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文(ふみ)をしたためる

書道にたけている、というのであれば格好もつくのだが。
筆文字はきらいではない、しかし
私は美しい文字が書けないのである。

もちろん、相応の手法で「美しく」書くことは可能であろう。
けれどいつしか字体に対するこだわりは薄れた。
それよりも自らの手で書く、ということに重きを置きはじめた。
・・・故にただのあがきではあるが、道具に気持ちをそそぐことを
おぼえているところだ。

字体は急には変わらない。
美しい、にはほど遠いけれど何で書くかにより、
変化はみえる。・・・気のもちようでもあるが。

言葉を具現化するにはメールや文書作成ツールでもかまわない。
それぞれの良さはたしかにあり、私もつかっている。
特にメールについていえば、そこでしか書けない、ということも存在する。

手書きなどというと時代遅れもはなはだしいという向きもあるかもしれない。
そのことを、人に押しつけるつもりはない。
でも、わかる人にはわかると思うが・・・自筆の手紙をもらったときほど
心躍る瞬間はない。いや、事務的なものでなければ
ワープロで書かれた手紙にも感極まったことがある。
だから、なのだ。
私はアナログ傾向が大きいため、との理由のみでなく、
手紙であるからこそ伝わるものがあると信じ、決して
文をしたためることをやめずにいるのだろうと。

これにはもうひとつ理由がある。
・・・心身が機能していることの確認である。
「手」で「書く」とあたりまえのように言っているが、その「手」が
物理的に動かせないことを考えることがあるだろうか?
一時的に不自由になることで苛立つことはあると思う。
でも、それがずっとだったら?
実際に私は・・・機能がストップしてしまい、「絶望」がよぎったことがあった。
しかもそれらの多くは精神的なものと連動していると考えられるため、
治癒しているようにみえてもいつまたその症状に襲われるか不確かである。

恐怖心がないといえばウソになる、けれどじっとしている訳にはいかない。
私の場合、「書く」ことがすべてにつながっている。
そう自覚したときから字体も形式も気にしている場合ではなく、
「伝えたい」・「伝えなくては」との想いから言葉を綴り続けている。

非常識なことも多いだろう、無作法も承知している。
だが、自分の運命は誰にもわからない、明日どうなっているのかさえ。
この世から消えるそのときまでにやれることはやっておきたい、それだけ。

心身のバランスを極度に欠いているときは、書けない。
ただ、そういうときだからこそ書ける、書きたいかたもいる。
すべてを伝えることは無理だろう、それでも可能なかぎり
真実の想いを届けるために

『文をしたためる』、ということは私にとって何をおいても尊重される、
財産のようなものなのである。

“幸福であるように”
そんな祈りもこめて

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