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2010年2月

雨のあとに

・・・雨が降っています。
しばらく休むつもりだったのだけど、少し、書いてみようと。

新聞を見て知ったのですが・・・倉嶋厚さんの『やまない雨はない』が映像化されてるんですね。実話をもとに映像化されるたびにいろんな思いが交錯するのですが、今回いちばん複雑かもしれない。

物語として成り立たせるのに演出は必要で、わかりやすくもしなくてはならないのは理解できます。そのために、事実と異なることがさしはさまれるということも。
けれど、やはりそれはさしさわりのない、きれいなだけの話になってしまうこともあるのではないでしょうか。まして似たような体験のない人には現実から遠いことだとしか思えないかもしれない。そして、逆にその直中にいる人にとっては「そんなものじゃない」と感じることもあるでしょう。

ただ・・・今回のことに限っていえば、良い面にも目を向けてもらえたらと願います。
それは、うつ病というものを深い意味で知ってもらう、ということ。それによって治療に役立てたり、理解を進めてもらえたりできればと・・・

社会的にうつ病の認知度は上がってきているのかもしれませんが、個々で反応のちがいはあるし、おおまかに括る、ということも非常に危険だと思います。それに、病や症状がちがっていてもさまざまなかたちで苦しむ人が多いのも事実です。みえないものだから、本人にも説明できないし、周囲の人が「わがまま」とか「なまけてる」とか考えてしまいがちなところも見受けられるのではないでしょうか。

私自身、そうした者のひとりです。誰にもわかってもらえず、苦しんでいました。
いまも・・・どうしようもなく恐ろしくなるときがあります。
倉嶋さんへはお手紙を書いたことがありますし、『やまない雨はない』も拝見しました。
これからまた、何かのおりにお手紙を書くことがあるかもしれません。
私にとっては・・・ひとつのよりどころになっています。

人はいつかこの世からいなくなるけれど・・・願わくば天命をまっとうしたい。
雨のあとには何があるんだろう、と思うこともありますがたとえ真っ青な空がみえないのだとしても、かすかな光がみえたら。たとえばそれがこころにともった灯りでも。

書き直さなきゃいけないかな・・・
心臓がくるしくなってきたのできょうはこのあたりで止めます。

時々、思い出さなくてはいけないこと。
大切なひとのこと、たいせつに思ってくれるひとのこと。
“あなたにもし大切なひとがいるとしたら、そのひとにきちんと、どれほどじぶんが大切に思っているかを伝えてください。そのことで生きようとの思いがつよくなることもあるのだから”
・・・ふと、どこかでそんな言葉を見つめてました。

どうか 生命の泉を消さないでください

あるとき私は活字が読めなくなった 身体的な異常は認められないはずなのに 視る・聴く・読む・書く・触るといった感覚が機能しなくなった 立っていることも座ってからだを起こしていることもままならず 自分に何が起きているのかわからなかった

物事が発生するときには複合要素がある だからそうした状態に至ったことにもさまざまな要因があった そこから回復してゆく過程もおそらく 薄紙をはぐような速度なのだろう

どちらが先だったか憶えていない ただ揺り返しも度々おとずれる恐怖のなかで かろうじて心身を保たせているもの それは私の場合「読み書き」である どちらにも「紙」が密接にかかわっている

たしかに便利や簡易であることは良いことかもしれない。
でも、そればかりが先行してしまうと大事なことが抜け落ちてしまう気がする。
五感というのは(プラス人智をこえた能力)厄介事もかかえつつ、形成され、あるいは派生するものではないだろうか。

私が憂慮していることは、紙の本がうしなわれてしまうことである。
自分自身が機械にうといことも関係しているが、心身に欠如が生じて以降さらに紙の本に対する思いが深まった。・・・なければ窒息しそうなのである。
世の常で少数のものは抹消される事例が多いが、人間はそうはいかない。
そして、たとえわずかであってもその「何か」がなければ命にかかわる、という事例は多数派に属する場合は気づかないだろうが実はそれほど少なくはないと思うのだ。

紙の本について私が語るのはたやすいことではないので、新聞記事から言葉をいただきたい。日経新聞にあった記事から。
「本は読めれば十分ともいえるが、それだけではない何かがある」
「持つときの感触、ページをめくるときの音、紙のにおい・・・・・・」
<画家の司修氏>
これについては同感である。・・・私自身はやはり、内容(中身)からも感じ取れる著者の気配のようなもの、でもあったりする。また、以前も書いたが一冊の本には職人の魂がこめられている。その「熱」のようなものを含めて人の「体温」が感じられるのは紙の本ならでは、という気持ちになる。

専科の脚本家・演出家といったものではないけれど、物語の作家という立場においてそういったものの見方のようなものは体現しているかもしれない。
不思議と原稿用紙やダイアリー、便せんほか紙の素材と接していると心が和らぐ。
意識などせぬまま自らの中心を探りあてていたということ、だろうか。

・・・話が得意だったなら、全部が伝えられていたとは思わない。明るい性格だけがうまくいくというのも違うだろう。昔であれば、そんなに何かを伝えたいとは考えなかった。
決してきれいな人間ではないし、闇に入りこんでしまうことも多いけれど、たわいないことでも何故か話したいひとがいつしか現れたから・・・たぶん、幸福を祈ることができるよう私は書くのかもしれない。

紙の本は私という大地に水を与えてくれる。
装丁家の菊地信義氏のような矜持のあるかたにはどう映るのかわからないが、私なりに紙の本に対する敬意は有している。無論、生きてきた環境・経験・年限や価値判断に隔たりはあるだろう。それでも、どんなに未熟であったとしても紙の本のなかで育ち、これからもそのなかで生きてゆくのだと思う、まして魂のない、意をのせることなくものを語り、紙の本へ託すことなど私には到底できない、ゆるされない。

さして人生経験豊かとはいえない立場ではあるが・・・
自己の内省が必要となったとき、真の意味で自身を愛せるきっかけができ、そのとき何かに、誰かに対する情愛が芽生えているのかもしれない。
そして、伝えたい想いから、再生がはじまってゆくと感じている。

可愛くも切ない。。。。

調べものをしていたら、渡辺あきおさんの絵に遭遇した。
たまたま出先で見つけて、かわいかったからポストカード買って帰ったことあったっけ。
ひところ渡辺さんの絵を探しまわったこともあったな。
たくさん知ってる訳じゃないけど、渡辺さんの描かれるねこたちの風景がじんわり・・・
一見するとまず可愛らしさがあるのだけど・・・じいっと見つめていると胸がちくり、といたむ。まあ、人によりけりだろうね。
ねこにかぎらないけれど、たまに「人間」以外のものになりたいと思うことはある。

澤田直見さんの描かれる世界も好きです。
こちらもふとした偶然で知りました。・・・すごく、そのときの自分の心にすとん、と降りてきた感じだったなあ・・・
ご存じのかたには言うまでもないでしょうが、“うさかめのふたりごと”って自分にとっては心象風景みたいなとこ、あるんですね。

そんな風に感じながら『君はそれ以上~出逢い』のことを想う。。。。
彼らは自分のなかに、そしてこの世界で生き、生命を吹き込まれていく。
・・・すべてを信じられなくなって望みを絶たれてしまうとしても、いのちあるかぎりあきらめたくない・・・

∞∞∞∞

『君はそれ以上~出逢い』
楪蒼朋 
著 文芸社より発売中

★物語のイメージアルバム
  KEI OGLA 『デジャ ヴ~地中海の瞑想~』
  
SHIGEKO SUZUKI 『LOVE』

★感化されているもの
  KOICHI DOMOTO 『mirror』
  ENDLICHERI☆ENDLICHERI 『Coward』
  演劇集団キャラメルボックス作品
  演劇集団スプートニク作品
  KinKi Kids 『J album』<通常盤>


「オレが翔のこと認めなかったときだって翔は黙ってそばにいてくれた。オレのこと見すてなかった。・・・・・・なのにオレには離れろって言う。世界なんて本当は関係ないんだ。オレにとっては翔のとなりにいられることのほうが大事なんだよ!!!」

 『君はそれ以上~出逢い』 第二章 時空のはざまで より

深呼吸の時季

いろんなことが、めまぐるしく移り変わっていきますね。。。

変動というのは世の常だし、きょうの自分とあしたの自分はどこかが違う。
ついていかなくてはならない「変」もあれば、それでなくても生きていける「変」もあるかもしれない。

以前の仕事では毎日のようにおびただしい数の文書が飛び交い、データ入力に追われ、息つく間もなく過ごしていました。そうした職種のかたも多いと思います。
ただ私はそこですでに対処ができなくなり、心身が正常に機能しなくなりました。
何度も職場に戻ろうとしたけれど・・・あのままいけば確実にここから消えていたか、廃人同様になっていたと思います。

記事の更新速度はおそらく、これ以上はアップできないでしょう。
世の流れにそったものでも面白い話題でもなく、細々と生命をつないでいるようなスペースですのでどうしても更新がまばらになってしまうのです。
もし、楽しみにしてくださるかたがおられたら、ごめんなさい。でも、投げ出さずに続けるために、ペースを保つ必要があるのです。

周期として波がある、というのはわかってきたので調節はしていますがうまくいかないときもあります。自分ではどうすることもできない痛みが襲ってくることも。。。

ゆるゆる、とことこ、はたはた、・・・そんな感じの歩みですが、その時々やれることを精いっぱいと思ってます。
冬っぽいかと思えば春めいてみたり。季節もなんだか落ち着かないですね。
なかなか育てるのがむつかしい花の鉢があるのですが、ようやく花芽から花びらがはらり、とのぞかせ、気温の変化でふんわりと咲き始めました。

心も、こんな風だといいな。

花をじいっと観察してて気づいたのですが、花芽の根っこに水玉がぽつ、ぽつあったのです。たぶん、水蒸気が液化して、球状になったものかな?
花らしい姿になってから、家人と花に話しかけていました。もちろん、会話として成立してるとは言い難いでしょうが、花にはきこえていたのかも。そうして、花どうしでおしゃべりをしてた、その証が水玉。・・・生きてる、呼吸してるんだ、と思うとすごく嬉しくなっちゃったんですね。

社会生活を営んでいると、自身の生命すらかえりみなくなりがちですが、時折人間以外の生命のあかりに意識を向けてみることも・・・呼吸するために大切なことかもしれません。。。。

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