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2010年4月

愛について∞∞DAREMOGA MINNA TAKARAMONO

恋愛という言葉に対する世間的な、大半の反応が
僕は好きではない。
無論、それがいけないという意味じゃない。
ただ、極度に美化したり、逆に激烈なものだったり、という
ある種の枠、そこにアレルギーがある。
といって、自分はどうなのか、不明。

本来、人の数だけとらえかたが異なるものなのだろうが。

どこかで目にした詩で、
花の名は知っていても花そのものを知らないことがある
おなじように、「愛」という言葉は知っていても、
愛そのものについて、われわれは本当に知っているのだろうか
・・・たしかそんなことが語られていた。

歌い手さんや作り手さんの語る「愛」
そこにいなくては語ることのできない、重みをもつもの

けれどほんとうは、それぞれのなかに「愛」はちゃんとあるのだ。
そのことに気づかなかったり、思い違いをしていたりはするのだろうが。
それはきっと、自分のなかだけではいだくことはできない。
人を通して自己をみつめることでしか、育ってはいかない、
自身が「ひろく」、「ひらく」ことで成長するように、
愛になっていくのかもしれないと感じるようになっている。

僕は決して手垢のついていない、さらさらの人間ではないし、
真っ直ぐな奴でもない。
コンプレックスはあるし、暗かったり、厄介なものも
かかえていたりする。
わがままとか冷たいとか意気地がないとか。
それでも、「人間嫌い」よりは人間が好きでいたいと思っている。

だから、伝えるために、呼吸するために、・・・生きるために。
言葉を綴り、物語ることを止められない。

僕の物語を受け取ったひとから、思いも寄らないような言葉も数々いただいた。
自分が必死に伝えようとした想いは実は自身のなかでいちばん守りたかったもの・・・

それもひとつの愛だったかもしれない。

不器用で頼りない僕は たくさんの愛に支えられて
この世界でいのちを紡いでいる

∞∞∞∞

KinKi Kids “愛について”(最新アルバム収録曲:通常盤のみ)
『僕のたからもの』(新風舎)
『君はそれ以上~出逢い』(文芸社)
Shigeko Suzuki アルバム『LOVE』
演劇集団キャラメルボックス:成井豊さん

“すきなものをずっとすきでいる、大切に想う気持ちを忘れたくない”

walk on... 歩く、あるく、のしのし歩む

KinKiの最新アルバム六曲目より
(うしろにくっついてる尾ひれは心構えのようなもの)

お世話になっております、楪です。
この文字の表記はまだめずらしいほうになるのかな?
書き方はともかく、筆名定めたころ、ふしぎとこの名前に遭遇することが多かったのです。
表記は異なるけど、電話帳で調べるとご近所に「ゆずりは」さんがいると判明したときはそりゃ驚きました。

心理状態によるのか、少し前にテンプレート変えてみましたが。。。
ちょっぴり自分の原点にかえってる感じですね。

ちなみに楪は走るの遅いです。学校なんかだと走るの速い人ってスターですよね。
スポーツも得意とはいえないですが、わりと違う意味で(?)ちょこちょこぱたぱたしてます。・・・のせいか、唐突に消える・気配がわからない・いきなり現れる、などといわれることも(私ゃオバケかい??)。しかし何故か「走るの速いな」との言をもらったこともある・・・!?

『僕のたからもの』(2004年)という物語で自身の心象風景を映しているのかな?とふと思い至ったのは、本が生まれてずいぶん経ってからだった気がします。
もっとも、原案を書いていたときには「少し先には自分はもうこの世にはいないかもしれない」と感じてたから、思考する間もなかったのでしょう。本も、偶然の産物ではあったけれど・・・今考えるとあのときどうしてそんなことができたのか、よくわからないんですよ。

だから・・・みんながおなじように、そうなるとつよい言葉で伝えることはむつかしいけど、環境にとまどって苦しむ人も、天候に左右されて体調に難がある人も、ながい闘病生活をおくっている人も、誰もが何の問題もなく生きてる訳ではないし・・・きっとその状況もまったく変化がない、ということではないと思うんです。どこかですこしずつ、自力他力いろんなちからで動いている。

つきなみだと、思うかもしれませんが、とある科白をかりれば
「人は一人で生きてんじゃねえ。・・・想われて、支えられて、そうやって生きてんだ」
想われる、ということも優しさも、人によってあらわしかたが違います。
どんなに伝えようとしても伝わらないことも、あるかもしれないし、受け取る人が気づかないことも、あるかもしれない。でも、かたちはひとつじゃない、と知ってください。そして、届かないかもしれなくても、ほんとうに誰かが心に在るのなら、あなたなりの想いを育んでくださいね。

まるっきり技術なんぞないけど、バスケットボールは好きでした。
具合がよくないときでも試合がはじまると、自然にからだ動いてたしね。
物語描いてるときはほぼまっさらな状態にちかく、そのころの感覚がどっかではたらいてたと思う。・・・描くのやめると疲れがどっときてましたが・・・あとに感じたのは、ほんのすこしかもしれないけどあのとき、自分の立ち位置をつかむ大切さのようなものを無意識に刻んでいたのかな、と。

数え上げればきりがないくらいこりゃあかんのかな?と思うところはありますが、見方を変えれば「・・・ええかも?」と思えるところもあります。美輪明宏さんいはく、「大半の人はマル(○)の数え方が下手」なのだとか。
今日→明日→明後日と順に歩いていく、という基本は変えようはありません。
そのなかでどのように生きるのか。・・・よりていねいに、歩みを進めたい。

KinKiの曲も良い曲です。
歌うとなると詩がたたみかける感じなので、ちょっぴり発音しにくそうですが。
・・・舌かまないように(汗)

*Happy day*
影絵作家の藤城清治先生にお会いしました!
ひんぱんに作品展は行けないし、なかなかサイン会へも行けず・・・
ながかったですが、待ってたかいがありました。

これからも作品を楽しみにしております。
ありがとうございました。

『銀河鉄道の夜』の藤城先生の影絵はとても綺麗です。
ようやく辿り着きました。

聖人ではないから

いきものには寿命ってあるよね。
だから、みんないつかここからいなくなる。
「死」ってなんだろう?
それを漠然と知るのは、子供のころだろうか。
身近な動物や、近しい人をうしなうとき。
でも、自分のいのちを思うのは、もっと別なときだと思う。

ある時点までは他人事だと考えるよね。
生涯、実感できないこともあるんじゃないかな。
だけど思っているより近くにあるんだ、「死」というもの。
「自殺」って、痛々しかった。
それはいま、もっと刺すようなくるしみ、かなしみ。
決して他人事じゃないんだよ。
もちろん、その思いを知らなくてすむならそのほうがいい。
けれど確率は低いのだとしても誰かが・・・
何処かで命を落とし、また狭間でもがいているかもしれない。

自らの命を絶つのはいけないと、みんな知ってる。
はじめからそれを望んじゃいない。
ただ本人すら気づかないところで「何か」が大きくなって、
まわりにとっては突然にその日はやってくる。
ほんとうはさいごまで「生きたい」と叫びながら。

「痛い」とか「怖い」とかふつうなら、感覚があって、
容易にはふみきれない。そう感じる。
正常な判断をくだせるのなら誰も本当に死を選んだりしない。
思考は止まり、刺激すらわからなくなったら・・・
誰も、気にとめなくなったら。

様子がちがう、ということに、
本人も周囲も気づきにくいことはあるだろう。
でも、どんなに隠してもどこかに不自然な言動はみられる、という気はする。

できるだけのことをやろうとするのはわるいことじゃない。
だけど、すべてのことをしょいこんでしまうことはできないんだよ。
そうして、こんなことしたらいけない、言っちゃだめなんだ、としばりつけるのも。
だって人間ってそんなに立派じゃいられない、聖人ではいられないんだから。

病気でも事故でも、誰かが死んでしまったら、
「あのときそうしていれば」、「こんなことしなかったら」、と
のこされた人は思うんだ。責められることが何もなくても、
ほかに手立てがあったはず、と考える。
私自身、そしてまわりにもいろんなことがあって。
くるしくて、かなしくて、どうしようもなくて。
大切なものや大切なひとを傷つけて、壊してしまいそうでたまらない。
自分がどんどん暗くよどんでいくようでこわいんだよ。

かかえているくるしみやかなしみは、たやすくぬぐえるものではないと、
私なりに理解できます。どんなに、どれほど、どれだけ語っても、たりない、
どうしても誰にもいえないこともありますよね。。。。
自分自身にもわからない、もやのようなものが覆ってることも。
私も。。。何故だかわからないことがいっぱいあって、いいかわるいか一概に思えない。
ただわかるのは、自分が消えれば大切なひとのそばにはいられなくなる、
いなくなったら救えなかったと責めさいなむひとがのこされるという事実。

こんなにぼろぼろになっても想いが消えることはない。。。。
ごめんね、それでもすきなんだよ


音楽が、すきだったはずなのに、いつしか苦痛に思えたときがあった。
でもね、あなたがいたから。。。音楽に戻れた気もしてる。
わたしは言葉を綴るしか術がないけれど。

ほかとのかねあいがあるからたぶん、行けないでしょうが、
七月七日に奈良で、鈴木重子さんのライヴがあるようです。
“いのちのしらべ”。。。。
重子さんからも、いのちをもらった、と感じています。
もし、行かれるかたがいらしたら、感想などおきかせください。。。

和の思想 異質のものを共存させる力

この本知ったのは、たぶん新聞でインタビュー記事見たあとだったと思うのですが・・・
わりと早く購入してたのに読むのがおそくなっちゃったのです。
その間、ちがう場処で著者のかたちらほらお目にかかってて。NHKの「視点・論点」にも出てらしたんじゃないかな?

著者は俳人の長谷川櫂さんです。
新聞記事拝見したときにも「ああ、そういう考え方も・・・」とすごく納得したところがあったのですが、実際に本を読んでみてさらにうなずけるなあと。
といっても、自分の脳みそのレベルだと読みとけていない部分もまだまだありそう。
歴史的な観点から「和」という概念について考察されています。例示としていろんなものが挙がっていますが、全部書けないし、私の話術では十分に伝わらないと思うのでちょっとだけ。

季節としてもちょうど、の桜のお話。
春になるとお花見も盛んになりますね。
さて、そのときの桜の印象ってどんなですか?
色、たたずまい、形、桜ときいて思いつくもの・・・

これは私もはっきりしたことを知らなかったのですが、現代でふつう桜というと染井吉野が主流ですよね。ところが、こちらはのちにつくられた人工品種なのだとか。
植物はいろんな条件に応じて品種改良はつきものだからそれ自体はめずらしくないのかもしれません。でも、染井吉野があまりに広まりすぎて、ほかの種類の桜が知られずにいるのも惜しいことだし、そも原点は何か、がわからずにいるのは淋しいなあと。
なかなかイメージしにくいだろうとは思いますが、むかしの和歌や俳句で詠まれている桜は染井吉野ではなく、山桜なのです。植物図鑑などでも確認できるとは思いますが・・・山桜は太古の昔から日本列島に自生する桜、いわば野生の桜であるということ。

染井吉野と山桜のちがいについても大まかにいえば、染井吉野は薄紅で山桜は白い、ということなのですがもっと深く知りたいかたはぜひ本を読んでいただきたい。
私は「山桜は色とりどりの糸で織った錦のように見える」、と書かれた一文が印象にのこっています。やはり和歌や俳句に詠まれるくらいだからとても繊細な風景が織り込まれているような花といえるのではないでしょうか。

桜の花にまつわるものとして、もうひとつ戦争とのかかわりも書かれています。
それはいわば人間がかってに位置づけた、花には何の責任もないものでしょうが・・・
もてはやされたり、うらまれたり、ものいわぬ桜の木はいったいどんな想いで人々を見つめているんだろう、とふと感じました。
人の一生はながくても百年くらいだけど、傷ついたり病気になったりしなければ・・・生命がつながれていけば桜の木はもっとながい年月を生きる。そう考えるとずいぶんたくさんのものを見つめていくことになるんですね・・・・・・山桜と話せたらいいのに(微笑)

新たな一歩を踏み出されるかた、いろいろ大変なことも多いと思います。
私はごろごろと(?)転びまくっている奴ですんでこれといって良き話はできないですが、ひとつだけいえること。
くれぐれもからだは大事にしてください。
ほかも重要だったりもするでしょうがぶっ倒れてからでは修復しづらいこともございます。
他人はあなたのことをほとんどかまっちゃくれません(一部を除いて。・・・これもわかってもらえるよう努めるしかないですが)。なので休養はしっかりとって、ひとりでどうにもならなくなったらすみやかに助けをもとめられるように。・・・いちばん勇気いりますがその「一声」が発せられるよう備えてください。全部が敵ではなく、ちゃんと何処かに味方はいるはずだから。

そういえば「エイプリルフール、四月馬鹿」というフレーズをどっかで見たな。
馬鹿、というにもいろんな意味合い、思い入れがありそうですが・・・
考えようによっちゃ自分も四月馬鹿だな(爆笑)

本日は私のウルトラグレイトマザー(そんな言語が存在するかは謎)の生誕日にもあたります。
いえね、何と表して良いやらわからない、的確な言葉が浮かばないものですから・・・
なんていってるとお叱りを受けそうな気もしますが堪忍してくださいませ(合掌)

気を引き締めて参ります。

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