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2009年4月

*言葉を送る 本を贈る*

私は手先が器用ではないからものを作るのが苦手だし、好きではあっても粋なイラストや美しい絵を描くこともできない。曲や歌に気持ちをこめられたらとも思うけれど・・・

お洒落なことができる、柄でもないしね。

ただ、自分なりに素敵だなと感じることを伝えたいと思う。
手立ても、それぞれ。

人の好みというのは実にさまざまなので、通常何かをすすめるということはしません。
でも、相手によってはいろんなことを考える。
関心あるかなあ・・・と感じるひと、なんとなく好きかも?がわかるひと、どんなものでも面白がってくれそうなひと・・・
そうしたひとには何かを“おくる”ことを考えるのです。

あまり相手のことがわからない場合にはためらわれてしまうことってありますよね。
そんなときでも“言葉”ならどうでしょうか?
メールでもいいし、カードにひとことでもいい。
これは、自分の体験からですが旅先から一筆、なんていうのもいいんじゃないかな。

相手との間柄にもよりますが、何か言葉をかけられるということは、たとえ短くても自分のことを気にとめているということですから嬉しいものだと思うのです。
私自身はもっぱら手紙になってしまうことが多いのですが(笑)

最近はすこし、変わってきた部分もあります。
話ができなくなったり、声がでなくなったりしたことも影響してるかな?
ふだん何気なく言葉ってしゃべってますよね。だけど、これも万能じゃない。
相手に気持ちが通じなくてかなしくなるときがあるのは理由はあるんだけど、実際は何かのせいって特定できないんです。ひとつはっきりしているのは相手と自分は別の人間である、という前提だけ。そこをふまえたうえで工夫してみる。

それでもむつかしい側面を、本に託すことを時々するのです。・・・もちろん、どのくらい伝わるかはわからないけれど。

そうした習慣のようなもので「サン・ジョルディの日」というのがあるらしい・・・

もし、贈った本が相手に合わなければ誰かに譲ってもらっても良いし、とりあえず置いてもらうのでもかまわない。
私もごくまれに本をいただくのですが、まったくちがった世界にふれるきっかけにもなるのでそういうのもたまにはいいもんだなあと。

自己の表出にもいろんな方法がありますが・・・
地味でも言葉を大切にしつつ、想いをのせながら物語を紡いでゆけたらいいな、と願っています。


私信ですが、夢子さん、未月さん、彩矢子さん、奏美さん
ごぶさたしています。
ネット関連だとセキュリティの問題からうまく伝達できないこともありますし、何しろ私がメカ音痴ゆえにご迷惑をおかけしている点は面目ありません。
基本的にどうもアナログが落ち着くようですので時間をつくってお手紙を書こうかなと・・・
ほかにもなかなか行くことができずにいる空間がございますが、またおじゃましたいと思っております。
(・・・コメントのこせるかは謎∞)

★♪★♪

“大切なかたへ ことばの花束をおくりませんか?”

いえない言葉 いわない言葉

言葉って かんたんなようで
とってもむずかしい

するっとそのままのきもちがあらわれたり
素直になれなくて
反対のこと しゃべっちゃったり

ほんとの言葉が
出てこなかったりする

伝えたいおもいが大きくなっていくぶん
それはどんどんこぼれていくようで

あえて言葉にしない
そんなときもある
いってはいけないと感じることもあれば
いわないことで より深く
伝わっていくものもあるかもしれない
そうして全身全霊で
大切にまもっていく覚悟へと
つながってゆく

それでもなお
届けていきたい言葉もある
伝わらなければどうしようもないとも
いえるけど
伝えようとしなければきっと悔いだけがのこる

さまざまなかたちの
色々なこころがある
言葉はひとつのうつわ
そう思えるなら
微笑んでそっと渡してみよう

話すことも 書くことも
表情も 仕草も 言葉となる
それは いちばんのたからもの

HANG LOOSE ≫Megumu Sagisawa

『ハング・ルース』
鷺沢 萠 著
河出書房新社

**

この間何気なく本の検索をしていて驚いた。
発行から一年くらいしか経っていないであろう本が「入手不可」となっている。
・・・けっこう人気どころの著者の本だったのだけれど・・・

そりゃジャンルによってなじみにくいこともあるだろうし、出版社さんの事情もあるでしょう。
しかし・・・早すぎるよ、こんだけ本あって見つけるまでに時間かかったり、出た瞬間に対応できないことだってある。なのに読もうと思ったときにはない。
こちらの感覚では10年でも短いと思うけどそれは仕方ないとして、5年、いやせめて3年くらいは時間がほしいというのが本音。

そんななか、しぶとく探しまわって文庫本を一冊。
私はどちらかといえば作家さんで選ぶというよりは本の内容で決めるので、基本は現地探索になります。・・・前よりは事前調査してますが。
最近になって書かれるかたの文章でも相性があるようだと気づき、いくらか作家さん別に関心があったりもします。

鷺沢さんの本は、数としては読めていないのですが・・・すごく、密度が濃い。
誰しもこういうことがあるんだけど言語として説明しがたい部分ってありますよね。
それが鷺沢さんの本にはあるような気がするなあと感じたのがきっかけ。
「何?」って訊かれてもこまるんだけど、私にはそう思えるんです。

本作も鷺沢さんモード全開っぽい作品だと思いましたが、これも受け取る人しだいなので自由に読んでみてください。
無論、鷺沢さんのみているもの、考えていること、思うことは私とは異なるはずです。
でも人というのは・・・どんなに環境や境遇がちがっても“かすめる”場処があるんじゃないかとも感じるんです、かたちがほんのすこしちがう、というだけで。

この物語に出てくる人々は、表面上はかけはなれているように思われる、けど、「生きている」状態においては何ら自分と変わんないじゃん・・・
そう思えて、いとおしさのようなものをおぼえた。
女性側の心理と男性側の心理に立って書かれている、とも受け取れる。
性差というものは確実にありはしますが・・・それだけじゃ理解できんこともいっぱいあるよな。事実、自身に照らして考えると、全部じゃないけど心理的にはどっちの気持ちもわかるもん。

主人公(あえてここでは女性のほうを示しますが)の思いのなかに、もうちょっと勉強しとけば言葉にしていろんなことも伝えられたのになあ、といった嘆きのようなものが含まれてる。~けどさあ、勉強ってったって頭に詰めてりゃいいってもんでもないぞー。たしかに言葉しってれば項目としての伝達はできるけど、気持ちは・・・言葉があっても伝えにくいもんだと思う。それにさ、身に付かなきゃ本質的な勉強になりにくいんだわ。いろんなかたちあるけど・・・あんたも充分、勉強してっと思うよ。私がしらないこともたくさん体験してるしね~そういう話をしてみたくなった。
日々を、精一杯生きる姿勢には変わりはない。ごまかさずにいることがどれほどつらく、苦しいことか私なりにしっている。だからこそ、どこで抜いてわずかながらでも心安らぐことがあることもわかるようになるのだと。

鷺沢さんの作品を読んでいて思うのはもわっとしたものではあるけれど、なんだかいいなあと感じ・・・それによってもうちょいがんばれるかな?と。ぼんやりと、だけどね。
自然と微笑してるんです、適度に(?)ほぐれているというか・・・
ありがとね、鷺沢さん。私もわりと馬鹿だな~って思うこと多いけど、いまだからいえる。
それでも私は私で、テンポずれててもとろくても、あまのじゃくでもカッコよくなくてもまあまあいい奴じゃん!・・・けっこー気に入ってます。

ほかの誰でもない、あなたはあなたなのだから

いつからなのか、「ポジティブ」や「ネガティブ」といったことばをひんぱんに耳にするようになった。・・・最初、何ぞや??と思ったけれど、どうやらこれに限らず奇妙になんでもかんでも言語化してそのカテゴリーに押し込めようとしているように、わたしには映る。

明るいだけがいいことなの?
前向きって何?
見えることで華々しく生きなければ意味がない?
個性重視といいながら少し異なることをすると苦々しく思われるのは何故?

そんな違和感をおぼえはじめてどのくらいになるんだろう?
昔いわれたのは「楽観的」・「悲観的」
そうした言葉だったけれどいまほど切羽詰まった空気とはちがっていたように思う。
・・・異様に攻撃的なものが漂っているように感じるのは気のせいなんだろうか?

たしかに人は、わがままな側面をもっているけど思想や意見を述べるのと、強制的に従わせるのは違う。それは相手の人格を完全に踏みつけにしているのと同じだ。
世の中は自分と同一ではないし、似た人ばかりではない。当然のことながら、誰かに合わせるためだけに生きているのでもない。
気に入る・入らない、損得だけで切り捨てるのは簡単だ。でも、それではおそらく成長も進歩もないだろう。ほかの世界をしらないままにいるのと同じだから。

強固に何かを主張している人たちを見ていて思うこと・・・
この人たちは絶対に今の地位や名声を失わないと思ってるんだろうな、と。
同時に上から目線で「お前たちとは違うんだ」と異なった境遇にある人を何処かで見下している。・・・もちろん、そういう人ばかりではないと思うけどね。

時々、此処にいる自分って何だろうって思うんだ。
いまにはじまったことじゃない、だけど、日ごとにそれが大きくなって恐怖に覆われてしまうことも。・・・人ってね、全部を言語化できるわけじゃないし、あっちだとかこっちだとか容易に割り切れてしまうものでもないと思うよ。行ったり来たり、悩むし迷うし惑うし。
専門職というのは仕事上、そうしなければならないことは理解できる。
ただ、苦しみにあえぐ人に必要なのは専門的なことでも投薬でもなく、最優先なのは心を落ち着かせること、“安心していいよ”と伝えること・・・
言葉がかえって傷を深めてしまうこともあるから、むずかしいけどね。

一般的にそうだから、みんなそうだよっていうから自分もそうじゃないとだめなんだ・・・
もしかしたらそんなふうに感じること、あるかもしれません。
人から見ればふつうじゃないと思うこともあるだろうし、逆に人のもつ自分の像が自身の認識からかけはなれていて苦悩が深まることもあります。でも、それを無理に肯定することも否定することも必要ない。
そうかあ・・・と納得するもよし、やっぱちがうなとスルーするもよし。
『本当にこれでいいんだろうか?』
・・・そうした思いは常につきまといます。本質的には誰しもいだくものだろうと。
わたしも欠点
だらけでたいそうなことをしているわけではないので試行錯誤していますが、行為者はあくまでも自分です。他者はきっかけはくれますが答えをもらえるわけではありません。そうして、何が正しいかは誰にもわからないのですから、自分が、あなたがそれを選び取って動くことが何より大切なことだと思うのです。

・・・自分ってひょっとして変なのかなあって思うことや、空間にぽつんと置き去りにされてる感じがすることもあるけど・・・馬鹿にされるようなことがあったとしても、まだ此処にいたいんだ、わたし。
みえるものだけがすべてじゃないってようやくわかりかけてきたし、自分のことも含めてしらないことがたくさんある。たとえばとなりにいる笑顔の素敵なひとにも、奥底に秘められた深いおもいが存在するかもしれなかったり、顕在化されたものが必ずしも真実を語っているとはかぎらなかったり。
味方になってくれる人、理解しようとしてくれる人は近くだけにいるのではない気がします。
だから不安もあるけど・・・すこしずつ、歩み寄ってみようよ。

∞∞∞∞

桜の開花が年々はやくなっていて、嬉しいようなちょっと大変なような・・・
たいていお花見のころには花冷えになって、凍えてしまいそうですね。
これからいろんな花や緑が映えます。しかしながら気温は変動しそうですのでご自愛を。
五年くらい前にみつけた小型の万華鏡、気候がよくなったらのぞいてみようかな

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