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2010年1月

さんさん もくもく ぽつぽつ ざかざか さやさや

冬らしい日、春のような空気。。。。
いそがしく天候が移り変わっていますが、
みなさまお元気ですか?

いつも前年どうだったっけ?と思うのですが。
まあ、原始のちからを呼び覚まして
なんとか乗り切りたいものです。

アナログ式ですので世情だったりネット社会だったりに
まるっきりついてゆけず、すぐに疲労するというやっかいな性質。
お世話になってるかたのサイト訪問もままならず、申し訳ないです。
こちらに来ていただいているかたには感謝しております。
たくさんある空間からここのスペースに立ち寄っていただけるのですから。

すこしでも楽しんでいただけてるといいな。
お茶飲んでひといきいれる感覚でおこしください。
ぼーっとする時間でも良いですよ。

現世(うつしよ)においては、そう・・・年寄りはたまた小童(こわっぱ)!?
いずれにせよ修行していかなくてはならないのでぐらぐら揺れます。
はて、不動になるには何年かかるやら??

目下、精神修養のため天然の風情いっぱいの写真をながめております。
書物としても歴史とか天文とか信仰とかの学びになるかな。
ちいさきものである人は、やはり、ときおりひろき場処へ還ってゆく必要があるようです。
深い森や海をわたる風を感じられるような。。。

ことしも自分のペースを探っていきます。
どこかで、自己をみつめる時間をとってみてください。
それは苦しいときほど不可欠な時間です。
あなたをこわさずにいられるのはあなた自身にほかならないのですから。

笑うこと 心配なこと へこむこと 泣いてしまうこと
いろいろだよ でもね
嵐のあとにはしずけさが戻る 風も吹いてくる
それとおんなじだって思うよ 人間もね

カラーひよことコーヒー豆

『カラーひよことコーヒー豆』

・・・果たしてうまく発色しているか??
いや別にカラーではじまっているから、という訳ではないのだが。

読書家および本好きのかたはご承知だと思う。
ずばり本のタイトルである。
何かこれだけでもインパクトないすか?

私が最初目にしたのは新聞広告でして・・・「ん?」
白黒だったけど、表紙も面白そうだったんでまず確認。
場処:都内某書店。とてもカラフルな装幀が目を引いた。
むっちゃ可愛いので楽しみにしようと購入はのちに。

まあ、ほとんど小川洋子さんのエッセイということでポイント高かったのだな。

なんと一日で読了しましてん。(速読を推奨しているのではなく・・・あくまで自分の速度では珍しかったというだけで。もっと速い人もいるだろうし)
読んでくうちに、項目ごとで「あーそうかー」だったり「小川さんでもそういうのあるんだ」だったり。んで、私のようにちいさきものでもいいのかなあ、みていてもらえるのかな、と妙に安心できたりした部分もございました。

こまごまと書いてると、これから読もうとしているかたの楽しみをとってしまうのでこちらでちょっと考えたこと。
カラーひよこではなかったが、「ひよこ売り」は子供のころ来ていた。正式に何と呼ぶのかなぞ不明なのだが、周期的に学校の前に出現していた記憶がある。・・・昔も今も変わらず飼えないとわかっている生き物を見るのが苦手で、そのころもぴよぴよなく声のみ耳にしながら足早に校舎に消えていた。考えてみると縁日の金魚などもそうだが・・・ほぼまともに育てられる確率は少ないような気がする。子供の興味をひくための商いといってしまえばそれなりの効果はあるのだろうが、生き物側の立場とすると・・・大変だね、ホントに。
本質的にはこうしたことを通じて「生きる」ことや「命」について知るようになっていくのだろうにな。童謡の歌詞やルーツなどを調べるとある種残酷なものが含まれるのと無関係ではないと思う(昔話や童話についても同様)。

以前ここで書いたかもしれないが、サラブレッドにも残酷な宿命がある。
競走馬としての資質や立場・・・いろんなことがあるのだが、走る姿を見るたび複雑な気持ちになるのがそのたたずまいである。400キロ、500キロある馬体をあのきゃしゃな脚が支えているのだ。そして彼らは立ったままでいるのが普通である。つまり、立てなくなることは命にかかわる重大事。そのことを知ってから、レース中の故障が発生することが、その馬が苦しむ姿を見ることがとてつもなく恐ろしくなった。・・・骨折はほとんど見込みがないため、即「死」を意味する。苦しまぬよう、安楽死の処置がとられるというけれど・・・
これに関しては言葉が継げない。

話を戻そう。
私がこの本を、と思ったきっかけはたしかに小川洋子さんのエッセイだったから、だった。
では、決定打は何だったのか?
帯文にある

ダイジョウブ!
あなたのことを見ていてくれる人が
きっといます

オビが場合によっては変更になる時期などもあるかもしれない、けれど、このなかには祈るような想いがあふれていると感じた。

昨今、自信のつけ方や持ち方についての本も見受けられるが、ビジネス書・スピリチュアル書しかり、多くの場合長くはもたない。極度に高飛車になるのも落ち込むのも考えものだし。でも、そのくりかえしでもいいと思うのだ。とりあえず、ひとところにとどまってしまわなければ。同じようにみえて、まったく違わないということはおそらくない。もっといえば、自分自身が存在すること、これがすでにものすごいことなのだから。

私は自信がない。自信をもてないが、それでもなんとか生きている。
しかしながら「自信がない」ことの根拠、それは他との比較から生ずる。
そも「自分」と「他者」は別であるのに数値化するようにくらべられるか?
まして私を信じてくれるひともいるというのに自分が信じられんとは何事・・・!?
とまあシンプルにできないのが人間だったりするけど。
でもな、全然そんな気せんわって思っても「ダイジョウブ」っていってみる。
たまに人から「ダイジョウブ」って声もらうと嬉しかったりする。
・・・じゅもんみたいなもんやと笑ってためしてみいな、くりかえし、な

いつか旅立つその日のために

君はいま何処にいる?

誰にも苦しみを打ち明けられず、
ひざをかかえているだろうか
もしかしたら、大切なひとをうしない
悲しみにうちひしがれているかもしれない

自分の存在を、のろわしく思ったことはあるかい?

そう思ったからといって、責めることはないんだよ
君のまわりにも、たぶん
同じようなひとがいる
ただ、そのことに気づかずにいるか、
気づかないふりをしているだけ

生まれた日・時間・環境・家族
みんな違うんだ
同じじゃなくって当然なのにね
僕もそうだけど・・・
人間はどうして比べたがるんだろう?

生まれたときから傷つけることも、
傷つくことも避けられはしない
だけど、傷を深くせずにする術は
あると思うんだ、それは君しだい、
そうして僕もね

もともと人間は非力なものなんだ
けれど、なんとかしなきゃ、って
生まれるちからがある
それぞれのひとが異なる役割を担って
生まれてくるんだと思うよ

たしかに、遺されるのはつらい
遺していくのも、きっと
それでも何処かで道は分かたれる

誰かの犠牲のうえに自分の命が成り立っている、と
思いたくはないし、そう思ってほしくないってことも、ある
でも僕は・・・時折、身代わりなのかもなと考える
よくない考えかもしれないけどね
ただ、そうした側面も有しつつ、僕は僕であり続ける

悔しかったり泣きたかったり怒りたかったりすれば、
その感情はおさえなくていい
だけど、自分もまわりも傷つけてばかりじゃいけないよ
お互いがいっしょにいられる時間は限られているのだから

人生のシナリオはすでに書かれているかもしれないし、
これから書くものかもしれない
いずれにしてもできるかぎり後悔のないように・・・

哀しみの海に呑まれても 一瞬の輝きのために

∞ kokoro no oku ni ∞

 Life Song 『 J album 』より
 “風のソネット” KinKi Kids

BLUE MOON∞∞∞稀にある。。

このスペースを内在するようになってはじめのころに少し話したことがあったかもしれない。

ご存じのように、月という星は周期的に満ち欠けをくりかえしている。
詳しい人ならば状態による名称・呼称のようなものも多く知っていると思う。

おおよそひと月は30日と考えるとそれより多い月、少ない月が一年を基準にするといくらか発生するわけだが・・・通常はひと月一度、満月の日がある計算になる。
ところが、時を刻んでゆく過程でどこかに満月が、ひと月に二度出現する現象がある。
この月を“ブルームーン”と呼ぶらしいのだが・・・度々起こることではない、ということから英文のとある言い回しで「めったにない」という意味があるのだとか。
いくつかの方面から私もこれを知るに至った。

・・・ところで。
2010年1月1日が満月だったということはご存じだろうか?
ちらとニュースなども流れていたようなので知っていたかたもおられるだろう。
そうして、たまたまみた情報で記憶違いでなければ今月、たしか30日が満月となっていた。すると“ブルームーン”では・・・・・・

確認できていないため、ちがっていたら申し訳ない。

何気なく、ごく自然に、刻まれてゆく時のなかで思いもよらない出来事に遭遇することがある。
月の満ち欠けが自然界に及ぼすものにはかりしれないものもあるが・・・
月齢を特に意識せず生きてきた私にもさまざまな変化がもたらされているのかもしれない。人も自然界の一部であると同時に宇宙を内包する存在でもあるのだから。

あなたにとって月とは、どのようなものとなっているでしょうか?

<計算上、15日は新月となっている、はず・・・>

Thanks! Φ演劇集団スプートニクの旅Φ

誠に勝手ながら、私信のごとく書いてみます。
・・・ちゃんと公式ブログあるんだからそっちに書き込みすりゃいいんですが。
シャイなのさ、わし(泣笑)

おそらくご本人たちが見ることはないと思われますが、演劇集団スプートニクのメンバーに向けて何か書きたいなと。
たまにブログのほうにおじゃましてみてますが・・・ヨンくん、よく書いてますね。
なので書き込みしてみようと思いながらできないまま(汗)
同様のことはズイくんにもいえるのだ。・・・いえね、「あーそれわかる」ってことがけっこうあるし。
なにゆえそこまで書けんのか?といえば予備知識がほとんどないことも関係している。
まあねー、面と向かってじゃ無理でもネットとかならOKって人もいるでしょ?しかし駄目なのだ。ううっ、ごめん~~!(涙)

実際のとこどーなってるかわからんのだが、こーゆー状態の反動で(?)アンケートのようなものだと奇妙なテンションになってしまう、ので書いたものを「もし」見てらしたら「・・・奴か」と得心いただきたい。
2009年は公演がふたつで大変だったのでは??
観る側の人間としてはよろこばしいことでしょうが・・・おつかれさまでした♪♪
舞台は「生きる」ということに直結していると思っているので、できるかぎりは観たいのですが、さまざまな事情からめったに接することができません。そのぶん、これは絶対はずせないという基準は私なりにあります。そこの中心が、スプートニク。
めったなこっちゃ話できんのでここで堪忍くだされ。

重さんは普段もそーなんですか??言葉がばばっと出てらっしゃるんでスゴイ人や~と観察(?)してます。ハルくん・・・そう、ねえ・・・印象が毎回かわるんで「ぎょ!?」っとしてます。君の正体何やねん!!(爆)彼とちがった意味でいろんな風貌もってるといえば、座長のたけさんだな。・・・まあ、わしゃ俗世はなれとるんでようわからんのだが、物言いには気いつけよ。世間では言論というものに異様に反応する輩もおるようじゃからのお(笑)

「生きていく」ことはまさに「旅していく」ことであると痛感するが、夢のような、それでいて「つくりごと」のみではない現を垣間見るような、演劇という場処。
そこは別の、私の棲処ともなりつつある。

余談だが2009年の有馬記念ではドリームジャーニーという馬が優勝している。
・・・なんとなく、次への橋が架けられた感じがしないだろうか?
同一空間にいようとそうでなかろうと、魂(ココロ)はスプートニクに向かっていると思っている。
みんなにとっての2010年がさらにHappyな一年であるよう、祈念しております。

年が変わるたびに僕は

新年を迎え、皆様どのようにお過ごしでしょうか?
どうにか2009年を乗り越え、2010年へ。
走るもよし、歩くもよし。
ささやかでも飛躍できたらと思っています。

私自身もそうなのですが・・・
くれぐれもご自分を大切に。
そうでなければ誰かに、何かにやさしくするエネルギーは湧いてこないから。

****

<発売中の書>

『君はそれ以上~出逢い』 2009年7月 文芸社より

2005年に新風舎から発行されたものに加筆・修正をいたしました。
原案はほぼ一年かけて書いたものです。

「アメリカであれば内気であることは病気にされてしまう」
という記事をどこかで読みました。しかしながら、内気であれなんであれ、強烈に集団において異質と判断されたものを排す動きはある意味この国の風潮だと思われます。
友人に以前、個性の話でアメリカ向きだといわれたこともありますが、部分的に「そうか」と感じても実際にはかなり宙ぶらりんな立場のように思えています。
・・・それでも生きなくてはならない。

私はもともと話し上手ではなくいわゆる「口下手」に属している人間です。
といって抜きんでてなにか出来るわけでもない。ここにこうしていられるのはまわりにかろうじて受け入れてくれる人材があったから。多くはないけれど、密度は濃い間柄でいられる。よくよく考えれば私個人の後天的な変化もあるとしても、両親(ふたおや)やきょうだい、親戚や先祖といった血縁の築いたものによって形成されている部分が多い。
やはり、そのことには感謝しなくてはならないと思います。

文章についても決して得意なのではなく、特別な経験はもっていません。
話すための補足にさえなっているのか不明ですが、伝えるためにはまず書かなくてはならない、たぶん、そのあたりがきっかけだったのでしょう。

物語はいわば私のなかに息づく声を花束にして贈るようなものだと感じています。
・・・ほかに、浮かばないから、なにかが出来るとしたら。

『自分って何者?』
『まわりのひとはどう思っているんだろう?』
『大切なものは・・・?』
『生きているってどういうこと?』

そうしたことを考えながら読んでいただいてもいいかもしれません。

∞∞∞∞

・・・あの日。それが一瞬だったのか永遠の刻(とき)だったのか。
とうにあちらの世界へ逝ってしまったはずだった、のではないかといまも思う。
真っ白な世界から次の瞬間にみた光景は何だったろう?
ものすごい衝撃と、音。あれだけのことだったのに振り返ると嘘のような・・・

もしかして、僕を飛ばしてくれたのか?
声をきいたわけじゃない、でも、あまりにもすさまじい状況だったから。

・・・じいさまが呼んだのか?

あれから十五年、かな。いろいろあったよ。
生きてる時代だけじゃなく、じいさまからすると嘆かれそうな気もするけど間違いなく、じいさまの血を受け継いでると実感するときがある。・・・笑うかな。
けど僕はじいさまと話したかった、ちょっぴり霊感とかあればいいのにな。
ドロップアウトしたり、家族がふえたり・・・守りたいものもあるって気づいた。いまだったら少しむずかしい顔しながらでもじいさまは笑ってくれるんじゃないかって思ってる。

まだまだ成長できてないところは多いし、欠点も目立つ。それが正しいとは言い難いこともあるだろう。だけどすべてでなくとも自分をいつわることはしたくない。
ようやく歩きだすことができたのは「あの日」を通ってきたからだと思うから。
僕は、後悔していない。

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