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2010年11月

*魁皇さん 豊ノ島さん ありがとう*

昔ほどは観なくなってしまった相撲。
でも、最近、魁皇さんが気になってちらほらみています。

今場所(九州場所)はすごかったですね。

体調面ではふつうに取り組みができにくいほど、満身創痍といってもいい状態、それでも相撲を取り続ける。・・・いろんな思いもあるでしょう。

勝ち越しのことは気になりながら、怪我がひどくならないことを、無事に千秋楽を迎えることを、願ってきました。

九州場所での優勝がなかった、というのは知りませんでしたが、今場所はほんとうにしっかりと動けてらっしゃるように見え、頼もしかった。
優勝以上のものを今場所は得ることができたのではないでしょうか。そして、まわりにもちからを与えてくれた。

豊ノ島さんも、相撲界でいろんな問題が起きて、その関係で厳しい立場にも置かれた。
それを乗り越えて優勝争いにまで残ったのが、素晴らしいことだと思いました。

それぞれの立場で苦しい状況がありながら力士としての活躍を続けるお二人。
・・・なんだかとても嬉しくて、書いておきたくなりました。

書けなくなるかもしれない、と時折思うのです。
だから、調子はいいとはいえないながら少しでも書いておきたい。

紅い葉、黄の葉、・・・まだ、ありますか?
落葉がすぎると冬のおとずれを感じます。
秋は寂しい季節なのかな??でも、ちゃんと冬への橋渡しをしてくれる、色彩ゆたかな時季。
ひんやりした冬も、わたしはすきです。初雪はいつだろう・・・

風邪などにはくれぐれも気をつけてくださいね。
浮き沈みの多い楪ですが(微笑)
訪問くださる皆様、いつもありがとうございます。

おやすみなさい。。。。

子供の思い~それでも、生きてほしいのです

・・・このところ、学生さんの自殺報道が何件か続いています。
こうした記事をみるといろんなことを思い、考え、自分ならどうしたろう、どうするだろうと・・・

どのくらいの話ができるのかわからないけど。
「あなた」はいま、どこにいますか?
学校はつらい?苦しい?・・・そのことを、誰かに話せているかな?
話せていても、届いているかわからない?
話せていないこともあるかもしれないね。

「わたし」からはみえないけど、たぶん、「あなた」はとってもがまん強いのだろうな、と。
がまんしてがまんして、それがたえられなくなって、もうだめ、って思うのかもしれない。

たとえばお父さんやお母さんに心配かけたくなくて。
言っても誰もきいてくれない、とあきらめてしまって。

ほんのちょっぴり「あなた」の先にいる「わたし」にいえることって、なんだろう?
「わたし」もそんなときがありました。心配かけたくないのにそうなって、誰も助けてはくれない、と真っ暗になって。
ずっとそうなんだって思ってしまいます。考えられなくなります。でも・・・そうじゃないかもしれないよ。
「今日」は、「明日」になれば過去になります。そうして時は過ぎていきます。
自分のことをわかってもらえない、と思うことはいまもあります。消えてしまいたいと思うことも。「あなた」は・・・いまもし、自分を消してしまって、後悔はありませんか?やりたいことがあったり、大好きなひとがいたり、しませんか?
「今」はそうするしかないと思っても、時間がたてば、変わっていくかもしれない、ほんとうにたったいまの気持ちだけで全部決めてしまうの・・・?

記憶というのは、しだいに風化していきます。
「あなた」を傷つけた人たちがすべてそうだとは思わないけれど、悪いことをした自覚のないままだと、「あなた」がいなくなったらやがてそのことを忘れてしまう・・・

「あなた」の苦しみ・悲しみ・痛みは、「あなた」にしかわからないと、本当の意味では思います。でも、わかってもらえないかもしれなくても、少しずつ、まわりの人に伝えていかないと、同じような立場にいる人たちのことを誰も考えなくなってしまう。
学校に行きたくないと叫んだり、泣きじゃくったり、一生懸命訴えたりすることは決して恥ずかしいことじゃない。そうでもしなければ、どうにもならないときもあるのです。
ひとりで何でも乗り越えなくちゃ、どうにかしなきゃって、思わなくっていいよ。ちからがでないときには休んでいてもいい、無理に笑顔にならなくてもいい。

「あなた」がいなくなっちゃったら、「あなた」を大好きなひとは、そのつらさをわかってあげられなかった、止められなかったと悔やんで、傷つけながらずっと生きてかなくちゃならないんだ・・・

人ってね、いくつになっても誰かに助けられたり誰かを助けたりしながら生きていくものなんだから、たったひとりで全部しょいこむことはないんだよ。

何かが起きて・・・すごく感じる人もいれば感じない人も。
反応はさまざまで、どっちがいいとかわるいとかではありません。
ただ、すぐに解決できないことも多いから・・・いっぺんに、は思わなくていい。
この際、まわりの思惑は別です。

「いま、自分にやれることって?」

・・・動かない、もひとつの選択。沈黙する、というときもありかな。

すぐに効果がでるものではないけど、「わたし」がいま、ここにいるひとつの要因
「ああ、可哀相ね・・・で終わっちゃだめなのよ」
昔、こころのお医者さんからもらった言葉です。意図することはなんとなく感じたけれど、それで即何かが変わった訳じゃない。ただ・・・いまも、ふとした拍子に思いだす、どっかに引っ掛かってる宿題、みたいなもの。

生きているということは、常に自分のなかで、まわりで、何かが動いている、ということなのかもしれません。
みえないところでも確実に・・・
「あなた」のいる場処がとてつもなく暗いものに感じられているとしても、どこかで動いているものもあるように・・・歩みを止めてじっとしているときがあってもかまわない、「あなた」の命がつないでいけることを・・・

もしもピアノが弾けたなら

「・・・ピアノが弾けたらいいな」
そこにはいくばくか 純粋な響きがある

わたしの始まりはなんだったろう?
きっかけなんて何でもよかった
そういえる思い出ならいい
初めて鍵盤にふれた日や
曲をひとつ仕上げたときは
うれしかったのかもしれない

でも 大きくなってわたしは
気がつくとピアノがこわくなっていた
ほんとうに音楽が好きなのかさえ

「それしか取り柄ないの?」
というほどのものがあるのか
ほかに何も浮かばず
どうすればいいかわからなくなっていた

ピアノに罪があるわけでも
音楽がいけないのでもないと
わかっていたけれど

いつしか音楽もピアノも
遠ざけてしまった
そうしなければ苦しかったから

このごろやっと
近付ける気がしてきたかな
弾いていたわけじゃなかったのに
言葉が音符のかわりだったんだ
誰かに何かを伝えるために
どうしても必要で

痛かったけど
ピアノのことが浮かんでた

事故とか病気の後遺症で悩まされて
ふっと声が出なくなりそうになる

もし 声が届かなくなっても
文字や音符は届けられるかもしれない

子供のころのような純粋さは
もつことはできないとしても・・・
うまくできなくてもいい
わたしなりのかたちにして
伝えたい

音楽と文章がつながるものなのか
人によって感じ方は異なるとしても
わたしにはきっと
どちらも必要なのだと

じぶんでは無意識だったけど
生きるために 呼吸のために
ずっとそれは営まれていた
育まれていた

意味なんてわからないけど
答えなんて簡単じゃないけど
あなたに逢えたから

全然ちがっていても
どこかで ともに
人生を奏でられたらいいな

何処へ

・・・自分にとって大きな要素をもつものを考えていて、ふと浮かんだ・・・

音楽・映画・舞台・・・
そのどれも、ある程度時間枠のあるものと思われる。

対して書物はといえば、ページ数はあるものの、それを終えるためには各人がどのように向かうかによって動きが分かれていく。
うまく言えないのだが、受け手の働きかけは無論としても時間についての制約は、作り手が与えるものではない、という点で異なっているように感じている。
ほかの点でも決定的な違いがあるのだけれど・・・言語的に表現しにくいので「なんだろう?」と思われるかたは考えてみてほしい。

一冊の本を手にした人がその後どんな世界を体感することになるのかは、まさに千差万別ではないだろうか。
その本をきっかけに、同じジャンルの仕事をするとか、そこから知った別の分野に進んでゆくとか。考えてみれば、書物というのはある意味、先生のようなものだ。書いている人がどんな人であれ、自分とは異なる物事を体験している人である。それだけですでに「何か」を与えてもらっているといえる。たとえそれがはっきりと残るとは分からなくても。

本を手にしたら、次はどうするだろう?
著者に関心をもつ・著者の仕事をみる・人のつながりに着目する・・・
それによって、本から世界が広がってゆくのではないか?

本が、人を、世界をつなげていく

書き手になり読み手としての立場や想いも変わり、よりつよくそう感じるようになった。
・・・私の道のりはまだまだながいけれど。

最近、電子書籍にまつわる話題は多い。
時代の変遷でもあるから、あらがおうとは思わないけれど、私にはどうしても紙の本が必要であるという思いも大きく、・・・ひたすら存続を願うばかりだ。

そうした流れをくんで・・・一冊読み始めたのは『書物の変』(港千尋 著)

この本は印刷の歴史や文字の成り立ちなど、かなり細かい部分に話が及んでいる。
そうした記録媒体の今後・・・電子書籍のことも含むのだろうが、仮に百年後の未来に「現在」の痕跡はどのくらいのこっているのか?としよう。「過去」を読み解く素材があって、現在の歴史はある。しかし、その素材を読み解く技術がなければどうだろう?
つまり、「現在」を伝えるものをのこしたとして、そのデータを入れたものがきちんと「形として」存在しうるのかどうか。壊れる、劣化して読み解けないということはないのか?
…そんな悩ましいところも書いてある。

前にもこの著者の本にはあたっているが、当然ながら私のアタマで読み解ける、というものではない。いや、七転八倒しながら読んでいる、ともいえる。しかしながら・・・何故か読んでみたくなる著者のひとりのようだ。そうして、ここから広がろうとする世界を、じわりと肌で感じている。

一冊の本からアンテナがふれるのは一か所ではない。
故にそこから道を辿ってゆくと気の遠くなるような時間が必要だと思われる。
もちろん、すべてにあたるのは難しいだろうけど。

広大な宇宙に佇んでいるような感覚、もしくは
目前に深い森がある、そうした気配

『オレがこれから向かう場処は』

読み手であれ書き手であれそれは誰にもわからない、けれど、
はっきりしているのは、歩く道は自分で選ぶ、ということ

恐ろしくもあり、どこかで楽しんでもいる

近頃パソコンの環境を変えたため、さらに右往左往が激しくなった。
詳しい人ならたいした問題ではないだろうが・・・よくわからん、というのが感想。
もっともだからといって、動いている確率がそんなに上がるとは思わない。
私の場合は心身に及ぼす影響が強すぎる故だ。

それでも・・・ひとつ試みようとしたことがある。
どうなるかは不明だが、時間をかけて取り組みたいと思っている。

揺らぎながら・・・ひとつひとつ、たしかめるように歩む日々

増殖するメモ群・・・

ほかのところに意識が向いていたり、動揺していたりしたせいか、ここしばらくは本のデータを入れてなかったのであるが・・・いやたしかに、頭に入っていなかったこともあるかもしれない。
・・・集中力に欠けていたか?
しかし何故かこのところしばしばメモを取っている。もちろん、ある程度選別しながらではあるが。これも実は段階がある。

購入を視野にいれるか、検討を要するのか

それによって、手帖にまで転記されるものは限られてくる。

でもなあ・・・順位決定するのってけっこう疲れるのだ。
ちらほら書いた気がするけど、書籍というのは何しろ循環が早すぎるので、ベストセラーのような本でないと長く流通しない訳で。それも、数年くらい、・・・うーん、五年くらいあればいいほうなのでは??
だから、よっぽど上手に購入していかないと入手できなくなるし。

全部の本には無理だろうけど、できればじっくり付き合いたいと思うのだ。
昔のように財力や体力(?)がない、ということもあるけど、少々やっかいな症状持ちの自分としては、熱にうかされたような選び方ができにくくなってきたのかもな。

アホか、といわれそうな感じやけど、・・・自分にとっての本、というのはイコール人と変わらないのだ。生身の人間ほどじゃないとはいえ、ぶつかると場合によってはめっちゃしんどい。人に対するときも同じ。器用じゃないもんでね(笑)そんだけ手応えもあるというもの。

紙だからってんじゃなくて、一冊の本には大勢の人の、並々ならぬ気配があるからものすごく層が厚いで。それに向かうってことは、容易じゃあない。

そんなわけで、一度にかかえこめる、許容できる冊数はなんとかオーバーせずに選びたいのだが・・・ねえ。

『黒船前夜』・『旅の途中』・『火の賜物』・『日本文化のキーワード』・『数の魔力』・『武道的思考』・・・・・・

ここに挙げた以外にも山ほどある。まだまだ増えるであろうと推測する。
・・・どっから手をつけるよ・・・

近日中に数冊購入する本があるが、どのタイミングで注文するかはかりかねている私であった。

絶対音感

話題になったのはかなり前。
多少なりとも音楽にかかわる人間としては気になる題材である。

何故いまか?
理由らしきものはないと思うが、新聞のコラムを読んでいて「そういえば」と思ったのがきっかけ、か??
最相さんの本を読んでおきたかったのである。

「絶対音感」って何?・・・聞いたようなそうでないような。
物事は常に動いていくものだから、音楽教育の現場もずいぶん変わっているとは思う。
果たして、わたしが音楽教室に通っていたころにこの言葉は存在していたのか?

この能力、自然派生なのか後天形成なのか、よくわからない。
音の聞き分けであるとか調がわかるといったことは、教育によってなのか、能力が伸びたものなのか・・・あまり考えたことはなかった。それに、「わからない」人よりは「わかる」のだろうけど、周囲にはさまざまなかたちで天才的(目立たぬ努力をしている人も含めて)な人が多かったから、自分が特別だとは思えなかったし・・・

音楽は好きだけど、教育方針で枠に組み込まれることに抵抗があり、内部事情ですごくにがい体験をしたので、長い間、積極的にかかわりをもちたくなかった。
そんなわたしがここにきて最相さんの本を、と感じたのはおそらく読み手・書き手両面からの感覚が生じたこと、音楽へのアプローチ法を見つめなおす時期にきていたことがあったかもしれない。

結論から言うと、購入したがまだ読んでいない。
わたしが本を選ぶ際、目次あたりでほぼ決定するようである。
項目的には関心が高いのであるが・・・何せ手ごわい、と思っている。
持っているかたはご存知だろうが厚みがすごいのだ。それだけ緻密な取材をもとに書かれたものであると推察できるし、「気」が満ちている、迫力に圧倒される。

参考文献をはじめとしてひろい読みのごとく、時折ぱらぱらとページをめくってみるが・・・これだけでも相当多くの発見がある。
近年、音楽療法などにも関心が向いているのだが、おそらくこの辺にもあたるし、障害などの事象とも密接にからんでくると思われる。・・・参考文献にいたっては・・・購入時に驚かされた点があった。膨大な書物のなかから、であるからして。

ついさっき、またしても驚きの一文に出くわした・・・

こういうことがあるから書物めぐりは止められない、のである。

さて、この本については勢いで読んでしまうか、淡々と読み進めるか、それともどぱーんと波ありしいんと凪ありでゆくのか・・・いずれにしても最相さんの意気にふれる良い機会であるから、楽しみである。

『絶対音感』(新潮文庫) 最相葉月 著

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