ブログパーツリスト

  • presented by 地球の名言

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

人は揺れ動くものだから

まったく本を読まない人、
あまり読まない人
そういう人もいるだろう

読む人も、
ジャンルが固定している人、
作家で読む人、
店頭で目立っているものを読む人
さまざまだと思う

本は無数にある
けれど、知られることのないままの
ものもある
そのなかから一冊を探し出すことが
どれほどのものか

読書離れ、活字離れに
策を講じるのはいい
ただ、良書か名著か、
そうしたことを専門職、関係者、
一部の人のみで
決めてしまわないでほしい

一冊の本が人を変えてしまう
ことがある
多くの本がひとりの人間を
育ててゆく
広くに知られてはいない本のなかに
光を見いだすこともある

なのに、大半の本の寿命は短い
数年で市場に出なくなる
新たに生み出されるものに
求めるものがある場合はいい
でも、そのときに存在したものでなければ
意味を成さない場合だってあるのだ

名著といわれる作品も
時がたって理解が深まることが
多いのではないだろうか
そうだとすれば、
人が必要とする瞬間に
本が存在しないということは
悲劇にちかい

生きていれば心境が変化していくのは
自然なことだ
その時々に力をくれる本がある

願わくば少しでも多くの本の命が
永らえてゆくように
ほんとうに求めてやまない人のもとへ
たどりつくように

心地好い感触

“風合い”、という言葉にどんなことを思う?

わたし、何気なく感じてましたがこれ、表現しろといわれると。。。。

この前、新聞のコラムである装幀家のかたがこの“風合い”をめぐっての編集さんとのやりとりを書かれてまして。
本を創り上げる過程で必ず行われる打ち合わせではあるでしょうから、きちんとやることを考えると細かい確認も必要。そうしたことだったのでしょうけど。
・・・ただ、この“風合い”・・・辞書的に(?)くっきり割り切れる観念というか概念というか、それらがうまく伝えにくいところでして。たしかに辞書引けばそれらしいことは(新聞の文面引用しようかと思ったけど、思考が固定されぬようやめた・・・たぶん、辞書によって微妙に言い回しちがうんじゃないかな。気になるかたは調べてみてください)書いてあると考えられますが、解釈ってとどのつまり、それぞれの感覚としか言いようがないのでは??
あくまでも「こういう感じ」くらいにしか言語的にはあらわせない。要は環境や経験によってとらえどころが異なっているものだと。

想像してみよう。
“色合い”についても同じことがあてはまらないか?

色彩は染色の世界やファッション・インテリアがらみで規格はある。
でも、ふだんはそんなに細かい部分にまで考えが及ばない。
たとえば赤系が好き、青系が落ち着く、イエローやグリーンが似合う・・・そうした大雑把なところで選ぶだろう。しかしながら、厳密にはピンクは赤につながるし、紫は青にからむ、オレンジはイエローに通じる。細密にみていくと実に雑多な色があることになる。

大別すると、自然色(天然色)か人工色かといった感じかな・・・?

色が人の精神や感情に与える作用もさまざまなものがある。
これもやはり、個人の性質や育った環境、体験や価値観で大きな変化をもたらすだろう。

わたしの本が制作されているときも、紙のことについて話がされていた。
効率の面その他の利点を考えると、軽量化だったりインクがなじむかどうかだったりは気になるところだろう。余計なことはしなくていい、と思うのも理解できない訳じゃない。
だけど・・・活字について、装幀について、その道の職人が存在するのである。
それをできるかぎり生かすことが本にとって幸せなんじゃないだろうか。。。

なんて、コラムをみながら思ったんだね。
何てゆーか・・・ひそかに感涙にむせんだ。

原稿を書く(描く)ひと、活字におこすひと、装幀するひと、・・・もっといえば、紙をつくるひとやインクを製造するひとたちも含めると・・・たくさんのひとの手を介しているから本ってすごく重みがあって、あったかいんだね

一冊一冊が財産であり、宝石

~鉱石好きの楪 蒼朋

ブーゲンビリアの思い出

・・・学生のころの話。

いったいどこではじまったのか覚えがないんですが・・・

“ブーゲンビリア”という植物に、すご~く惹かれまして。

そのときはたぶん、南国系の植物としかわからなかった気がしますが、なにせ変わったつくりだなあという印象がつよくて。
しかし、魅力的であることはたしか。しばらくの間、どっかにないかな・・・と探した記憶が。
花屋さんにもあまりなかったのかな?
あったとしても、(それが特徴なのでしょうが)色が鮮やかすぎて手が出せなかったんですね。それと、価格の問題もあったと思う・・・(学生にとってはイタい出費というやつで)

そんなある日、目が合っちゃった・・・ひとつの鉢植え。
色合いがちがってたんです、それまで見たものと。
ピンクにはちがいないのだけど、落ち着いた、しぶめの(?)色。
ここでのがしたらチャンスないかも、という思いがはたらいて・・・思案すること、しばし。

「やっぱ買うてこう」

枝ぶりもよかったんですよ。全体どっしりしてたし。
・・・ただし、いくつかの問題かかえつつ。
まず、鉢がでかい、・・・んで重い。ぶらさげるにはちと丈も高く・・・
ま、値段もちょっぴり「う」・・・という感じではありましたが最大の難関(!?)はそこから家が遠かったということ。

試験帰りだったのか昼間だったと思うんで、しかも何故か途中下車してた駅近くだったように・・・つまり、いずれにしても交通機関を用いて帰るしかない訳で。
そうなると当然、人にもまれるワケだね(汗)
どーやってじゃまにならんように、しかも形もくずさず持って帰るか??
お店の人が大きめの袋に入れてくれたけど、「頼むから破れるなよーー!!」と半ば哀願しながら帰路を急ぎました。ハラハラドキドキバクバク

店員さんも思いっきり心配してたようで
・・・ふつー、歩きであんなどでかい鉢植え買わんよな・・・
おまけに学校帰りで制服で、私ゃカバンも重かったんで。

心持ちはね、母に喜んでもらいたかったんだ

花が好きなひとで、大切に育てるひとだから

さすがに持ち帰ったとき「何しようん」とあきれて驚いてましたが、それでも
「・・・ああこれ、ふつう見るやつと色合いちがうねえ・・・変わってる」
そういって、笑ってくれました。

子どもって・・・いくつになっても母親にはよわいもんだね
自分を生んで、育ててくれた偉大なひとだからかな

**

鉢植えも花束もアレンジメントも、それぞれに良いですよね。
ことばにならない想いをお花に託して贈る、というのも素敵かな?

お花やさんとか書物とかに贈る際のアドバイスもありますが、よほどのことがないかぎり、きちんと考え、こころを込めて贈るのであればあまり細かいことは気にしなくていいと、私は感じます。
相手の好みが分かればよし、そうでなくてもイメージしながら選ぶもよし。
花は、こころをなごませるものです。グリーンもそうですね。

本質的には・・・大地に根をおろしている自然の姿がいちばん。
そうした環境での花や森や土の匂いがとてもすきなので

・・・そんなふうに生きられたらいいな、と思ってます。

わたしのこどもたち

外からでは、人の内面はわからない
わたしのなかで起きていることは
誰もしらない

言葉にしようと努めてはいる
でも、多くは軽くあしらわれて
こだわりすぎだとか、甘いとか、
怠けているとか
暗くなるからと避けられる
誰も、耳を傾けてはくれない

見ないふりをして通り過ぎられるのならば
こんなに苦しくはない
みんなが明るくて、強くて、
いつも笑っていられるわけではないのに

話す決意をするのは、ひとりでは
修復不可能なとき
きちんと受けとめてもらえればいい、
それは最終手段

だから、わたしは書くしかなかった
現実味がなければ話にならない、
流行にのらなければ意味がない、
きれいな話でなければくだらない、
わかりやすくなければうけない
・・・そんなことはどうでもよかった

消えそうな意識をとどめるために
こわれそうなこころを護るために

たどりついたかたちが本だった

久しぶりにアマゾンさんのサイトをのぞいてみた
流通が止まっても、データはのこってるんだ・・・
書いたコメントも、想いは変わっていない
手もとの“こどもたち”がこれからどんな道をたどるのか
いまはただ、届けたいひとに伝えてゆくしかないけれど

ここまでたどりついたかたがいるかどうか
だけど、伝えておきたい
『僕のたからもの』・『君はそれ以上』を読んでくださったかた、
ほんとうに有り難う

原案が実際に本になるとは思いもしなくて
現実にそれを手にしたとき、もう思い残すことはないと
そう感じてたはずなんだけどな

ここにいられることが不思議なくらい

ちょっぴり弱気になってるね
ごめんなさい。。。。


楪 蒼朋

天に星 地に花

どこかで見た 聞いた
あるいは格言のようなものかも

・・・わたしが認識しているのは、歌

当たり前のことがあたりまえでなくなった、と言います。
自己の保身・排他的・欲の先行
人間だから、性質上そうなってしまうのは、無理からぬことだとは思います。
でも、人間にはそれだけではなく、もっと良いものもあるはずです。
本来はそれらのなかでバランスをとり、周囲との調和をはかることで
成し遂げられる物事も多い。

あらゆるものが効率化され、便利になり、格段に高速化した。
故に「待つ」ことができなくなり、それ自体を軽んじる傾向さえあらわれる。
皆が同じリズムを刻んでいる訳ではないことを忘れて、思い通りにならないと
怒りをあらわにしてしまう・・・
そうやって、ぶつけるほうもぶつけられるほうも疲れ果てているのではないでしょうか。

わたしもそのあたりはよくわかります。
ただ、怒りを感じても即ぶつけるのは得策ではないと思うのです。
感情論だけでは物事は先に進みません。
「怒っている」ことを認識したうえで、何に対して怒っているのか、では、それを解決するためにどうするのが良いのか・・・その感情が強いときほど「突き放して」冷ます、しずめる必要がでてきます。
そのほうが結果的に収束が早まるのです。
・・・かなり難儀ではありますが、イヤな気持ちを引きずるよりはずっといい、最近はそう考えて物事にあたるようにしています。まだまだ訓練いりますが。

色々あるから人間で、神様や聖人になることはない。
とはいえ、人の思惑ってちっぽけなんだろうなあと痛感することも。

*天に星*
空を見上げることってどのくらいありますか?
そんなゆとりはなかなかもてない生活もあるかもしれませんね。
でも、天体観測ほどなくても、昼間でも夜間でも、空はいつもそこにあります。
ちょっと顔を上げれば見えるのです。変わらずにあるのですから。
たとえ、曇っていたり雨になっていたりして真っ黒であっても、
ちゃんと空は地上をみつめています。
星もたしかにあるのです。
それとおなじように、視界になくても、視覚でとらえられなくても
存在するもの・・・そうしたものに時折、思いをはせてみてください。

*地に花*
近頃は身近に土や砂を見なくなってしまったのがさびしいかぎりですが・・・
土を踏んだり、砂で遊んだりした記憶ってありますか?
いまにして思うとすごく心地よかったなあって。
やわらかいし、いい匂い(これは個人で異なると思いますが)してたなあと。
大樹やはなやかな、大輪の花を咲かせる植物も好きですが、
わたしはどちらかといえば、大地にしっかり根をはって地表近くに息づいている植物に視線が向きます。・・・ああ、けんめいにふんばっているなあ、しっかりそこからみつめてくれてるんだなあ・・・そんなけなげな姿に、ひそかに元気をもらっています。
小さいころからまわりに植物があったから、じぶんがしらなかっただけでずいぶん助けられて、まもってもらってたのかもしれない。

人の存在も、時に星になり、花になるのだと思います。
言葉があるなしにかかわらず、笑顔があり、体温があり、仕草があり・・・
そうしたことで幸福を感じたことはありませんか?

歌でしったものの、みっつめのフレーズは*君に愛*
かたちとしてみるものではないけれど、感じること、伝えることはできるはず
みんなきっと、何処かでおだやかなぬくもりに包まれて生まれてきたのだから

IN THE SHADOW OF THE MOON

・・・そこは、劇場という空間 実際の場処ではない
でも何故か 自分が別の何かとひとつになっている
そう感じる いや、すでになっていると言ったほうが
正しいかもしれない・・・

宇宙、ときくとどんなことを思うだろうか?
天空にまたたく星 しずかに見つめる月
自分のいる地球という惑星について、
学者や研究者とてそうなのだから
まだまだ知らないことは、たくさん

さまざまな国が、こぞって
宇宙開発に乗り出している
いまにはじまったことではないし、
そうする必要性もあるのだろう
けれど、単に国益の、もしくは
物見遊山のようなものだと
思ってはいけない
あたりまえのことだけれど、
そこには多くの人々が介在する
そして、何らかの影響が
自然界に起きる可能性もある

「人類は月へ行った」

そのことは、ものすごい出来事である
多くのものをもたらしたことも、事実
ただ、現実にそこへ行き、
その地を踏んだのはわずか
到達できずに引き返した者、
訓練中に命を落とした者
そうしたことも忘れてはならない

実際の感覚と異なるであろうことは
明白なのだが、ふっとからだが
まさにその場処にいるように思えた
月へ行かなければ、この星を出なければ
地球がどんな姿をしているのか
見ることはできない

映像はまるで自らの眼でとらえたように
美しい惑星のすがたを映した
これが自分の生を受けた惑星、
青く光る地球・・・・・・

これは、宇宙飛行士のみが感じる
特殊なものではない
ほんのすこしのきっかけで、
誰もが気づくことなのかもしれない
すべては「個」であると同時に
つながりをもつ一部である、と

彼らの言葉にはどれも重みがある
誰かが言った、
『地球は奇跡のような星だ』と
専門的な言葉を用いて
説明することは容易ではない
でも、書物から裏付けのような事柄も
得てきている私には納得できるところもある

『この星に生きていることは、とてつもなく幸運』

いきいきと、少年のように
キラキラした瞳で語る彼ら
そこには、こまやかな愛情が秘められている
・・・こんなふうに年令をかさねてゆけたなら・・・

★ドキュメンタリー映画「ザ・ムーン」公開中★
たしか一月中旬公開だったと思うので・・・まだやってますよね??
なんだかめぐりあわせとして「そうなんだ。。。」というふうに感じたもので、新聞のどでかい広告につられて観てきました。そのせいか不明ながら、ちょっぴり異変が!?(汗)
とはいえ、収穫は大きかったかな。月を知ることは、実は地球を知ることでもある。
同じ事は、人にもいえるんですね。迷ったとき、自分のなかだけでどうすることもできず立ちすくむことがある。そんなとき、他者の視点から自分がみえてくる瞬間があります。
子どものころから(成績はともかく・・・)天文分野は関心ありましたが、地球や月についてはどんどん近づいてくる感じかな?不思議だけどね。
ちらっと耳にした話だと、2009年の守護石(?)はムーンストーンのようで、この石大好きな私としては思わずにこにこと微笑んでしまいたくなる・・・自然の成りゆきで劇場に行った日もたしかムーンストーン身につけてました(笑)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »