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言葉ある風景

記事として書きたいと思う題材はあるのですがどこから手をつけてよいやら・・・
あわてずにぼつぼつ、とは思っています。

・・・心身を基盤に考えなきゃならんからな・・・むつかしひ(汗)

ごひいきにしている街の本屋さんへ行けないものだから、耐え難くなってご近所(一応)に一冊、仕入れをお願いしました。思ったより早く届き、Skip~♪
それが、『言葉ある風景』(祥伝社黄金文庫)。小椋佳さんの本です。

実は単行本が発売されたとき読もうと思ったんです、・・・が。
たまたま外出先で見つけて手に取った途端、「こりゃあかん」
「あかん」かったのは本ではなく、自分の心理状態。
ちょうど先生にしかられた生徒のような面持ちで、無論しかられてはいないですがそのときの精神状態では難儀だと感じたんですね。
強烈な揺れに悩まされてるころ、だったと思うので。

きっかけは久しぶりに小椋さんの公式サイトにおじゃましたことから。
文庫になっていることを知らなかったから、これはいい機会だなと。

単行本の発行が五年前の六月。というと、私が初めて出版した『僕のたからもの』と同時期だったんですね。こちらは無名ですけどそうしたささいな偶然が嬉しくて。
文庫本のほうは二年前の六月ですが、こちらもちょっぴり。

ひといきに読んでしまうのはもったいないのでゆっくりと。
おおまかにとらえたのちに少しずつ読んでいますが・・・なるほど、「ううう」とくるように
痛いですわ、ぐさぐさきてます。日頃の勉強不足が身に染みるう~~!
世代的な差はもちろんですが、これってちゃんと知ってなきゃいけないんだろうなあって。
かなり思い違いの是正はしているのですがそれでもまだまだ・・・

ただ、言語の面では当然「恐れ入ります・・・」が多いのですが、性分として、人として共感(などというと生意気なのでしょうけど)して妙に親しみをいだいてしまう側面もあり、よかったー!!と驚喜(?)しているところです。

しかしながら、言葉というのは年代だけできちんとあつかえる性質のものではありません。
自然に入るものもあれば意識して取り込むものも。自分のものとして発語するためには理解し、咀嚼したうえで消化しなくてはならない。・・・この段階ふんでないとすぐに忘れるんですね。意味も大事だけど、「伝える」には話し方や言葉の選び方も重要。
何かが欠けてしまったとき、とんでもない誤解を生むこともある、そこが言葉の恐ろしさでもあると感じます。

私は詩人ではないし、歌い手、演じ手、描き手・・・そのどれでもない。
けれど気持ちのなかではどの存在にもなりうるかもしれない、と考えてます。
誰でも話し方や声を変えたり、相手や場合によっていくつもちがう表情(かお)があったりするでしょう?極端なものはともかく、それが自然だと思うのです。
でも、私も少なからずそうなのですが・・・性格的になかなかうまくゆかない人もいます。
人前に出られない、声が出せない、話が下手、表情がとぼしい・・・
年令があがってから気づいたのですが、多少のちがいはあっても思っているよりたくさんの人が、こうした状況で悩んでいるのです。だから、自分ひとりじゃないのか~って思えれば楽なこともあるかな??・・・すぐさま解決できることばかりじゃないけどね、ひとりじゃどうにもならないからまわり巻き込んであがいてますよ、私も(苦笑)

言葉に頼りすぎると落ちてしまう穴もあるけれど、やはり「はじめに言葉ありき」だと思うのです。じょうずでなくても、おかしくなってもかまわない、まず伝えようとしてみる。
・・・おそろしさに途方に暮れて沈み込んでしまうこともある、何もききたくないと耳をふさいでしまうこともある、それなら出たり引っ込んだりでも良いんですよ、ふつう(平均的)にしてても疲れてしまうこともあるのですから。

きっと誰かが(全部じゃなくても)わかってくれると信じたい、よな

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