« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

オルゴールの音色

時折、音のない空間を思ったりするけれど。

無音はなかなかむつかしいね・・・
とにかくできるだけしずかに。

きらいになった訳じゃないけど、あまり音楽を聴かなくなった。

そうしてなんとなく。

・・・オルゴール、好きですか?

女性の場合は宝石箱のようなものと縁が深いと思う。

オルゴール館などもあるから、純粋に音を楽しむために
それらを求める人もあるかもしれない。

可愛らしいものを飾ることもあるよね、きっと。

私自身はそういう性分じゃないので飾り物もほとんど
持たなかったが、あるときふと思い立って、いくつかは。

歌やほかの楽器でだと好き嫌いは分かれるのに、
買うかどうかはともかく、オルゴールにメロディーをのせると
とたんに響きが変わって聴こえる。

CDでも、オルゴール音楽にのせていろんなものが
出ていますよね。

ディズニーやジブリ、歌謡曲

そのなかで、ジャンルとしてはラヴソングが多いかな?

・・・性格のわるさか深読みしすぎか・・・
ラヴソングって苦手なんだよね(汗)

ただ、考えようによってはかたちはいろいろあるし、
友達、親子、師匠と弟子、同志などの間にあるのもそれらと
通じるものがあったりするから昔ほどのアレルギー(?)は
なくなってきてるかもしれない。

それに、いかにもって曲じゃないものでも、
そこに誰が想いをのせるかでラヴソングになることもある。

・・・って誰かが言ってた(『遺留捜査』の糸村さんふうに?)

ジャンルはちょっと違うのですが、ある項目で検索をかけて
辿り着いたページに音楽CDがあったのです。
それはBGMとして流すのに雰囲気がよく、このなかにも
オルゴールCDがありました。

絵画好きへ向けたようなジャケットでもあったので(笑)、
たぶん買っちゃうだろうな・・・

これまでのスタンスからすると冒険領域なため、
かなりわくわくしてます。

・・・あれ?なんか糸と織物がみえた・・・

オルゴールの音色ってなんだか“紡ぐ”イメージなんですね。
(唐突にそのヴィジョンみたいなのが浮かんじゃいまして)

五感のなかでも視覚と聴覚って強烈なストレスにさらされてる
感覚が大きいので、そのあたりを中心にこころとからだの
メンテナンスをたまにはしてみては?

リラックスタイムをとることで免疫力も高まりますよ。

オルゴールにまつわる話・・・
ちょっぴり、あるかな。

聴きながらもし、あふれてくる感情や、なみだがあるなら、
それを止めないでください。
かなしくてもうれしくても、流すときが訪れているだけです。
自浄作用だと思ってくださいね。

そうすることで、ちからが湧いてきます。
次の一歩が踏み出せます。

時にはそうした波に、ゆうらり揺られてみるのもいいものです。


癒し・ヒーリング ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

蓮は泥の中で育ちながら、泥に染まらない

奈良 東大寺別当 北河原公敬さんの著書
『蓮は泥の中で育ちながら、泥に染まらない』

なぜか近年、蓮の花がとても気になるため、
新聞のある連載記事でこの本のことを知ったとき、
メモをとっておいた。

とはいえ、書かれたかたが雲の上のひとのように思えて
読んでも大丈夫だろうか・・・としばし。

先日ようやく本屋さんへ行く機会があったので。
相当うろうろしたのち発見、・・・別に検索機能使用しても
よかったんだけど、なんとなく自力で見つけてみようと・・・

そのおり、ほかの気になる著者さんも見つけ(笑)

よく見ると、すぐそばにあったのだ。しかも一冊。
・・・という訳で、これもご縁だと感じ、思うところを書いてみたい。

項目別でもいろいろ書きたいことはあるのだが、
なかでも宗教心に関して・・・教育との関連があるから
私の話ではうまく伝えられないかもしれない。
ただ、それは特定の宗派がどうとか、という問題ではなく、
心を養う意味での「情操教育」、というもの。

「世の中には尊ぶべきものがあって、侵してはならないもの、大切にしなくてはならないものがある。それには尊厳をもって接しないといけない」

そうした気持ちを自然と育てるような教育。
本当はかしこまってやることではなくて、生活に根ざしたところで
できていたときもあったのだと。
特別なことではなかったんですね。

ここで、長崎で起きた事件のことが出てきました。
小学6年の児童が同級生を切りつけて殺してしまった事件。
当時どこまで理解していたか私も記憶してなかったのですが、
このとき、加害者の子どもは亡くなった被害者について、
「生き返ったら、ごめんなさいと言って謝りたい」
と発言していたそうです。

生き返る・・・と思っている、それが現実に可能なら
どんなにいいか。
実際にはそれができるとすれば、虚構の世界で
語られるときのみ。

生と死について、よほどのことがないかぎり、ふだん考えることはないだろう。
まして身近で死を体感することがなくなってきている。

私が死を恐ろしく感じたのは印象がはっきりしているもので二度。
祖父と、小鳥の死に直面したときだと思う。
これも、その瞬間ではないので、そうならばもっと鮮烈なものだったかもしれない。

それでも・・・死ぬということが、現象が、途方もなくすべてを呑みこんで、時間も空間もその刹那、一気に崩壊した。

どうして、どうして?
笑っていたのに、話していたのに、
鳴いていたのに、元気にしていたのに、

・・・時間を、巻き戻して!!

どんなに願ってもそれがかなえられることはないと、身をもって
感じていかなければ死について理解をするのはむつかしいことだと思うけれど。

生きているということさえあたりまえに思っているから、
知らないこと、見えないものを想像してみたりもなかなかしないのでしょうね・・・

自分以外のものが視野に入らない。
つまり、他人は存在しないがごとく、世界がどうあろうとおかまいなし、な意識になってしまうとたいそう危険。

自分自身も含めてちゃんと心に留めておかなければいけないことがいっぱいあるのですが、本日はこれにて。

・・・たいていのことはやり直しがきく部分もありますが、
命はこの世でうしなわれたら、二度とやりなおしはできません。
そして、ひとつの命は多くの命に包まれ、たくさんの命に支えられて存在しています。そのことをおのおのが実感し、さまざまなかたちで伝えていかなくてはならないと思います・・・

天候が荒れてきているようです。
物理的にも身体的にも注意を要します。
病気やけがなどに、くれぐれもお気をつけくださいませ。

読んでいただき感謝いたします。


哲学・思想 ブログランキングへ

『僕のたからもの』についてのおしらせ

無事に、新年を迎えることができました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


楪は2004年に『僕のたからもの』を出版しておりますが、
この度、電子書籍としてこの本は生まれ変わりました。

昨年秋から新たな道を歩んでおります。

詳しくはこちらへ
    ↓
http://www.creatorsworld.net/ebook/mc01750119/

紙の書籍に関しても、流通はしていませんが在庫ありということで
少しお話をしています。
よろしければ次の記事をごらんくださいませ。

http://blueaqua-gaia.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-bd8a.html

なお、出版のおりに、アマゾンさんのページのほうに
ことばを寄せました。
時間は経過してますが気持ちはいまも変わっていませんし、
決して忘れてはいけないことだと思っています。

あわせてごらんいただければ嬉しいです。


これは、『君はそれ以上』のときもなのですが、書いたときと
出版してからで微妙な変化が生じるため、表現などの手直しを
いくらか行っております。
いちばんそのままとはいかないのが、あとがきにかえた文言(文章)。

背景が移っていきますので・・・

出版そのものも稀な経験ですし、あれからいろんなことが
ありました。
たくさんの人のお世話になり・・・直に連絡をとれないかたもおられますが、できるかぎり多くのかたに見ていただきたく。

ことばを綴り、伝えるために何かのかたちにしていくことは
大変な作業です。
気持ちを伝える術に悩んでいたわたしにこんなことができるとは思わなかったけれど、物語に託したものはいっぱい。
そこから何かをとらえ、感じてもらえたなら幸いに存じます。

 大切なものに気づいていますか?

 気づいているなら 抱きしめてください

 どんなに望んでも いのちは永遠ではないから

 この瞬間を精いっぱい

 


芸術・人文 ブログランキングへ

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »