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2008年5月

単行本の重み

中島みゆき氏の“パラダイス・カフェ”がわんわん鳴り響いている・・・とくれば気分はハイなのかと思いきや、テンションはさがっていく~~~色々あるのだ、イロイロね(涙)

この天候とも無縁ではあるまい。ちときつい・・・ゆっくり、ゆったり・・・

持ち運び、価格の面からも文庫は手軽だな、と思いますが実は私は単行本好きでして。

といっても、収納のことや経費考えると簡単には手が出せない。ただ、本によっては文庫になるかどうか微妙なこともあるし、タイトルやデザインが変わってしまうこともあるため、どうしてもはずせないと感じるときは単行本を購入します。

自分が出版にかかわったからよけいそうなのかもしれませんが、装幀というのは本の顔ともいえます。・・・もちろん、内容は吟味しますよ。そのうえで装幀がしっくりくれば単行本ならではのあじわいがあるんですね。時には怖じ気づいたりもしますけど(笑)

単行本だと殊に、著者のかたはじめ本にたずさわるかたの職人さん的こだわりが伝わってくる気がします。そういう空気に圧倒されて手にしてしまうものも、まれに。

読みかけの単行本が何冊かありますが、最近購入してはやく読んでしまいたいなあと思っているのが伊集院静さん『羊の目』(文藝春秋 刊)。この本は新聞にちらっと載っていたのが気になって調べたんですが、通常の伊集院さんの物語の雰囲気とはずいぶんちがう・・・でも、人間を描く点では目線は同じかもしれません。本音としては、少しこわかった。だけど、いまだから読んでみようと決心して。

言葉をかみしめながら、読み進めています。

・・・知らない世界がまだまだたくさんある・・・

届かなくても

・・・お手紙が書けないので、少し、話してみようと思います。

中川さん、根本さん、角南さん、・・・お元気ですか?

近くにいたら、もっといろんなお話がしたかったな、と。もちろん、きちんと対面して、ですね。仕事上のこと、ということであればどのように思われていたか分かりませんし、多くの人とやりとりしているのですからご迷惑もかけてしまっていたかもしれません。

本好き、ということはあっても読書家ではないし、作文はうまくない、それに特殊な技能を持っているわけでもない自分が本を出すことなど思いもよらないことでした。・・・それほど劇的な人生を歩んだとも思えない平凡な・・・面白おかしく文章を書くこともないから、総じて暗めの情景になってしまう。

エッセイは軽やかな、明るめの話をつづらなければならない、だから日常で苦しいことがあるならそれを小説に転化して・・・という意見を聞いたことがあります。それも正論だとは思う。でも、言葉という形にすることが困難で、つづっていくこと自体が苦痛をともなう場合もあるのです。作家という立場でなければなおさら・・・それこそ傷が深くなり、血を流すような想いで。

人はいずれこの世からいなくなるものだから何も残さなければ潔いのかもしれない。専門の立場の人からすれば愚かだと一笑に付されることだろう・・・それでも私はかまわなかった。どうしてもいま、このときに。そう思ったとき、機会はおとずれたのでした。

家庭がある、結婚している、子供がいる、活躍できる仕事がある。そうしたことで何かをのこしていける可能性はある。けれど自分にはそのとき何もなかった、これからどうなるのかさえ分からずに恐怖だけが支配する日々のなかにいた。・・・馬鹿だというならそれでいい、生きている証をのこしたいと。

たいそうおかしな人間だと思われたかもしれません。ですが、やりとりできる時間が、私には貴重なものだったのです。それまで過ごしてきた時間とは異なる、密な空間・・・

心身の調節のため、以前にもまして「書く」という作業は不可欠なものとなってしまった。これがなければ呼吸もままならなくなるのです。・・・といって、近くにいすぎて言葉にできない相手もいる、そんななかでつづった手紙やメール、それに対するお返事にどれほど支えられたか。

いまどき手書きの便りなど古くさい、書物ですら恰好のいいものではなくなっている。それでもおそらくしばらくは、私は此処に、手紙や書籍、活字のとなりにいたい。

有意義な場処を与えてくださったことに感謝いたします。

楪 蒼朋

なみだがこぼれる

かなしくはないのに

さびしいわけでもないのに、

・・・どうしてこんな感情(もの)があるんだろう

じぶんが時々わからなくなる

だけど。。。

いろんなものをあらいながして

いつか大地にかえりたい

そうして其処に、

小さな花を咲かせたい

たいせつなものをみつめるために

季節ころころ

新緑の五月。みどりは目にいい、という話だし森林浴・・・とまではいかなくても香りがすると落ち着く側面はあるので心地好い気候、のはずなんですが。

しっかり記憶してる訳ではないので感覚のみですが、どうもややこしい天候続きで人間はもとより、敏感なほかの生き物もとまどっている、そんな感じではないかな?

晴れや雨の移り変わりならまだしも、気温の変動が極端なので反応しづらくなっているようです。北海道や東京あたり(あくまでも入ってる情報から判断して感じる部分)はかなり影響あるんじゃないかな・・・風邪ひきさんもふえてるもよう。

ここんとこからだがちょっと・・・といってもおそらく風邪ではありません。こころのモンダイだからね、どっちかといえば。むろん、生き物だから自然界の影響もあるけど。じょうずに付き合ってくしかないんで、あんまり気にしないようにしてます(笑)

春と冬と夏のごった煮(!?)のような気候ではあるけれど確実に時は移っているわけで。

一瞬「あれっ」と思ったのですが・・・そっかあ。時季としてはまちがってない・・・

郵便局でのひとコマ:『暑中見舞いはがき』のご案内

例年、何通かは書くんです。さすがに年賀状のようにたくさんは無理だけど。

私にとってはだいじな、夏の風物詩。

ことしはどうしよっかなあ・・・?

おっとびっくり“銀幕版”!!

こういう役を大マジメにやれるひともあまりおらんだろうな~とドラマ観てるときから思っていたが。・・・企画もすごいよね。ちらっと見た評論家の先生のお言葉は、立場としてはそうくるよなと予測したけど好みの問題もあるし、どっかで楽しめればオッケー!てなわけで予定通り。

銀幕版になりました「スシ王子!」でございます(笑)

この『スシ王子!』には~ニューヨークへ行く~というサブタイトル(?)がついているのですが、何故ニューヨーク??・・・ま、そりゃともかく。お寿司って実際どれくらい外国の人には受け入れられているのでしょうか?この作品観る直前になって、唐突に学生時代の英語の教科書に寿司の話があった・・・と思い出しまして。あれからずいぶんたってるし。

日本における中華料理のように、独自の進化をとげて受け継がれるといいなあ、なんて考えちゃってました。

本編については・・・私的に「ぎょ!?」と思ったこと、ありました。反応しない人もいるでしょうけど。司ってキャラは現実味うすいかもしれませんが、人間的には共感できるとこもあります。私は武道はやらないですが、精神性は学べる部分もありかな、と。果たして司と光一さんの間に通じるものはあるのかないのか分からないけど、やっぱこの役は光一さんだからできるんじゃないかな。

今回楽しみにしていたもうひとつの理由。ずばり、北大路欣也さん。時代劇好きな私としてはすごくうれしくて。現代版ドラマも観ないわけではないのですが、必然的に時代劇でお目にかかることが多いですね・・・(少し前話題になっていたあの有名なドラマは観ていません。ものすごく苛烈な物語だったようですが)・・・近作では月曜にやってた時代劇での父娘の微笑ましいやりとりが印象深い。笹野さんや梶さん、寺島さんといった個性派ぞろいの作品でもあったし。今回の作品でも独特の存在感をだしてらっしゃいます。

こういうときみんなどこまでしゃべるんだ??・・・とにかく、笑えるところでは笑い、真剣に観るところは真剣に、泣けるところでは泣き、じっくり観てほしいとしか言えん・・・

ところで寿司のネタってどれが人気なんだろう?

元祖は・・・!?

スクリーンセイバーにお魚たちがあらわれて画面戻そうとしたら投稿完了になった・・・

大丈夫か??なんにも書いてなかったんだが。

・・・突然ですが。芸能情報にうといのでちょっと質問。

『堂本光一さんって、元祖“王子”なんですか?』

いえ別にそのことがどうって訳じゃないんですが、どっかで書かれてた気がして。

芸能界でそれらしいイメージの人は数名浮かぶんですが、なにしろこのところ王子ばやり(?)なんで、誰彼かまわずつけりゃいいってもんでもないだろうに・・・とふと思って。元祖が誰ってことには興味はないんです。

そもそも元祖って言葉に重みはあると思うけれど、たとえばラーメンとか名物とかでもまったく同じものっていうのはないからそうした意味ではみんな元祖、たりうるんじゃないかな。それぞれに気に入ってくれる人がいるんだしね。

ホントは映画の話をしようとしてたんですが記事がちゃんとのっかるか心配になってきた・・・いったん撤退しまーす!

次、話題かわってたらごめんなさい(汗)

すごいことになっている??

うーん、このところ観たい映画がなかったんでごぶさただったんですが、行って来ました映画館。しかも「映画の日」!・・・これもまれだね。

去年の秋ぐらいから前ふりあってたんで、ずっと待っとりました、劇場版『相棒』。

しかしまさか5月1日公開とは・・・(驚)

なんだかいろんなところで話題になってて、CMもけっこうやってますが都会ではいったいどうなっているのでしょう??

ごらんになってないかたもいるでしょうから内容にはふれませんが、ドラマのほうを知らないかたでも楽しめるのではないかと。(たしか和泉聖治監督も、そのように話してらしたような・・・)ドラマを知りつつ観るにしても、感じかたはそれぞれちがうと思うので。

「相棒」という作品に関して思うこと・・・そうだなあ、人物が人間くさいというか。こういう人、いそうって感じたり。めっちゃかっこいいってんじゃないけど薫ちゃん(寺脇康文さん)に惚れちゃう美和子さんの気持ちはわかる気がする(笑)人が気にならない細かいことが気になる、アンテナが妙なところに反応するってのは右京さん(水谷豊さん)と近い側面ありですが、私ゃ天才じゃないしねえ・・・チェスも分からない。やるなら将棋かな?(ルール覚えてないけど)

もしも作品世界に入るとしたらポジション的には鑑識の米沢さんみたいに趣味や興味において右京さんと馬が合うとこがいいな。・・・でどこ?ってきかれると困るけどね(汗)・・・あ、そうそう、ドラマのエピソードで右京さんの親戚にあたる(?)娘さんが登場したことがありましたね。そういう間柄も楽しそう・・・えっと、原沙知絵さん・・・が演じてらしたのかな?

ドラマのメンバーにしても劇場版にしても、出演されている顔ぶれは個性的なかたばかりなので役とあわせて観るのも面白いかもしれません。

・・・さて、あなたはどこにポイントを置く?

私にとって「相棒」、右京さんと薫ちゃん、水谷さんと寺脇さんは最高です。

*「母の日」といって私には特別なことはできないけれど、ホントは日々、「母の日」と呼んでもいいのかもしれません。誕生日も、産んでもらったことに感謝するという意味ではおなじ。・・・かなしみを負いながら、それでも生まれてくれてよかったと言った母のことばが時折、胸にちくっと響きます。ただ、けんめいに生きてくしかない・・・

葉祥明さんの『母親というものは』という本だったと思いますが、母の視点でも子の視点でも読める、素敵な本です。・・・いつでもそばにいるよ、と声がきこえてきそうです。

闇は其処彼処に転がっている

・・・じわりと感じつつも、言葉にしづらい・・・

人はどう思っているか分からない。でも、完全なる善も悪もないに等しいのではないだろうかと。一人の人間のなかにもそれは、比率のちがいこそあれ存在するものだから。

問題なのは、そのバランスを個々がいかにとっていくか・・・

おそらく個人単位ならば簡単にはいかないことが、集団になると恐ろしい様相を呈することがある。たとえば世論、大衆心理、メディアの力。

・・・気づいている人もいるだろう。何故かそうした大勢は良いことではなく、悪いことのほうに反応する。事実は渦中にあってあいまいなままうねりに引きずられていく。・・・自身が当事者ではなく、安全な圏内にいれば事実や理由はどうでもよく、一時的な攻撃のはけ口にしているにすぎない。それが証拠にある時期を境に、ぱったりと騒ぎはやんでしまう。まるで何事もなかったように。

忘れることができるから人間は生きていける。それも防衛本能のひとつだろう。

現実に恐怖をおぼえることが多くなったのもひとつであるが、ある作品を観てその想いは強くなった。・・・ただ、恐れるだけなら言葉にはしない。いまは対岸の火事のように思えても、誰のそばにも確実にそれはある。他人事などではない。本当にわずかの違いだと思っていい。

当事者となった人間には「忘れる」という単語は存在しない。永遠にあり続ける。

作品のなかで、『憶えていることのほうが大切なこと』といった主旨の発言がでてくる。・・・それがどんなに残酷な真実であっても。

自分の醜さや卑劣さは目をそむけたくなる、認めたくないこともある。けれど、そのことも見据えるしかないと自覚するときは必ずやってくるように思う。人は、それほど強い生き物ではないのだから。

忘れてはいけないこと、苦しくてつらくてたまらなくて忘れようとしてもできないことがある。その気持ちがたぶん、生きている証なんじゃないだろうかと。

結束をかためるのなら、責めることではなく何かを救うために動けたらと思っている。「救う」とまでいかなくても、きっかけをつくる、ほんのすこし手をさしのべることから始めて。

私もかつてそうだった。助けを求めることは弱いことで、やってはいけないことだと考えていた。でも、ひとりで背負えることには限界がある。身近なひとだからこそ迷惑をかけられないと耐えてしまうこともあるだろう・・・それなら、ほかへ目を向けてほしい。容易には見つからないかもしれないから根気は必要になる、けれど何処かにあなたが必要とするひとがいる、そして、あなたを必要としているひとがいる。

暗い場処をさまよってきたからできることがあなたにはある。

・・・そのことを忘れないで

いまは会えないひとたちへ

自分のことを肯定することは大切だとよくいわれます。そのこと自体に異論はありません。

・・・でも、意外にたくさんの人が自己否定をしていたり、自分を好きじゃないと思っているようです。かくいう私もそのひとり、だったというのが正確かな?

好きになれない、という根本には人との比較があります。私もずーっと気になって仕方なかったし、いまもまったくないとはいえません。・・・だけど。自分で自分をのっけから否定しちゃったら、誰が味方になってくれるんですか?

それなりの年数を生きてきてやっと、100%じゃなくっていいんだ、と感じはじめた私。

もっと早く気づく人もいるだろうし、まだそう思えない人もいるでしょう。それならそれでもいいんです。ただ、あまりひどく傷つけないでね。と・・・

まわりの人も、知らないだけで同じような悩みをもっているかもしれませんよ。そして、いまのままのあなたのことをすきだと思っているひとや、いろんなことしりたいと感じているひともいるかもしれません。・・・それはきっと、あなたを通してじぶんをみつめる、いわば鏡のような存在になっているのだと。

子どものころからずっと、とくに友達がほしいとかいらないとか考えていない人間でした。ひょっとしたら自分のことにさえ興味がなかったのかもしれない。それでもちゃんと見ていてくれるひとがいて、想ってくれるひとがいたことが私をここまで連れてきてくれたのだと実感しています。

言えずにしまった想いや、ちゃんと応えることができなかったこと、ごめんなさいもありがとうも届けられなくなってしまったひとたちがいっぱい・・・ほんの一部ですが思い出して綴ってみたくなりました。榎さん、小林さん、立川さん、海野さん、田下さん、黒木さん、福間さん、渡辺さん、そして江藤さん・・・みなさん、お元気ですか?たとえ会うことがかなわなくても私のなかにみなさんの存在はあります。大切な財産です。・・・ひとときでもいっしょにいてくれてありがとう・・・

さて、きょうは「こどもの日」。連休期間にあることもあって、子供メインのところも多いでしょう。・・・ですが、よく考えてみるといまは大人と呼ばれているひとも、かつては子供だったのです。

あなたのまわりにいるのは、どんなひとですか?

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