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2009年5月

旋律は語り・そして祈り

作曲家の三木たかしさんが他界されました。
がんによって声を失い、闘病生活をされていたとのこと・・・

はっきりと三木さんの曲だと知っているものはあまりないのですが、おそらく多くの曲を送り出してらっしゃるのでそうとは知らず、耳にしているものは少なくないと思います。

特集番組をみていると、ジャンルとしては実に幅広く活躍されていたことがわかります。

天才的だといわれる人には生まれ持った資質は無関係だとは言いませんが、みんな最初からそうだった訳ではありません。
その資質に気づく人がいたり、支援する人がいたり。
そして何より、本人が小さなことを積み重ね続けてやっとかたちになっていくものだと思うのです。
三木さんも、そうした側面をもっていらしたのだと。

環境も状況も異なるのですが、「声を失う」経験は私にもありましたのでほんのわずかながら、その苦しみは理解できます。
三木さんは旋律で、私は文字で。・・・そうして“語る”

曲にしても詩にしても、生み出すのはたやすくはありません。
ごくまれに苦もなく紡ぎ出す人もいますが、ほとんどはそれまでのさまざまな蓄積のなかから掘り起こされるもの。
歌であっても同じです。殊に、旋律と言葉の融合を必要とする歌の場合はそれらがかみあわなければならないぶん、むずかしさもあるのではないでしょうか。

聞くところによると、歌では詩が先行であることが多いのだそうです。
ちらっと経験しましたが、どちらにしても私には難儀で。
時折、曲が先行することがあるとのことで、三木さんに関して興味深かったのは、作詞家の阿久悠さんも話してらした、石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』

この歌は三木さんから届いた曲に阿久さんが詩をつけたそうですが・・・
演歌だと場所を移動してゆくものも多く、通常は文脈的にすごく行をとるのですが、この曲は特徴的な始まりのため数行で遠距離を移動することが可能だった、と(上野から青森まで)。
曲を聴いたときには当然そうしたことは意識になかったので、それってかなりすごいことなんじゃ・・・といまになってあらためて感じています。
そうしてみると、この『津軽海峡・冬景色』が印象深いのは曲と詩がしっかり結びついたことの証なんじゃないだろうか、と。あまり演歌はなじみはないのですが、この歌は好きで、上手くはないけれど歌ってみたいなと思っている一曲です。

時代は移り変わって、いろんなものがあふれています。
それぞれの好みや必要性が異なるのは自然で、それは良いと思います。
ただ・・・時々いわれるように、世代を超えて歌える“うた”が失われているのはすこしさびしいかな。唱歌とか童謡とか、音楽の授業ってどんなふうになっているのかわからないけど、たくさんじゃなくてもいい、こういう歌があるんだよって伝えていってもらえたらなあと。
想像するちからって、そうしたところから生まれると思うんです。

ジャンルがちがっても、かたちが異なっても、旋律を通して三木さんも伝えたいことがいっぱいあったのだという気がしています。

苦しみ・悩み・痛み・悲しみ・・・
揺れ動く気持ちのなかですこしでもやわらぐ、しずまる、
あなただけの一曲があることを切に願っています。

お茶犬 AND スヌーピー

夏日のようだといってたら今度は季節はずれの雪・・・
ともかく気温が微妙な動きをくりかえすもんでどうせーっちゅうねんという感じなのだ。

そうやってるといつのまにやら梅雨入りしてたりするんだよね。
水はないとこまるけど。

体質が極力調整かけなきゃいけなくなったんできついです、でも、がんばる。

**

五月は春の余韻をのこしつつ、初夏といったほうがいいのかな?
新緑の季節、植物のみどりがホンマにきれいやな~と。
そういえば昔、とある公署に勤めてたとき、企業さんの関係かすずらんの花をいただいたことありました。
ちっちゃいけどわりと香るんですね、白い花。
たしかに生花なんだけど、芸術的なかたちしてるんだなあとしばし感嘆したっけ。

・・・で。
この時季“茶摘み”の歌が脳みそに浮かぶ(笑)

お茶好きなんで、飲むのはいろいろですが、近頃は和菓子寄りだから緑茶とかほうじ茶とかが合うかな?
キャラクター展開されてるものいっぱい知ってるわけじゃないけどお茶犬はよく世に出してくれたなと思います。あいかわらず初期のキャラしか知らず面目ないですが(汗)
リョクのようにいられたらねえ。。。。

キャラがらみで年季はいってるのはスヌーピーでしょうか。
でも、彼の(?)せいじゃないけど、スヌーピーのほうが有名になっちゃってとりまく子どもたちが後になってしまった感がある・・・もとはまんがのキャラクターがはじまりだったんだよね。

このまんがについては実にいろんな人たちがさまざまな角度から論じていて、ひところ関連本を集中的に読んだことがあります。・・・けっこう現実問題がひそかにこめられてる。
人間関係をベースに考えると精神・心理分野にも深くかかわってくるんだね。

現在は手もとに本がないのでうろ覚えになるんですが、スヌーピーのご主人・チャーリーブラウン。物語のなかで、彼はこれでもかってくらい「ダメなやつ」のように語られますが、そこには作者の愛情がすごく感じられるんです。だって、完璧すぎるって逆にこわいでしょ?
欠点はみえてもそればかりじゃない。人間的にはとても愛すべきひとなんじゃないかな。
妹思いのお人好し。だからちゃんとともだちもいるわけで。
ある意味、誰も彼にはかなわないんじゃないかと思うのです。

個性的な、彼の友人たち。
女の子では・・・マーシーとペパーミントパティ(だっけ??)が好きかな。
まるっきり性格反対なんだけど仲良しなんだよね、おもしろい。
おまけに二人ともチャーリーブラウンを思っているという・・・
ものすごく精神的に達観している(?)ようにみえるライナス。全部とはいわないが観察してると自分にちかいかなあとも思う・・・でも、彼にも苦手なものはあるのだな、これが。

スヌーピーのグッズに関してはあちこちで見かけるし、専門のショップもあるみたい。
お茶犬も取り扱い場処ふえるといいなあ。
みてるだけでもたのしいしね。

**

どうもこのところすっきりしないような・・・気をつけてはいるんだけどね。
通常より行事が続いてるので、本日はそろそろ離脱します。

小鳥のさえずりがきこえる。。。

藤色幻想

わたしが小さかったころ、藤の花も藤棚も、すごく高い場処にあった。
けれど幼心にもそれはとてつもなく美しく、異界にいるような心持ちだったとおもう。

通っていた幼稚園(・・・だったと記憶している)では毎年、すばらしい藤の花が咲いていた。
さすがに手をのばして届くものでもなかったのでふつうなら眺めているだけだったのだが、幸い遊具のそばが藤棚だったためそこにのぼればしっかりとふれることができた。

“何でこんなかたちなんだろう?”

当時の感覚では地面にみえている草花が植物としての認識で、桜のような木はともかく、上から花が垂れている、しかもかなり特殊な形状で。・・・そのことがたまらなく不思議だったのかもしれない。
しかしその光景はずっと心にのこっている・・・・・・

春を感じる景色というのはそれぞれにあると思いますが、わたしははじめに梅、菜の花、たんぽぽあたりから桜・・・かな。そのあとが藤。
藤の花がすきなのはあのやわらかなかたちもありますがたぶん、・・・色ですね。
むらさき色、といってしまえばそうだけど、厳密にはあらわしかたも色々だと。
ファッション業界や染色の世界でも微妙に呼び名が異なるのでいろんな場処で考えさせられることが多い。まさに多種多様。
染色ではおそらく藤も使用されるので藤色、というのはあるんじゃないかな?
藤といえばあのかたちですから、かんざしのデザインもあるだろうし、着物の柄、・・・それから家紋、などもあるのでは。

ちなみに鉱石ではその色合いにはタンザナイト・クンツアイト、といったものがあるかな?
こちらも自然色、天然の色がでるから実際にはそういう感じにみえる、ということでひとつずつ、異なった色彩を有しているのだと思います。

ちらとみただけなのでおぼえていないのだけど、広くみると樹齢何年という寿命のながい藤も存在するようです。花の房もとても大きな(ながい)ものがありました。

樹木が風にゆれる雰囲気もすきですが、藤の房がそよぐ風情もよいものです。
・・・そこに、藤の精がたたずんでいるかも、しれませんね。
何年たっても藤の花のそばは、心安らぐ場処のままです。

小さな神さま

・・・御伽噺というかファンタジーというか・・・
精霊や妖精っていうとリアルなものでないといわれますが、なんとなくみえるひとにはみえているんじゃないだろうか?と思うこのごろ。みえなくても感じることはできるかもしれない。

私自身はどことなく妖怪に関心があるような(笑)

ふつう物には生命がないと考えられますが、やはり持つ人の思いというものは場合によっては宿るんじゃないでしょうか?お気に入りのもの、記念のもの、大切なひとから贈られたもの・・・仮にそうしたものではなくても何か縁があって自分のところにやってきたと考えればそう粗末には扱えないでしょう。そこに至るまでの道筋を思えば実に多くの人の手を介している訳です。あなどっちゃいけません(汗)

そこかしこにたぶん、ちっちゃな存在が行き来してると思うんですね。
・・・そんなことを考えてたときにみつけた本が『小さな神さま』(太田治子 著:朝日新聞社)

どんな本なのかなあと調べて、ひかれるものがあったので購入・・・
どきどきしながら読みました。
ぽつりぽつりと何気なく語られるみじかいお話がたくさん入っているのですが、・・・そう、いま浮かびましたがお菓子の詰め合わせをひらいたときのようなわくわく感。
あとからじわっと効いてきます。

そんなん現実にはありえん、と思われる人もいるでしょうが、日常のひとこまを切り取るとあるんじゃないか?と思えたりもします。
美談、という言葉には揶揄があるように感じるけど、世の大半がゴシップやスキャンダルで覆われているように思えても実際にはあったかい話題だってあるのです。ただ、みんながそれをあたりまえに思うか、みようとしないでいるかというだけで。
日々を生きるのに必死な人もいっぱいなのです。

物語というのは一部で、すべてではありません。
それ以前に何があったのか、その後どうなるのかは読み手が想像するのみ。
だからもし、物語そのものがまるくおさまっていないとしても、これからなんだと思う読み手もいればもやもやしたままの読み手もいるでしょう。・・・それは、現実にもあてはまりませんか?
本に対するということは、自分の現実を見据えることにもつながる気がします。

あまりむずかしくとらえることなくすんなりと入っていけためずらしい作品。
こういう物語を紡ぐかたがいらっしゃるんだなあとうれしくなってしまいました。
表題作のほか、さまざまな愛情物語が綴られています。
いくつかあげてみようと思ったのですが・・・難儀だ(苦笑)
ひとつ、読む前に「ん?」と思ったのが“キヌコ”。さて、どんなお話だと思いますか?
私は思いっきり予想を裏切られました(大笑)

この本を読んでから・・・“小さな神さまって、どこかにいるのかもな”との想いをつよくした感じがあります。

みえないから、「ない」って断言しちゃうのはたやすいけど実証もしがたいのなら「ある」、かもしれないと思ったほうがおもしろいんじゃないかな

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