


そういう部分で 無意識に
言葉や文字について ないがしろにしてはいないかな



この前 新聞で 小椋佳さんのことばを見つけた
それを読んだときに 自分のなかでもやもやしていた
ものが つかえていた要因がなんだったかをぼんやり
かんじたような


小椋さんは 音楽や絵画などの表現が(最近は)大通りで
言葉や文章は裏通りだと話しておられた
さらに 言葉を失うということは考えなくなることだと

「人間は 言葉でものを考える
だから言葉を失うと 思考停止状態に陥ってしまう」


たとえば 絵画を鑑賞するとしても
ここにはこの色が と 色の名前を連想するだろうし
どういう画材かな と思えば必然としてその道具が
浮かぶよね

これが音楽であっても なんの楽器 といったこと
作曲者は誰であるか そうしたこともすべて言葉がもとで
ある程度は事象を認識している前提がある



識字率を考えなくてもいい時代になっているからそこまで
思わなくていいのだろうけれど 読み書きができない
その環境にない人が多かった時代のことを考えれば
読んで これは何 と物事を結びつけて そこから
これはこうなんだ と話したり書いたりして伝達できる
ということは 何にもまして 貴重なのだとおもうんだ


きちんとおもいをこめて 伝えられているだろうか
そのことば 自分自身の しっかりとした意味をのせて
生きたものとして発せられているだろうか



言葉は 放ったひとのいのちが宿ると 音が
波となって 場合によっては光に変わる それが
だれかを活かすことにつながることだってある



はじめから上手にできる訳じゃない
まねることから 学んで それを徐々に 自分のなかに
取り込んで 吸収して 昇華するところにまでもっていく

それらを 『振る舞い』というのだそうだ

『振り=真似』 『舞い』は自己表現の意味


自分なりの表現手法というか 出し方を模索していて

言葉 声 音 息 呼吸 色 文字 書

そのあたりのところであちこち漂流している



自身で書く 描く立場になってなおさら
小さな宇宙が気になりはじめ ことばの響き
意図するものが引っかかり


どうしても譲れない点や面ってあるんだよなあ



人にしてみればたいした問題ではなくても
どこかしっくりこない 調和していないという感覚

それはずっと 大切にしたい









 



にほんブログ村 ライフスタイルブログ ナチュラルライフへ



〈ゆずりは書籍〉

『君はそれ以上~出逢い』  電子書籍について
http://blueaqua-gaia.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-63b7.html

文芸社書籍情報 『君はそれ以上~出逢い』
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-07035-3.jsp

『僕のたからもの』  iOS版
http://www.creatorsworld.net/ebook/mc01750119/

Android 版 『僕のたからもの』発売中
http://blueaqua-gaia.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-d531.html

« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »