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2009年1月

元気ですか?

いつも笑顔で がんばっているあなた
何事にも一生懸命で、
こまっている人を放っておけない

みんな自分のことで精一杯
それだけならまだしも
他人に当たり散らしたり、
嫉妬で足を引っ張ったりする人たちの中では
とっても重要な存在

ただ、時にはあなた自身のこと
しっかり見つめてあげましょう
ココロやカラダは正直だから、
「疲れたよ~」って
言ってるかもしれません
そんなときは“よしよし”と
いたわってあげてくださいね

キモチがあってもチカラがでないとき。。。
どうしていますか?
「努力がたりない」と責めていませんか?
そうして動き続けると、
ホントにこわれてしまいます
すっごく勇気がいるけれど、
「止まれ!」と号令をかけてみましょう
すでにアタマやカラダがまわらなくなっていると、
判断がつかなくなるのです

眠れなくなったり、食べられなくなったり
動悸がしたり、人目がこわくなったりしたら、
お医者さんに相談してみましょう
もしそれが無理なら、まず信頼できるひとに
話してみるのもいいかもしれませんね

わたしもそうだから話せるのですが。。。
弱気になっているときというのは、
「わかってもらえない」という思いが強くでるので
拒絶された、と感じると恐怖が大きくなります
だけど、そこであわてない
泣いたりわめいたりぐっちゃぐちゃになろうと
色々やってみる
お医者さんだって自分だって人間なんだから、
“わかんなくて当然”なのです
あとは、「この人だったらどんな話ができそうかな?」
その相手をすこしずつふやしていく

。。。実感としては“ねばり?”かな。。。

へこんでしまうことも多いわたしですが、
それでも手をさしのべてくれる、笑いかけてくれる、
笑顔をまっててくれるひとがいる
わたしが笑顔を願うだれかがいるように、
あなたに笑顔が戻ることを祈るひとがいます

あせらずにゆっくりと
いっしょに歩こうね

**

原曲は竹内まりやさんだったと思うのですが・・・
ずいぶん前、『元気を出して』という曲があった記憶があります。
わたしが聴いたのは、薬師丸ひろ子さんが歌ってらしたもの。
ふんわりと包んでくれるような雰囲気が印象的でした。

ともだち、もしくはたいせつな誰かを心配しているようす(恋をうしなった痛手に悩み苦しむ姿をみて)を歌ったものでしたが、こころに負った傷というのはどんなものでも本人はもとより、ちかくのひとも苦しめます。たとえ、元通りではなくても笑ってくれたら。。。
そんな祈りにも似た想いを、このごろよくいだきます。

“人生はあなたが思うほどわるくない”
この詩(うた)の一節、素敵だと思いませんか?

約束*心からのおくりもの*

久しぶりにミュージックステーションを見てみました。
・・・といっても、昨今の音楽シーンはますますもってわからないので流行は何なのか???
私がMステ見るのはKinKiが出演してるときくらいかな(笑)

すっかり忘れてましたが、光一さん30になったんだ・・・
剛さんもそうだけど、黒が似合う年令(?)になったなあと感慨もひとしお。
この日の曲のタイトルがたしか『約束』だったと記憶してますが。

曲のせいだけではないけれど、約束ってなんだかはかないもののように感じることが多いのかな・・・
“痛い”曲だと思いました、でも。
裏切られても、傷ついても、・・・何も感じなくなるよりずっといい。
それがわかるうちは、きっと何度でもやりなおせるんじゃないか、という気がします。
時間はかかるかもしれませんが、痛みがわかるからこそ得られる自分への、そして他者への愛情があると思うから。

約束というものには、法律的なものだったり社会規範のようなものだったり・・・
いろんなかたちが存在します。
けれど残念なことにこの“約束”というもの・ことへの意識がすごく薄くなってきている。
「約束なんて破るためにある」とうそぶく人さえいる。
結果的に果たせないままになってしまうことは起きるかもしれない、だけど、そのつもりもなく簡単に約束なんてしてほしくない。軽々しく扱ってほしくない。
本来、それほどの重みをもつものではないかと思うのです。

私自身は・・・とても不安になることも多いから、約束というかたちはとれないのが現状です。ただ、かさねていきたい想いはたくさんあります。つたえていきたい言葉もいっぱいのこってる。
だから、というわけではありませんが・・・私にとっての約束は、言葉の、想いの花束・結晶だと思っています。
もちろん、小さな約束からきちんと果たしていきますよ。

永遠なものなどない、といえばそれまでだけど、時間の概念もそれぞれだし、大切なのは密度じゃないかな、と。人によっては一瞬が永遠に匹敵するほどのものであることもある。
そうして・・・いつおわるともしれない人生(いのち)だから、やはりおろそかにしてはいけないと、痛感するのです。

約束にはならないかもしれないけど・・・ひとついえること。
一度すきになった誰かは、ホントの意味できらいにはなれないだろうって。
だって、すきになったからわかったこと、教えられたことが数え切れないほどあるのだから、たぶん、忘れることなんてできないよ。会えなくなっても、ずっと大切な存在。

支えになってくれて、ほんとうにありがとう。

生きるとは、自分の物語をつくること

・・・生まれてから死ぬまで、どんなひとと出会い、別れ、どのような道を歩んでゆくのか・・・

特別な人生とは思っていない、でも、劇的であろうとなかろうと、それぞれの人生はその人にしか歩けないという意味で、やはり特別な人生なのだと思う。

私は自身を省みるとき、こころをたしかめるとき、どうしても伝えたい想いがあるとき、手紙をしたためることが多いようです。いまは・・・メールもそのひとつかな。
本業がらみもあり、いろんな書物にふれていると著者のかたと話したい、会ってみたいと感じることもふえてきました。
しかしながら、著名なかたにはお会いできにくいのはあたりまえ。ならばせめてお手紙だけでもと送ったかたもずいぶんあります。もちろん、反応があるのはありがたいですが、なくともいつか読んでくださるかも・・・読んでくださってはいるかもと思えば書けるだけでもうれしいのです。私自身、お便りはいただくとすごくうれしいので。

ただ、どうしても連絡先が分からなかったり、どんなふうにお話をしようかと悩んだりしたまま書けない手紙も存在します。
・・・そんなことを思いながら『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮社)を読みました。

題名に引かれるように調べると、小川洋子さんと河合隼雄先生の対話をもとにされていることがわかりました。以前、物語の効用についての小川洋子さんの本も読んでいたのでこれは絶対にはずせない、と思いました。
さらに河合隼雄先生。・・・なんだか、亡くなられたというのがいまだに信じられなくて。
ぼんやりとしか認識していないはずですが、私とても先生のこと好きだったのです。
たぶん、笑顔が印象的だったのでしょうね。
いつだったか『孤独』という本のことを書きましたが、あれはたしか河合先生のお墨付き(?)もあっただろうと。

人が生きていくにはさまざまな出来事が発生します。その時々にどう対処するかで人生は変化してゆく・・・ある場面であのときこうしていれば、という思いは必ず起きてくる。
でもそれは、結果がどうなったかは誰にもわからないし、確実なことはみんないつかこの世からいなくなる、ということだけです。・・・ただ、人の防衛本能もしくは機能というのはどこかにあって、耐え難い苦しみや悲しみを緩和しようとする働きがあらわれる。
それが記憶障害であったり、身体的な症状であったり・・・できればそうならないほうがいいのだろうけど、生きているならば。なんとかして生きていく、その手助けになるのが物語なのです。

本や映像、演劇空間のもの、のみならずつかもうとする意思が働けば音楽や絵画のなかにも物語は存在します。そして物語とは・・・文字通り「物」を「語る」こと。声(おと)や言葉(文字)だけでなく、黙ってしずかに、そばにいる、という行為のなかにも隠されているものだと感じるのです。
誰でも語りたくないことがあったり、語れなかったり。
けれど、「存在している」ことですでに自分の物語は始まっているのです。

手紙を書く、ということが相手との対話であると同時に自分自身との対話でもあると、ふと気づいた瞬間がありました。そうして、そのことが自分を生かしてきたのだということも。
すべての人が応えたわけではない、でも、語らない人も何かを察してくれたかもしれない。
だから・・・無理はしなくてもいい、だけど何も語らぬままいなくならないでください。
のこされた者は途方にくれるのです、どうすればよかったのだろうと、こころが壊れてしまうのです。

身近で、かたちは異なっても命のおわりにかかわるたび、自分のときはどうなるのだろう、という思いがよぎります。これまでも悔やみきれないことはたくさんあった。それならこれからはどうする?いまできることは?・・・たとえりっぱではなくても精いっぱい歩んでゆく、それが命あるもののつとめ・・・

みんな、互いに支え合って生きている、生かされているということを忘れずにいたい
“ わたしはあなたの笑顔が見たくて、ここにいるのですよ、きっと ”

☆モノクロブー★

キャラクター展開されているものは数知れず・・・
といって、全部に関心があるわけではない。
しかし、大半グッズとかってあるでしょ?
これがやっかいなんだよねえ。。。。

昔、よく集めたわな。
家んなか探せばおそらくナンか出てくる。

近頃はさすがにそんなに増やしてないけど、よわいんだよな~(泣)

これは私が気づくのが出遅れただけかもしれないですが・・・
ΦモノクロブーΦってご存じですか??
たまたま去年、ちょっぴりご縁ができ、気になっていたところココログのパーツにあることが判明しまして、設置してみたのです。・・・が
どうやら動作環境(?)が整備できてなかったらしくPCの動きが鈍くなったため、あえなくボツになっちゃいまして(すいません、メカ音痴です・・・)。
テンプレートで使用してるかたもいるでしょうし、公式サイトもあるみたいなので興味あるかたは調べてみてください。可愛いですよ*

ブタという生き物は、お国柄が変わると幸福の象徴になるようです。
観てないけれど、「ベイブ」って映画もありましたよね、たしか。
動物からむとどうもいかん・・・でもやっぱ、すきなんだよな

・・・で、何故モノクロなのか?
2009年って“うし年”ですよね。そっから派生してもわ~っと浮かぶ模様が
よくわかんないけど、新年にちなんで、かな??
あれ?そういえば以前、もーもーさんグッズがはやったことなかったっけ・・・?
いろいろ探したんだけど私の周辺では見なかったんだよねえ
何でやねん(涙)

∞ 浄化の一環 ∞

いまだにメカ関連の用語が分からず、もわっとした感覚のまま
・・・なので「これは何の意味だ?」・「だからどーする??」・「どうして動かん!?」
といったふうに表示画面を見るたびフリーズする私(汗)

ま、それでもあーだこーだとカタカタやってますよ、キーを。
昔「少々いじったっちゃ壊れんから」とある先輩に言われたことを信じて(・・・使い方による??)

そのスジに長けた助っ人がほしい、かも・・・・・・う、努力しよ。

2008年のおわりまでにできることはちょいちょいやっとりましたが、無理は禁物ということである程度で止めました。
越年したこともあるが・・・それはそれ。
2009年になりましたから気持ちをあらたに取り組むことにします。

・・・で、いろんなことの整理を。
達人たちのやり方をまねようと思ってもかなり難儀なので、ちょっとずつ、だね。
しかしこれはこれでけっこう面白いのです。以前なら全然やらなかっただろうから。
片付け、というよりひたすら「物を減らす」ことに従事する。そうやって収納できていき、空きスペースがふえていくと風通しがいいというか・・・ゆとりもすこしずつ生まれてくるんだよね。
ささいなことだけど、掃除機でちっちゃなごみが取れたり、落ち葉掃きをしたりしてきれいになるさまを見るだけでもいい気分になれます。

前はすごくきれいにならないとダメなんだ、って思ってたからどこから手をつけたらいいのかわからなかったんだと思います。負担が大きくて。
いまは・・・そう、しょってる荷物をすこ~しおろしてみたらどう?・・・という感じで。

自分が使わなくても誰かの役に立つかもしれない、と思えば気持ちよく送り出せます。
そんなふうに、物も、人の心も循環していくといいな。

片付け魔(?)の家人からみるとほとんど変わってるように思えない空間ですが(笑)、本人はそれでもせっせと空きスペースづくりに余念がありません。・・・こうしてると徐々に自分に必要なものがわかってくるし、思考もしやすくなっていくみたいです。
あ、もちろん、ほかのことにも精進してますよ、のろいけど・・・

銀の龍 風のなかで

「俺」という器のなかに
最初に入り込んだのは誰だ?

もしかしたら、火龍
・・・彼、『蒼一』だったかもしれない
あのころの「俺」に似ていた

対極にあったのは、翔
だが彼のなかにも
火龍と共振する部分があった

博夢は・・・人間の最期の良心
どれほど闇に呑まれようと
絶望しかなくともかすかな、
希望(あかり)が見えた気がした

自分には何もないと思っている、武士
彼もまた「俺」なのだと感じている
しかし彼はすでに多くのものを持っている
気づかずにいる、というだけ

彼らを知る者がどのくらい存在するか
在るとしても、とらえかたは千差万別
ただ「何か」を見つめてくれていたら
気づいたなら、それ以上の幸福はない
仮に気づかなくとも悲しむことはない

「俺」もおそらくはまだ、真に気づいてはいないだろうから

それこそが、生涯をかけた命題

~『君はそれ以上』によせて~

魂の在処“銀の龍の背に乗って”
 Song by Miyuki Nakajima

なごやかで幸福な2009年で~異質なものから学ぶこと

*あけましておめでとうございます*

楪(ゆずりは)です。
本年もよろしくお願い申し上げます。

皆様はどのような時間をおすごしでしょうか?

ふだんもそれほどテレビは観ないので、特別番組の多いこの時期もさして変わりはないのですが、小さな子どもがいる環境もたまに生じ、それによって気づかされることも少なくありません。
・・・何気なくみた作品で。不覚にも涙がこぼれそうになりました。
あたりまえのようであたりまえでない、子供と大人は違う・・・
そう言ってしまえばそれまでだけど。
「信じる」ということは、かくもむずかしいものなのだな、と

親子、きょうだい、夫婦、恋人、友人、仲間、主従関係・・・
つながりというものにはいろんなかたちがあります。
ある日気がつくとそばにいて、あたりまえになっていることもあれば
たまにしか会えなくても築いてゆける間柄もある
また、ものすごい葛藤ののちに生じる結びつきも
・・・ひとつ感じるのは、深くてながいつながりというのは時間をかけて形成されるものであるということ

それほどの時間があれば、双方にさまざまな感情が起きてくるのは自然なこと
わずかな行き違いで疑惑や疑念が発生することも、当然だと思います。
でも、すぐに忘れてしまえるものでなければそれは、放っておいてはいけないと思うのです。
多くは、きちんと話をすれば歩み寄れることなのではないかな。
無論そんなエネルギーを使いたくない場合もあるでしょう。
けれど本当に相手とのつながりを大切にしたければ表面をつくろうのではなく、素直に気持ちを伝えることを考えたほうがお互いのためになるような気がします。
そうしないといつまでも傷が癒えないまま、恨みや憎しみに変わってそこから動けなくなってしまうから。
仮に大喧嘩してそれでおしまいになっちゃったとしても、「やれることはやったんだ」と次へ進むことができるかもしれないし、時が経ってより良い関係になれることもあるかもしれない。

子供であれ大人であれ、絶対ということはないのだから「疑う」ことはごく自然なことです。
むしろそれは「信じる」ことの裏返しなのですからそれだけ相手を必要としていると考えたほうがいい。大切なのは、自分の想いを伝えると同時に相手の想いにも耳を傾けること。
・・・簡単ではなくても、感情的にならずに話すにはどうすればいいか、もし、そうなってしまったらどのように対処していったらいいか、とことん思案してみる。

自分と相手は同一ではありません。だから、全部を分かることは不可能です。
でも、知りたいと思い、少しずつ距離を縮めていくことは可能なのです。
一見まったく異なる考え、価値観、思想のように感じられてもどこかでつながることもあり得る、それをさっさと排除してしまうのはもったいない。それに、どうしても合わないのだとしても、そういう考え方もあるのか・・・と認識することは人としての幅を広げることにもなる。

私もそうだけど・・・「優しさ」や「想い」というのは、言葉だけでは分かりづらいし、気づきにくいことも多いんですね。それぞれにとらえかたが異なる訳ですし。
どうしても言葉で素直にいえなくて、まるっきり逆のことをしてしまうひともいる。
・・・それでもほんとうに嫌いでないのなら、態度や仕草のどこかに表情が隠れていることもあるかもしれないから・・・感覚を研ぎ澄ましてみることも、きっと大切。

「異質」である、という括りも実は危険なのかもしれない。
自分とは違う・・・理解できない・・・近寄らない・・・
私が「書く」という行為に重きを置くようになったのは、自身の内面にひそむものと対話が必要だと感じたからかもしれません。同時にそれは、他者との対話。
よくはわからないのですが、いつごろからか自分の立ってる場処がみんなとちがってる気がして置き去りにされたように思えた。それを物語に変換したときに生まれたのが『君はそれ以上~出会い』だったのだろうと。

こころは、みることができません。故に自分で気づかないうちに傷つけてしまうこともあります。最近になって思うことは・・・あまり「~でなければならない」と縛りをつくらないこと。
そして、何かが起きたときに恐れるばかりでなく展開してゆくことを信じ「~かもしれない」へ変換していくこと。
つらいこと、苦しいこと、悲しいこと、いろんなことがあるけれど・・・
ささやかなしあわせを感知できるこころを保ちながら、笑顔になれるときもあるといいですね。

楪 蒼朋

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