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2010年9月

OH MY ゴースト!!

夏の様相から一変、暦通りの秋の表情になってきたようです。
しかしながらかなり天候が荒れているようなので、みなさま何卒お気をつけください。

さて、ひと月ほど前のお芝居。演劇集団スプートニク公演ということで観てきました。
日本だと怪談、というのはもっぱら夏ですが・・・オバケがらみなら来月ハロウィンですね。
お芝居の話となると行かれたかたには通じるけれど、感覚はさまざまだし、どーしよ??

というより、じぶんの言葉でどのくらい語れるかクエスチョンなのです。
けっこう、わたし個人としてはある意味厳しい側面がありすぎて(苦笑)

柱部分は、現実世界に幽霊がやってきて、なんとそれが「あなた」にだけ見える。
しかもその幽霊たちには現世に思い残したことがあり、それをかなえてほしいと懇願(?)するわけです。・・・でも、ふつうに考えればそれってありかよ!?だし、見える本人はもともと霊力なんぞ有してたわけじゃない。状況理解しろといわれても・・・そこに現実問題がややこしくからんでくるもので、はちゃめちゃになっちまう、と。

いや、ただどたばたってことじゃないんですよ。おおまかにいえばそういうお話、ということで。
ややこしくなるのはそこに人間の情とか業とかがあるから。
だけどね・・・描き方というのは映像だからできることもあるけど、舞台空間だからこそだなあと感じた物語でもありました。舞台での役者経験はないのですが、じぶんの物語と通じるところがあったりやはり生身の人間であるからわかる、と思えたりして。

この世から消えたら会えなくなるんだよね。。。

もしも、幽霊でもいいから会えるとしたら、誰に会いたいですか?
・・・ああ、もちろんそばにいるひとを大切にしなきゃいけないよ(笑)

わたしは母方の祖母ですね、母のおかあさん。
残念ながら生まれたときにはすでにこの世のひとではなく、きょうだいは「生まれてくる」認識があったぶん、ちょっぴりいいなあと思ったり、して。
じぶんが年をとったせいか、人の生死が間近にあるからか・・・亡くなっていても仮にあの世があるならばどこからか見ているのかな?と感じて。
娘である「母」のこと、「母」の家族、その子どもである「わたし」
どんなふうにみえてる?どう思ってる?・・・なんて聞いてみたいのです。

大変な時代を生きていたひとだから、いっぱい叱られるかもなあとは思うけど、子どもとしちゃ母親にいえない、いいたくないことってないですか?それが祖母なら素直に話せるかもしれない、という感じで。
祖父母と同居してる人がどのくらいいるのか、同居じゃなくても比較的ちかい(心理的に)距離にいられるなら、いろいろ話せるといいね。それって貴重な財産になると思うよ。

見えないものが見えてしまう、人とは何かが違っていることが決定的になったとき、そこには大きな葛藤が生じます。ほんとうはそれでも平気、ならいちばんなのだけど。
・・・ただ、平気ではいられなくても理解してくれる、しようとしてくれる相手がいれば・・・
そんな願いもこめつつ、わたしが描いたのが『君はそれ以上~出逢い』(文芸社)でした。

原案段階から数えるとおそらく七年はこえていますが、物語もあの世界の彼らも、そしてわたし自身もゆっくりと変容しています。
何度か書いているものもありますが、物語の情景を想起させるもの、影響を受けたであろうものを次に記します。関心がございましたらぜひ。

*絵画*
いわさきちひろさん、藤城清治さん、荒木幸史さん
*音楽*
アルビノーニのアダージョ、ショパン、小椋佳さん『デジャヴ~地中海の瞑想~』、鈴木重子さん『A Talk with the Wind』,『Silent Stories』、東儀秀樹さん『I am with you』
中島みゆきさん“旅人のうた”,“たかが愛” ほか多数
KinKi Kids“このまま手をつないで”,“愛のかたまり”,“春雷” ほか多数

・・・双子、ではないけれど、わたしのなかにはもうひとつの魂がともに在るのとおなじ・・・

数日前の満月前後でダイレクトに心身が反応しているようです。
人間も森羅万象のなかにあるからね。
おまもりのように、秋の空を思わせる、わたしにとっては新しい鉱石に出逢いました。
地球の石・・・来月あたりお話ができたらいいな

『命に過ぎたる宝なし』

じぶんが生まれた日は、どんな日だったんだろう?

そうしたことを思う、そんな時間はありますか?

その日何か大きなニュースがあったとか、何時だったのか、とか。
お天気はどうだったろう、とか。
まわりには誰かいたのかな?

よくいわれる大事なこと、とってもシンプルなようで、
実はむつかしいこと
・・・わたしもごく最近、そう感じているくらいだから
まだそこまで思わなかったり、あたりまえじゃん、と考える人もいるかな
それは、「信じる」と「愛する」

あたまでは理解してるんだけど、ほんとうにそうかな?って思うことはよくあるよ。
自信がない、ってことが極端に向いちゃうと、価値ってあるんだろうか、なんて考える。
それってじぶんが「信じ」られてないことだし、大切に想えない、「愛せ」ないことになるよね。
たしかにさ、ありすぎはまずいこともあるかもしれない。でも、他人や他者は少なくともじぶんとは違う人間だからわからないことがたくさんある。それに、じぶんにすらわからない部分だって有してる訳だから。・・・それ考えるとじぶんの理解者ってじぶん自身がならないと味方いなくなるでしょ?まずはね。

イヤなとこもいいとこも、両方あるやね。
それ、よしよしっていえるの、じぶんだけだよ。・・・で、そうしてるとイヤだーって思ってることが意外とそうじゃなかったりして「まあいいじゃん」って思ってくれるひともでてくるかもしんない。

「信じる」も「愛する」もじぶんから。
そっからじわ~っとひろがって、伝わっていくものなんじゃないかな?
わたしもいろんなひとからやさしさもきびしさも、あたたかさも伝えてもらってます。

『命に過ぎたる宝なし』、という言葉がすごく気になってこれを書いてます。
別のところで聞いた「価値があるから生きているのではなく、生きていることに価値がある」という言葉にも通じると思います。

あなたはいま、どんな場処にいますか?

明るいところ、暗いところ、・・・どこであっても、あなたのことをみているひとはいます。
想っている、そばにいたい、笑顔を待っている・・・
あなたが生まれたことを祝福する存在はあるのです。
人によっていろんなつながりがある、ふたおや、祖父母、きょうだい、ともだち、なかま、近所のおじさん、おばさん、なじみの店のにーさん、ねーさん

あなたが大切に想っているひともいるよね

あなたの命はそういうみんなに会うために生まれ、これからもっとたくさんのひとに出逢うためにあるんだと思う、・・・わたしもそんなふうに感じているから。

ただでさえ傷つけられる、と感じることが多いのだから、せめてじぶんを傷つけるのだけはやめようよ

おなじところにもうひとつ、伝えたい言葉がありました。
握れば拳(こぶし) 開けば掌(てのひら)

意味は、この後出典を記しますのでそちらを見ていただくとして・・・
文字からも、おおよそのところは想像できるのではないでしょうか。
(別の書物からご存じのかたもいるかもしれません)

わたしが感じるところを書いてみると、拳(こぶし)というのはじゃんけんだと「ぐー」。
そして、攻撃を意図するものでもあります。
対して掌(てのひら)は「ぱー」になりますね。ひらいて「ぐー」を止められる。
「ぐー」に「ぐー」だと痛くてケンカになっちゃうけど、「ぱー」だったらいくらかちがいますよね。・・・日常、これとおんなじだと思うのです。

感情のコントロールはけっこう大変ですが、両方でばんばんやってたら解決できるものもできない。・・・なので、ちょっと考えるとひょいと退いちゃったほうが双方のために有効なんじゃないかな?そうなると相手も「あれ?」ってことになって考える姿勢になる。
物事によってはかなり勇気の要ることでしょうが・・・

『手』が、やわらかさや、やさしさの象徴になったらいちばんいいんだろうな

空気の感触が、徐々に秋を伝えてきています。
それぞれにどのような夏をすごされたのかな・・・?
気温に差が生じると、反応が過度になることもありますし、疲れもみえる時季ではないかと察します。
しっかりとご自身をケアしてあげてくださいね。

わたしも・・・ペースおとしたほうがいいかな?
至らないところが多くてごめんなさい。

*参考文献*
『人生が変わる日本の言葉100 みんなのたあ坊の 握れば拳(こぶし) 開けば掌(てのひら)』 株式会社サンリオ 辻信太郎

大切なあなたへ。。。 いのちをありがとう

果たせない約束ならしないほうがいい
かえって傷が深くなってしまうから

でも よほどの不心得者でないかぎり
最初から違えることを意図などしない

ただ・・・ 遠くても近くても
伝えられない 伝わらないことも
たくさんある

だからわたしにできるのは
かたちをかえても
想いを届けること 伝えようとすること
それしかないんだ

特別なものなんて何もないけど
わたしはあなたが大好きだよ

たとえば欠点だらけだったり
厄介なものがあったり
心に深くて暗いものを
かかえていたりしても

わたしはわたし
あなたはあなたのままだから
ずっとずっと味方でいるよ

ちかくであなたを見つめてるからね

☆★心の鍵★☆
クリアクオーツ ローズクオーツ アクアマリン
蓮華 桔梗 桜 樹木 森 海と空
虹 赤と青 月 あかり ぬくもり 風
言葉 ねがい いのり 笑顔

名称や症例にとらわれず

見えないものを見ようする、想像してみる、「こういうことなのかな・・・」と意識を向けてみる、ということ、どのくらいありますか?

そんなに特殊なことではないのです。・・・たとえば、人の心、感情、思っていること・・・
これらは形としては見えないですよね。でも、体験としては誰もが日常もっていること。
そして気づくと思うのです。笑っていても心では泣いている、怒っている、怒っているように見えても泣いていることや、何かを訴えたくて必死になっていること・・・
自分自身も、大切なひとも。

心の病、という言葉が認知されるようになってどれくらいかな?
言葉ではひとことになってしまうけど、そこには無数のものが隠されているのだと思います。

お医者さんや研究をされるかた、というのは専門的な立場でそれらを検証します。まずはそこからです。それ自体はもちろん、重要。でも時として、その「立場」のみではどうにもならないこともある、ということを、真の意味で心得ておられるのかな、と患者の立場で思うことがあります。
患者は当然、専門知識がないことがふつうで、説明を受けても納得がいかないこともあるでしょう。そうして、専門分野であっても微妙に差異が生じるのも確か。扱いにくい患者に遭遇することもあるかもしれませんが、苦しみや痛みは、患者側からは決して偽りではないのです。知識の範囲をこえるものだとしても、それをありえないからと排除することはしないでほしい、と。

症例が少なく、ある種の病として認定されなかったり、逆に病名がついても症状の把握が追いつかなかったりすることもあるでしょうから、その辺は難しい部分も多いのでしょうね。  

ちょっと話しづらくなってきたので、ひとつの記事を引用します。
『言葉だけでは伝わらない苦しみを、うつ病の人は体験している。気分が沈み込むといっても、普通の沈み込み方ではない。胸が締めつけられるような、いても立ってもいられない苦しみがそこにはある。疲れやすさも、並大抵のものではない。何でもない動きをしただけで、身動きできないほどの疲れが襲ってくる。しかし、それは主観的な体験でしかなく、数値で表すことができない。そこにうつ病の苦しさがあることを、多くの人に理解してほしい。』
(慶応義塾大学保健管理センター教授 大野 裕)

日経新聞の夕刊に掲載されているとある記事の一部です。
ここに書かれているのはうつ病のことですが、これは違う症例でもあてはまるものであると思います。
病気であったり障害であったり心身に負った深手であったり・・・
伝えたくても伝えられない、もしくはどうしても口に出来ない、話したくないことってありますよね。

経験のないことを理解することはできないかもしれない。
けれど、心を向ける、添わせることはできるのではないでしょうか。

感覚的なものから入ってしまうのは、仕方のない側面もあるけれど。
人ってどうしても形のあるもの、言葉として説明可能なものから入っていく。
誰かを見るとき、外側から、その人を取り巻く環境、評価、うわさ話・・・
手がかりとして、なら良いけれど、それだけでは分かるはずないですよね。
そうしたことも、同様に。

見えているもの、事象だけですべては判断できません。
一をみて十を知ったように考えることには強度の危うさが潜んでいます。

・・・いくつになっても知らないことはたくさんあるのです。
まずはきちんと、人をみること。
仮に家族や友人であっても知らないこと、わからないことっていっぱいでしょ?
だから、会ったばかりの人ならもっとわからなくてあたりまえです。
なかなかむつかしいけれど・・・いろんな手がかりをもとに、この人はどんな人かな?いま、何を思ってる?つらそうだけど、どうしたのかな?・・・少しずつ、歩み寄れたら。

いつもそうあることはないと思います。自分がしんどいときも、ありますから。
ただ、さいごは人と人。全部わかることはなくても、何かを感じることでお互いの間に心地よい風が通るようになったらまわりにもあったかさが伝わっていくんじゃないかな。

そうあったらいいな、と祈りつつ・・・
私もまだまだ、まだまだ。。。

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