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祈るように。。。。

人間は耐えがたい苦痛や恐怖、衝撃を受けるとそのことを記憶から消し去る、もしくは自分のなかで書き換えを行って事実認識をあやまらせることがある、と聞いたことがあります。
それは、あまりにもショックが大きすぎるために「生きる」ことの防衛本能として働くものではないかと思います。

それと似た現象・・・
受け入れがたい現実が眼前にひろがっているとしたら、そのままだと生きてはいけない。
そんなとき、何かの支えがほしいと感じることはないでしょうか。

文章を書く仕事のようなものでなくても・・・書いていく、語っていくことによって少しずつ、気持ちの骨格のようなものができあがってゆくことは、誰にも起こりうることのように感じます。

同じ事例を何冊かの本から見た記憶があり、・・・とても切実な、痛い想いがはいりこんだのですが。
語られているのはお父さんの側からで、亡くなった20代の息子さんのお話です。
その息子さんはきっと、とても純粋なかたで、傷つきやすかったのではないかと感じました。・・・人としてあたりまえの感覚であるはずのものが、からかいの対象となりしだいに人のなかに入っていけなくなる・・・心を病んだ息子さんは自殺をはかり、11日間脳死状態の後亡くなるのです。
生前の日記のなかに、ある風景が書き記されていました。
「孤独な自分を励ますかのように」・「樹木」が「まだいるからね」と声を発する
・・・もちろん、実際に樹木が語りかけるわけではなく、けれど息子さんには「一人じゃないよ」と言ってくれているように感じられたのでしょう。この小さな物語によって自分を励まし、支えにしていた。
息子の想いを知り、父は・・・深い悲しみのなかで臓器移植のため、息子の腎臓を提供することになります。そのときの父が思い描いたこと、それは誰かに息子の「生命は間違いなく引き継がれたのだ」ということ。
現実では「死」であり、息子さんはもういない。けれど、命は引き継がれた、と「生」として置きかえている。そうすることによって、死を受け入れることができる。
これは、お父さんが必要とした物語です。

人はそれほど強くはありません。だから、助け合うことで乗り越えていかなくてはならないことも多い。・・・でも、ひとりひとりは別個の人間です。その人にしかわからない、誰も踏み込めない領域は必ずあります。故に、そこは自分自身で柱を立てるしかない。
そのときに物語の存在が浮かび上がってくるのです。

たとえば詩の一文が、音楽のフレーズが、やわらかな色合いが、風にそよぐ草花がかすかなよろこびを呼び覚ますかもしれない、大好きなひとの声や笑顔が涙といっしょにエネルギーを連れてくるかもしれない。

ひとりじゃ立てないよ、とたまらなくなったら手を差し出してみて
その手をちゃんと取れるように、差し伸べる手を
いつもタイミングが合っていなくても、何度でもくりかえし
そうして、人として生きてゆけるように

ささやかな想いをのせて 紡ぎ 織り続ける
いのちを 結んで つないで

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