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2009年8月

職人の集合体 ≪『君はそれ以上』格闘記≫

『君はそれ以上~出会い』(新風舎)
2005年8月発行




『君はそれ以上~出逢い』(文芸社)
2009年7月再刊

*こちらのほうは、最寄りの書店さんでも注文はできると思います。
配本されているお店もあるのでしょうが・・・動向はつかめないですし、入荷の判断は書店さんの裁量になるので。
書いた者としてはすこしずつでも注文が入るといいな・・・といった感じです。
只今、友人・知人プラスアルファへ告知活動展開中∞

♪♪♪♪

朝晩ずいぶん涼しくなりましたね。
なんだかこの半年はかけあしで過ぎてった気がしますが、相応に充実していたかな・・・
各方面にはごぶさたしてしまっています、楪(ゆずりは)でございます。

しかし、こうしてみると・・・出版自体(形態が変わって点数が増えたとはいえ)まれなことであるにもかかわらず、ごく数年の間にこんなふうに動くなんて驚き。
自分の書いたものが本になるっていうのは私のような人間には奇妙なもんです。
無論、うれしいけどね。・・・だから、ながくなが~く生きてほしかったんです。
そうでなければきっと、本にはしなかった。

残念ながら国文科や関連の学科はレベルが高すぎて落っこちましたが、一応は文字や文章にはこだわりがあります。才のあるなしは別です(汗)
・・・なので、背伸びするでなし、そのときの出せるちからで言葉と取っ組んでました。
黙っていても言葉が降りてくることもあれば、書いてみて「やっぱ違う」と思い、
「こいつやったらこうは言わん」とか「こんなことせんな」とか感じて、人物が乗り移ってるような、それを天上からみているような、不可解な感覚にとらわれたものでした。
まあ状態としては自身のつかみがたい恐怖も含まれていたのかもしれませんが。

そんなあやうい状況の(!?)奴が書いた原稿でしたから、編集作業は大変だったと思いますよ。もちろん、誤字や脱字には注意を払ったし文章の書き方も大まかに勉強(?)して、言語の用い方や設定もある程度説明はつくようにしていたんです。
それでも相手は専門家。校正の学習を少し積んだくらいの人間とは訳が違う。
予想通り、「こりゃ突っ込みが来るかも・・・」と覚悟していたところはしっかりクエスチョンが入っていました(・・・鋭い。恐れ入りました)。
→この指摘箇所については、倉嶋厚さんの著書に助けていただきました。。。

とにかくもう、どうやったらわかりやすく伝えられるか、こちらの意図を理解してもらえるか、相手の意向も考えるとどこまでなら書き方を調整できるか心を砕きました。
幸い、作品世界の理解もすすめてくださっていたようなので可能なかぎり、こちらの意向も汲んでいただいて。また、幸運なことに担当デザイナーのかたが初出版(『僕のたからもの』)のときの担当のかただったのでうれしかったなあ。

出版に関しての「ひええ??」なことはわりといっぱいあったんですよ。
私にとっての、ね。

上記は新風舎発行時のプロセス。
「・・・えっ、これひょっとして続くのか?」

私にもわからない、ので 謎

*二冊の本でお世話になった担当デザイナーさんは、この空間にも遊びに来てくださったことがあります。ちょうど落ち込んでるころでもあったので、コメントが響きました。
なかむら:しずこさん、ありがとうございます。

石のはなし 一幸★*☆

新聞ネタでございます、
・・・荻野アンナさんのコラム(と書けばおわかりになるかたもいるかも)

自分も関心あるから読んじゃう。
ずばり「石の効力」

でも、そんなにブームだなんて知らなかったんだよね、鉱石。
本音としては・・・「パワーストーン」という言い方にも違和感あります。
まあそれは呼びやすいようにでいいし、私と似た意見のかたもいるみたいなので
(直接的な話ではないかもしれないけれど、・・・これ言ったっけ?・・・東儀秀樹さんが書かれた本のなかにそれっぽい表現がありまして。自然がつくりだしたものだから、パワーを秘めているのは当然のこと・・・と)

インターネット自体、扱うことになるとは思わなかったし、いまだに通常モードはアナログ式。よほどのことがないかぎりネットで調べものはしないし、利用する範囲はかなり限定されています。・・・なので、最初に鉱石がらみで検索かけたときは驚いたな。
多すぎて、何処を読めばいいんだ??と途方に暮れて

ちなみに鉱石の効力と呼ばれるものも多岐にわたっていてけっこう悩む。
・・・あ、誤解のないように言っておきますがパワーを否定する気は毛頭ございません。
ただ、あまり石のパワーに頼りすぎると彼ら(=鉱石)が疲れてしまうので。
石を選ぶときは効力も考えますが、あとは感覚としてなじむかどうか、で選んでるかな?
これも諸説ありそうですが・・・

占い・まじないなどには必須アイテムのような石たち。
言うまでもなく、他者を害するようなことには用いてほしくない、ものですが・・・
コラム読んでて、果たして実態はどうなのだろう?とふと考えたのでした。

それぞれが好きなかたちや色彩の鉱石を手にすることで、幸せな気分になれたらいいですね☆

ちなみに私は、水辺の石やら道端の石やらでもふれるのは好きです。
砂利の感触も庭石も・・・生活に根ざした石たちは、一見かたくてつめたいようだけど
やわらかなまなざしでじっとこの世界のことをみつめているのかもしれません。

・・・おや、別の話をしようとしていたのだけど。
予定変更(笑)、またねー★ ほっほっほ

君は何者??

職業(もしくは職種)やら肩書やらというのはある意味、自分をあらわすものになる訳ですが。・・・といっても、全部分かるってものではないし、耳慣れないものもありますね。

表しようがないときは、つくる・・・?

私はカタカナ読むのがめっぽう苦手なもので、漢字のみじかいものでと思ってますが・・・
作家というと=小説家を指す、と最近知りまして「あ、そーなの?」
いえ、人によりけりだとは思うんです。書く人を総括して“作家”だと思ってましたので、ふうん・・・という感じで。

著述業、文筆家といった文言も見かけますね。

どんな業界でもランクがある、というのは分かります。一流とか二流とか、いわゆる階級のようなものですね。
書く人についていえば・・・小説家やその周辺の人にもあてはまることだと思います。
どうしてそういう話なのかというと、新聞記事を見ていて複雑な心境になったから。
作品や作家についてのブームもしかり、なのですが~まあ、そうした意見も必要とは思う~なんとなく、上から見下されてる感じがあるんです。ブームにのってなけりゃ変な奴だといわれそうだし、のっかりゃのっかるで軽い、とさげすまれる。

物事について論じることは大切なことだけど、「~じゃないのはおかしい」と断じるのはいかがなものでしょうか。そもそも好みや感覚というのは数値で立証できるようなものではないし、同じものに対しても快・不快は分かれます。それを「このレベルまで引き上げろ」と強要するような話になってしまうとせっかく関心が向きそうになっている人まで遠ざけてしまうんじゃないだろうかと。

・・・小説はフィクションですが、現代であってもそんなに軽くはないですよ。
身近にとらえるかどうかのちがいはあるでしょうが、リアルに感じながらそれをよりどころにしている人もいると思うんです。読み手もさまざまなのですから。

いろんな問題を感じるのは致し方ないことですが、あおったりあおられたり・・・といったところがどうも極端なんじゃないかなあ、という気はします。人ってどうしても「みんなが」・「一般的には」ってとこに反応しちゃうから・・・

仮にそっからはじまっても最終的には「自分はどうなんだろう?」までもっていけるといいんですけどね。

肩書というのはたしかについてまわるものですが・・・それで人間の資質が決定されてしまう訳ではありません。たまに誤解してる人もいるけど。
ホントに偉い人や素敵な人はそういったことで威張ったり、振りかざしたりはしない。

ある種“宙ぶらりん”な奴がいうのも妙(?)ですが、小説であってもほかのものでもあんまりジャンルというものにこだわりはないので「何がいけない」っていうのは分からないな
本はその媒体が大好きですし、人が介在していることに嬉しさがいっぱい。

書物を読むこと自体、かなりの根気もいりますし・・・
とはいえ、特定のもののみが文学である、とするような論調って音楽でいうところの「クラシックじゃなければ音楽じゃない」(・・・いまどきそんな暴論をする人がいるか不明ですが)っぽい主張にちかいんでしょうか??

活字を追うことすら難儀になっていた人間としては、何を読むかより活字が読める、追えることが至上の幸福ですからどれを読むべきだ、なんて恐ろしくていえません。
ごくまれに、関心がありそうなひと、面白がってくれそうなひとに「こういう本があります、いかがですか?」と投げかける。
それが入り口になったらいいな、と願うただの本好きです。

この夏は、どんな本を読みましたか?

阿檀の木の下で

もしも、大切なひとの命がおびやかされたら
そして、自らも危機におちいったなら
そのときいったい何ができるのだろう



降りしきる雨は天のなみだ




かつてこの国の内(なか)でも
戦さはあった
力の誇示や領土の争い
それはやがて国の外へも広がり
おびただしい数の犠牲を強いた


世界の諍いも争いも絶えることはない
利や益よりも命が軽いのですか?
人間はゲーム盤の上のコマじゃない


何処かで命が消えてゆく
災害でも事故でもなく
命が奪われ、命を奪い
人間であることを忘れていくように

此処はまるで戦場(いくさば)だ




大切なひとが理不尽に命を奪われるかなしみを知っていますか?
遺される人々がどんな思いで生きていくことになるか考えたことはありますか?

死の誘惑、死の恐怖・・・
それを感じるのは弱いからではないとおもう
むしろ生きる重さを実感しているからこその反応

不都合なことを口当たりのいい言葉に置き換えて
ごまかしを続ける、・・・いつまで?
多数の言い分だけを聞き、少数の声には耳を傾けず
存在すら抹殺するかのよう




・・・知らぬ間に、すべてが決められていた
人にあったはずの理性も感情も無惨にうちすてられて
国益という大義名分のもとに何もかもが進められた
武器の行き交うものではなくても、人は・・・
戦場へ行くために生を受けるのではない、どんなに、どんなに争いが絶えない場処でも
親ならばなおさらわが子を死なせるために生み、育てるのではない

私は戦争を直にはしらない世代である、けれど
両親(ふたおや)に、祖父母にそのかげりは見える
かなしみは、いたみは、私にははかりしれない
ただ・・・
自分なりの生きるさまに思いをはせるとき、この歌(詩)がよぎる



実際にそうしたことを歌ってらっしゃるかはわかりませんが・・・
中島みゆきさんの『パラダイス・カフェ』の10曲目に入っています。
何故かこの曲を聴くと、知るはずのない気配をおぼえてしまうのです・・・・・・






木に姿をかえた人間
そこからみえるものは、何?


言葉ある風景

記事として書きたいと思う題材はあるのですがどこから手をつけてよいやら・・・
あわてずにぼつぼつ、とは思っています。

・・・心身を基盤に考えなきゃならんからな・・・むつかしひ(汗)

ごひいきにしている街の本屋さんへ行けないものだから、耐え難くなってご近所(一応)に一冊、仕入れをお願いしました。思ったより早く届き、Skip~♪
それが、『言葉ある風景』(祥伝社黄金文庫)。小椋佳さんの本です。

実は単行本が発売されたとき読もうと思ったんです、・・・が。
たまたま外出先で見つけて手に取った途端、「こりゃあかん」
「あかん」かったのは本ではなく、自分の心理状態。
ちょうど先生にしかられた生徒のような面持ちで、無論しかられてはいないですがそのときの精神状態では難儀だと感じたんですね。
強烈な揺れに悩まされてるころ、だったと思うので。

きっかけは久しぶりに小椋さんの公式サイトにおじゃましたことから。
文庫になっていることを知らなかったから、これはいい機会だなと。

単行本の発行が五年前の六月。というと、私が初めて出版した『僕のたからもの』と同時期だったんですね。こちらは無名ですけどそうしたささいな偶然が嬉しくて。
文庫本のほうは二年前の六月ですが、こちらもちょっぴり。

ひといきに読んでしまうのはもったいないのでゆっくりと。
おおまかにとらえたのちに少しずつ読んでいますが・・・なるほど、「ううう」とくるように
痛いですわ、ぐさぐさきてます。日頃の勉強不足が身に染みるう~~!
世代的な差はもちろんですが、これってちゃんと知ってなきゃいけないんだろうなあって。
かなり思い違いの是正はしているのですがそれでもまだまだ・・・

ただ、言語の面では当然「恐れ入ります・・・」が多いのですが、性分として、人として共感(などというと生意気なのでしょうけど)して妙に親しみをいだいてしまう側面もあり、よかったー!!と驚喜(?)しているところです。

しかしながら、言葉というのは年代だけできちんとあつかえる性質のものではありません。
自然に入るものもあれば意識して取り込むものも。自分のものとして発語するためには理解し、咀嚼したうえで消化しなくてはならない。・・・この段階ふんでないとすぐに忘れるんですね。意味も大事だけど、「伝える」には話し方や言葉の選び方も重要。
何かが欠けてしまったとき、とんでもない誤解を生むこともある、そこが言葉の恐ろしさでもあると感じます。

私は詩人ではないし、歌い手、演じ手、描き手・・・そのどれでもない。
けれど気持ちのなかではどの存在にもなりうるかもしれない、と考えてます。
誰でも話し方や声を変えたり、相手や場合によっていくつもちがう表情(かお)があったりするでしょう?極端なものはともかく、それが自然だと思うのです。
でも、私も少なからずそうなのですが・・・性格的になかなかうまくゆかない人もいます。
人前に出られない、声が出せない、話が下手、表情がとぼしい・・・
年令があがってから気づいたのですが、多少のちがいはあっても思っているよりたくさんの人が、こうした状況で悩んでいるのです。だから、自分ひとりじゃないのか~って思えれば楽なこともあるかな??・・・すぐさま解決できることばかりじゃないけどね、ひとりじゃどうにもならないからまわり巻き込んであがいてますよ、私も(苦笑)

言葉に頼りすぎると落ちてしまう穴もあるけれど、やはり「はじめに言葉ありき」だと思うのです。じょうずでなくても、おかしくなってもかまわない、まず伝えようとしてみる。
・・・おそろしさに途方に暮れて沈み込んでしまうこともある、何もききたくないと耳をふさいでしまうこともある、それなら出たり引っ込んだりでも良いんですよ、ふつう(平均的)にしてても疲れてしまうこともあるのですから。

きっと誰かが(全部じゃなくても)わかってくれると信じたい、よな

最期の手紙『この瞬間(とき)は二度とない』

・・・命にはおわりがあるってこと、しってるよね
でも、それが「いつ?」ってかんがえること、ある?
何気ない日々に追われてあたりまえにすごす
そうおもうのだとしたら、たぶんうかばないこと

だけど、病気や貧困や、生活をおびやかす「何か」が
ふりかかったならそれは一気にしのびよってくる

「じぶんなんていなくても」
・・・そうおもう?たしかに、せかいはそれでも
何事もなかったようにうごくのだろう
でもね、・・・この世に生み出してくれたのは?
むかえてくれたのは?育んでくれたのは?
みつめてくれたのは?笑顔をむけられたことなかった?
いっしょに泣いてくれた、そばにいてくれた存在は?

真っ黒な淵がみえたんだ
いまにもひきずりこまれそうな
おかしくなりそうだった、いや、すでに
どこかがこわれていた、けど
むこうがわにいけない、わたれない、
みっともなくてしようがないのにずるずるずるずる
ひっぱられるんだ、変だよね

八方ふさがりだとおもうかもしれない
暗闇にとじこめられたと感じるかもしれない
けれどそんなときはめいっぱい抵抗してみる
沈黙してみたり、じたばたしてみたり
境界線をこえることをいそがない

運命は「動く」そして「動かす」もの、なのだろう

飛んできたボールをつかむ、とめることができなければ
よける、はらいおとす、という選択もできるのだから

悲観的なものでも悲壮感でもなく、ただ
「そのとき」がいつなのか知る由もないゆえ
一日たりともおろそかにはできぬ
そうおもってことばを綴り続ける

・・・あのとき
わたしはさいごだとかんじてた
『僕のたからもの』は最期の手紙だった
どうしてもあなたに届けたかったんだ・・・

“一期一会”という言葉の重さをいまほど感じたことはない

出会った人の数ではなく、出逢う回数
相手が同一でも逢うたびに何かが変わる

・・・どうか、自らおわりを決めないで
苦しみも哀しみも永遠に続くものじゃないんだよ・・・

ふたたびの “出逢い”

こうしたことは初めてなのでどっから話して良いやら??
・・・なので、色つき文字にしてます。落ち着け、おちつけ

プロフィールにちと書いてますが(こちらも整理しようと思ってるところ・・・)、現在までに本を二冊出版しています。会社がらみの騒動はくわしい人はご存じと思います、それはさておき。
情報あふれるネット上、書籍とてジャンルを広げればものすごい数のものが行き交っている訳です。果たしてどれほどの人がこのスペースに気づくか、また、一冊の本に辿り着くのかは未知数です。・・・とはいえ、何もせずにはいられない。
組織や団体を背にしてはいないので、発信できるところでめーいっぱいやるっきゃないのでござんす。

「前に読んだぞ」とおっしゃるかたがもしいれば、かたじけない(謝謝)
いなければ、
読んでみてくださいまし(切実)

本の購入動機も人それぞれだと思うんですが・・・
CDの初回版・通常版(字がちがうかな?)のようにはいきにくいでしょうか

何はともあれ、七月に一冊の本が再度、胎動を開始しました。
流通様態がどのようになっているか確認できていない側面もありますが、通常書店での(注文などの)取り扱いはされています。

『君はそれ以上~出逢い』 文芸社 刊
楪 蒼朋(ゆずりは そうほう) 著

三章から成る物語。語られたところではファンタジー・RPG・冒険小説といった言葉があった。・・・本人は?・・・うーむ、読む人にまかす(汗)
あえていうなら、色気はない、かもしれないが感じるところがあればよしとしたい・・・
なんぼか時代劇入ってると思う。鉱石好きなかたにみてもらいたい気がします。

この原案を書く(描く)ことでようやく息をしてました。ここにくるまでいろいろありましたが、いえなかったことを。
ほんとうはちがうかたちで伝えたかった、でも、それができなくなったから・・・
作品にかかわった中川さん、根本さん、ことばをくれた角南さん、動揺しまくる私を支えてくださったスタッフの皆様、印刷所のかた、ほかにもたくさんの人たち。
貴重な時間をいただきました、ありがとう。

それから、再出発にかかわる皆様へ・・・何卒よろしくお願いします。
時間をおってすこしずつ、また話せることがあったら。
ごらんになったかたが何か、感じていただければ幸いです。

まったくもってこちらのイメージアルバムと(一方的に)させていただいていますが、
小椋佳さんの『デジャブー 地中海の瞑想』。。。。
こちらは何度聴いても涙がこぼれてしまいます。
いちばんつらいときに接したこともあるとは思いますが、
生きていてよかったと、こころから感じた瞬間でもありました。

気分をかえて。。。。

道行く(?)だんなはんやねえはんがどのような動きをされてるか、あたくしにはさっぱりわかりませんもんで。・・・まさか迷ったりは・・・してないでしょうねえ??

前の記事投稿のおり、ちょっくら気がかわりまして。・・・ま、あまのじゃくなもんでさほどめずらしくはないんですがね。
風景かえてみたんですが、いかがなもんでしょう?
季節感もいくらか気にはなりますがこれだとじぶんとしちゃ四季をつうじてOKなんで。

いろんな人の目にふれる性質上と、こちらの事情によりコメントの公開を制限させていただいてますが「書いてはいけない」という訳ではありませんので、すこし話してみたいなと思われるかたは言葉をよせてみてくださいね。べつに取って喰いはしませんから(・・・妖怪か??)

でもでも・・・!!
実はとっても悩んじゃったんです。だってね、“お茶犬”大好きなんで。
アナログ時計も含めてすごーく気に入ってたんです。全体の景色というか風情というかがほのぼのしていて、かえたくないな、とも思った。
・・・ただ、時季がきたんだなって。
今回の風景みたときにあらゆるものを沈静化する必要性を感じました。
まだ、精進たりないけどね、まるっきり。
ちなみにキャラはリョクがいちばん好きですがサクラアールムハも気に入っている・・・
そもそも最初みつけたとき、お茶犬もお茶猫もこれでよくキャラクターつくってくれたよなって感心したんだわ。なまえとか色彩とかね。
やっぱあのころ相当疲労してたんかなあ・・・いまも体質的にはむずかしさがあるけど、お茶で一服するたんびに“ほっ”となごんじゃってます。

数日前から新聞読んだり、久々に手にした文庫本みたりしていて活字の、言葉の重要さを痛感していて、そうしたお話もしたいと思っているのですが・・・じぶんの文章力でどこまで書けるのか。
ひとつ、思うこと。ネットという媒体について、さまざまな意見があります。あってしかるべきだと考えます。だけど一般的に、もしくは平均化されているものだけで判断はしてほしくない。多数派に対して少数派があるように、かならずどこかに「そうではない」ものが存在しているのだから。
そして、ネットをつくったのも人間です。どんな広がりをみせるかは扱う『人間』しだい。
そのことを肝に銘じておかなければならないのではないでしょうか。

・・・おっと、そろそろ時間だ。
めっぽう真剣に取り組むときは取り組み、抜くときはいさぎよく(?)抜くべし。

「ひといきいれよっか?」

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