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深いかなしみを知る者ほど微笑みは美しい

淋しさを知っている人間だけが、
笑って生きる楽しさも知っている

ある作品に流れる言葉、ということで
ご存じのかたもおられるかもしれない。

書かれたのは鎌田敏夫さん。

コラムで取り上げてらした内容にふっと気になることが
あった。それは・・・ユーモアの精神、というもの。

アメリカ映画特有の、笑いを忘れない精神。
そこが大好きだというところから始まっている。

マニアックではなく、職業的なものでもないが、
私はどちらかといえば洋画が好きである。
・・・原語はとてもじゃないが追えないのだけど、
字幕を追うのがわりと好きだったり、たまにワンフレーズ
中身を聴きとれるのが面白かったり・・・

もしかすると、その小気味いいユーモアにふれられることも
要因のひとつかもしれない。

「ユーモアがないということは、病に一歩近づく」

このことは、いま最も実感できている気がする。

根っこがガチガチで融通が利きにくい性質は熟知しているが、
それがすべてであればおそらくここにはいまい。

意識せずとも抜けている部分はあり、特別なことをしなくても
いつしか人が笑っていることにも気付いた。

無意識に体得している抜きどころ、さらにそこには
自身のDNAもからんでいると思わざるをえない。

また、「ユーモアの精神は、辛い状況に遭遇した人間の
足掻きの中から生まれてくる」ことに照らせば
心身が壊れる寸前にまで陥ったことで、そこから這い上がる
ための必須条件としてこの精神(能力)が試され、
強固なものとなったとも考えられるだろう。

鎌田さんの話のなかでは動物生態学の研究家の言葉が
引用されているが、かなり話が大きくなってしまうので
ポイントを記すことにする。

つまり・・・
悲劇的人間が人間よりも格が上の存在を信じてそれがもたらす
運命、神々、道徳律などと戦うことに崇高さを見いだすのに対し
喜劇的人間は、人間は動物とさほどかわらなくてどんな状況でも
まず生き延びることを考える

ここから考えると、人類が生き延びるためには喜劇的人間である
ことのほうが良いとされるようだ。

視点を変えるとこういうものが出てくる訳か・・・

思想や信仰、宗教などでいえば異なる意向もあるだろう。
けれど・・・極度な動きを回避するためにも生き延びる選択は
ありではないだろうか。

DNAのことは、鎌田さんご自身も書いていらしたが、
時折何かに行き詰まることがあったとき、両親であったり
祖父母であったりを思うことがある人は、意外と多いのでは
ないか。仮に、近すぎて駄目だとしても、身内のことが何もかも
分かっていると考えるのは早計であるし、自分を取り巻くのは
そこが全部とはいえない。

恐ろしいほどはるかな、先祖のことを忘れてはいけない。

その集大成である自分。
何が飛び出すかわからぬではないか。

自覚症状は悲観的でありつつ、両者の間を行きつ戻りつ。
生命維持のためにはひょろりと楽観的な妖怪が顔を出す。

そんな精神は、誰もが持っているのだと思う。

本気で泣けば本気で笑う

時には大声出して泣かにゃならん

思いきり笑う その日のために


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コメント

こんにちは。
ユーモアは、日本人には欠けていますね。
というか、「現代の」日本人には欠けているというほうが当たっているのかも。
私の好きだった芥川賞作家「北杜夫」(通称:どくとるマンボウ)は、去年死にましたけど、
晩年、
「私が人より優れていることをただ一つ挙げるなら、それは、自分が他人よりも劣っていることを自覚していることである」
と語っていました。
日本人も、もっとユーモアが欲しいところですが、現代日本は心の余裕なんて言っていられないほど忙しいので、そういう精神を鍛えるのも難しいのでしょうね。中にはユーモアあふれる話し方ができる人もいますけど、羨ましく思います。

ユーモアを形成する気候・風土というものも
関係してくるかもしれませんね。

日本も、大戦後の必死に生きている時代はむしろ
そうした抜きが必要だと意識していて、生活が苦しいなかにも
娯楽を取り入れるとか、しんどさを笑い飛ばす風潮が
生まれていたのだろうと思います。

私自身もそれほどユーモア精神に長けている訳ではないですが、どうやら親から受け継いだものだったり、恩師から教わった落語などの影響で知らず知らず間をとる、余白をつくるといった崩れないための術を身につけていたようです。

忙しすぎるからむつかしいだろうなと思いながら、
それでもほんのちょっぴり抜きの部分がつくれたら、と。

そのことによって思考に幅が広がると、ちがう方法も
出てくる。

自分もよく収拾がつかなくなることがあり、それを鎮静化する
ために記事をあえて書くこともあります。

何もしない、という手段を選択することもありますが・・・

対面していることできつさを感じるひとが、もしかしたら
ここでひといき入れられるなら。

特別なことまではできないけれど、ちょっとした避難所のように
なればいいなと願っています。

直接でも間接でも、やっかいな場合もありつつ
やはり人の力というのはあなどれないと思うので。

こうしたコメントからも、いっぱい助けていただいてます。

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