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2013年3月

あお の 意図 するもの

あおって、好きな色、だったかな?

子どものころはどうだったろう。

空や海のイメージ。だから、きらいではなかったと。
ただ、あかは単独でも好きな色なのに、あおはなぜか
あかと組み合わせて考えることがあった気がする。

そして・・・じぶんには合わない色、そう感じてた。

時を経て心と体のバランスを欠いたとき、
急激に傾いたのが、あお。

精神的な、とか感情的な、とか関係あるのかもしれない、
けどなんでそこまでになるのかわからない。
厳密にいえば、それまで遠かったはずの色がいきなり
近くなって、かなりとまどったのも確かだから。

地殻変動が起きてるみたいな感じかな・・・

わたしのしらないわたしが顕在化したのか、
ひとつの生まれ変わりが必要だったのか。

まわりつづける かざぐるま

ことこと かたかたかた くる くる くる くる

あれからずいぶん、色のちからや石のエネルギーに
助けてもらった。人との出会いもね。

こんなふうに生きてるじぶんは想像しなかった。

支えられてる・・・生かされてる。
生きていても、いいの?

ちゃんと愛してくれる、思ってくれるひとがいるのに
馬鹿な問いかけだってわかってるよ。
だけど、わたしはじぶんがどこかできらいだった、
なんで暗いの?可愛くないの?みんなと遊べないの?
どこにいたらいいのかわからずに。

誰かがそばにいて嬉しいことも、
誰かのそばにいて楽しいことも、

全然しらなかった、感じたことなかったんだ。

ただ・・・きらいだともがくその向こうに
せめきれないじぶんがいて、けんめいに
その領域をまもってた。

よくつぶされずにいたよね。

この数カ月、ふしぎなことがありました。
事象としては石にからむことなのですが・・・
ふっと思いがよぎってお願いをしたり、
いただいたりしたアクセサリーが、すべて
あおいものなのです。

石の指定はまったくしていません。
色のことも特に話題にしませんでした。

それなのに届いたアクセサリーは、
組み合わせや色合いなどもまるでこちらの
意識や霊気のようなものを読み取るかのごとく、
きれいにつくられていました。

わたしはわたしでいいんだよ
いまあるおもいも たいせつにしていい

じぶんのこと、正体不明でもきっと、
うれしかったんだ、あなたがそばにいてくれること、
あなたのそばにいられることが。

だから、あお、に還ってきた、
わたしがわたしでいきられる場処に。

この色の象徴するものにはさまざまなものがあるけれど、
いましっくりなじむのは・・・

信頼と安らぎ

なのかな。
信じることと愛することって通じてるとこのごろよく思う。
ゆらぎながらいるからいつもできているのか迷うばかり
・・・それでもここにいるのはすこしずつ、歩みを進めたい
からかもしれない。

ひとりではみえないものも わからないものも

ふたりなら感じられ 語ることができる

いのちのかぎり 成長を続けるために

あったかいものを育んでゆけるといいね


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和顔愛語



和顔愛語、という言葉をご存じですか?


文字をひとつひとつみていくと、いい感じだなあと
思います。


なごやかな表情で、愛情深く話をする・・・


正しくは、和らいだ微笑を顔に浮かべ、
愛情のこもった言葉を交わすという意味。

これは、平常心や心の余裕とも
つながっていきますね。


私はこの言葉に通じるものを、以前、あるかたから
贈られたことがあります。


けんめいに心身をととのえ、気持ちや状況を
言葉にしても伝わらず、どこを向いても
敵ばかりなのか・・・と心を閉じてしまいたくなる。

そんなときに、思うのですね。

愛語、自分がつらいときこそ誰かに語りかける、
心のこもった言葉を贈る・・・と。


それは、ささいなことかもしれない。
気に留めない人もいるだろうし、ほんの一瞬の
出来事でおわることも。

けれど、あるひとにとっては生涯の大切な宝に
なるかもしれません。


そうして天はまわり、魂が響き合い、
せかいは展開していく。


簡単なようで、けっこうむつかしいですが。

ただ、いま思えばいつごろからそうだったか
覚えはないけど、なるだけ笑顔でいよう、
暗い顔は見せずにいられるようにと願っていた
記憶はあります。

あんまり愛想なかったし(汗)


まあ、莫迦やなあと思いつつ、
笑ってるのがいちばんやといわれれば
「ほんまにそうか?」とちと思い、なんとなく
実践(どうしても笑えないときもあった)してたら
職場でよろこんでくれた人もいたし、お店で
スタッフさんが面白がってくれたりもした。

自分なんかの笑顔でそういう反応返してくれる
人もいる・・・

だから、私にものすごく素敵な笑顔くれたりした
ひとには涙が出たりもします。


生身の人間だから、感情の抑制ができないことも
もちろんあります。それでも、感覚フル稼働で
なんとか穏やかさを保ちたい。

自身がぐしゃぐしゃの精神状態だったときに
さりげなく支えてくれた人たちも、さまざまな問題を
かかえていたはずだから。



笑うって力が抜けるし、まわりもほぐれますよね。


和顔愛語が浸透してやわらかな光でいっぱいになり
とげとげしさが消えていくといいな。


緊張でこわばった面持ちの人と、
どこかふんわりした雰囲気を持った人、
どっちに道をたずねますか?

少々フキゲンそうな店員さんと、
楽しそうにニコニコしている店員さん、
どちらのレジに並びますか?


馬鹿かお前は!?といわれても
世間的テンポからかなりはずれていても
たぶん、私このまんまです、直らない。

親のお墨つきまで出ちゃったよ(笑)

そりゃ、翻訳するとあきれたかあきらめられたか
だったりして



大好きなひとにも特別な何かができる訳じゃない、
でも、いろんなことがあってもここにいるよ、
元気でいるよって、微笑んでいたいです。


和顔愛語のお話は、
『蓮は泥の中で育ちながら、泥に染まらない』(講談社)
にありますので関心もたれたかたはどうぞ。

天候くるくる変わっていますから調節しつつ、
おからだに気をつけて。

読んでくださってありがとう♪♪


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蓮は泥の中で育ちながら、泥に染まらない(二)

北河原公敬さんの著書から思うこと

∞感性って

「感性」に対して「慣性」、これ何だか分かりますか?

感性ということばで、芸術方面のことを連想しがちと
いうことなのですが、
外界からの刺激をその人の把握の仕方で感じ取る
ことが感性・・・なるほど、それなら誰もが日常的に
働かせている力ですよね。

文字からなんとなく分かるところもありそうな慣性。
こちらは
常に外から働きかけてもらわないといつまでもその状態にいる

感性が鈍くなっている、という話はあちこちで聞きます。
では、なぜそうなのか?
ここでのお話はいちいち説明とか注意とかを
大の大人に向けてやっている、そのことを誰もおかしいと
思っていないことが書かれていましたが・・・

要は考えない、感じようとしないことが当たり前になっているのかなと。

礼儀作法のように、こうするとまわりも良い気持ちになる、
所作が綺麗に映るといった自然な流れではなく、

ここは危険だからこうしなさい、ああしなさいと説明する、
表記する、

・・・もちろん必要なものもあるかもしれません、けれど、
そこまで先回りしなければ人は判断もできないのでしょうか?

マニュアルというのも、万能ではありません。
すべてを説明することは不可能です。

感情が引き起こすものをあらわすことができないように
自分の言動の根拠を言葉にするのがむつかしいように

だから、感性が必要になるのです。
こうすると次はどうなる?と想像し、予測できる危険は回避する。
仮に避けられないものだとしたら、それまでの経験などから
判断材料を引き出してくる。

人との間のことも同じです。
こちらが望む答えばかりは得られません。

自分はこう思うのだけど、相手はどうだろう?
立場や状況を、きちんとつかめていなかったかな?
こちらの気持ちを伝えるにはどうしたらいい?

これが正解ってことがないから、自己のもつ感覚を
総動員して自分と、他者と生きていくことになりますね。

∞はじめは

未知のものやことに接するとき、対するとき、というのは
緊張があったり慎重になったり。

そして、心が大きく動きませんか?

驚きとともに、嬉しさや楽しさが湧いたり、鮮やかな場面が刻まれたり。

これは緊急時にも強烈に意識されるようです。
とすると、どうやら常でないときの特殊な動きになってしまっている。

北河原さんは、震災時の人々の動きについて書かれていました。
多くの人が「何か自分にできることはないか?」と考え、さまざまな
行動を起こされたと思います。

その際、他人の存在が視野にはいっていますよね?

この配慮、日常でどのくらい感じておられるでしょうか。
何かと自分中心になってしまっている、と思うことはありませんか?

みんなが同じような暮らしをしている訳ではなく、
からだに障害があったり、病気をもっていたり、動くのも
同じようにはいかないこともあります。
すべての人は、同じ時間にあっても、異なるリズムのなかに
いるのです。

平時であってもそれぞれに事情がある、というのは何も
特別な話ではありませんから「こうなってあたりまえ」という
感覚を、見直していく必要がありそうです。

慣れきってしまうことも・・・危険をはらんでいますね・・・

外国のことわざにも
「慣れはよき味方であるとともに恐るべき敵である」
とあるのだとか

慣れたら疑う、とあります。
常に新たな心でいるような取り組み・・・
「本当にそうなのか」と疑い、改めて自分のしていることを
学び直す、捉え直しが必要なのだと。

疑う、ということに関して、ああ、そういうことだったんだと
得心がいった部分がありました。
それは猜疑心とは違う、矛先を自分以外に向けるのではなく
まず自分に向ける。

自分を、疑ってみる。

初心はどうだったの?

《はみだしメモ》
 初心、を「ういごころ」と読むと、けがれのない心のこと
 語源が「生み」、「産む」、生命の誕生に由来する言葉に
 つながります。
 

 日々、ささやかな生まれ変わりをくりかえすように・・・
 生まれたてのまっさらな心であれたら素敵だろうな

 参考文献∞『美人の日本語』 山下景子 著 (幻冬舎)

すこしずつ すこしずつ こころもからだもやわらかくなって

あったかくなって 笑顔になっていきますように

 


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