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2008年4月

こころで観る風景

いつだったのか、ほんとうにみたのかはっきりしない

・・・ただ、何処かに棲みついて離れずにいる・・・

東山画伯の絵はまさにそれでした。

「生誕100年 東山魁夷展」が東京で開催されています。おそらくそれがきっかけになって・・・だと思うのですが、すごく絵がみたくなって。ちょうど新聞広告に作品集のことが載っていましたから、迷わず購入を決めました。

講談社から出ているアートアルバム(全3巻)です。

・・・いまはまだ途中までしかみていないのですが・・・じぶんのなかではもとめるものにめぐりあえたかな・・・という想いがあって。行ったことのない場所を旅しているようで、実はしっているのかもしれないと感じたり。身近でありながら別次元のようにも感じられるしずけさをたたえているのです。

水彩画でも油彩画でもそれぞれのよさがあり、好きな絵はたくさんあります。・・・ですが、視覚的であって距離をもつほかの絵と東山画伯の絵画との異なる点は、~わたしなりにあらわすと~じぶんがそこにいるかのような、絵画と融合していく部分にあるのだと。

みたのかどうかはっきりしない、というのはたぶん、視覚でとらえるより“こころ”に映っているからかもしれません。

お写真でしか知ることのない東山画伯ですが・・・ぜひお会いしてみたかったです。

ふだんはとくに意識していなかったのに何故かいま・・・・・・

白い馬が、いえ、画伯の魂がささやきかけてきたのでしょうか

蒼龍

ひとつ、課題をクリアしました。

山本一力さんの『蒼龍』(文春文庫)。

・・・実はこの本、単行本のとき一度挫折しまして・・・

タイトルが好きだったし、一力さんの本をどうしても一冊読みたくって購入したのだけど無理がたたって危うく活字離れしそうになり手放した。作りがしっかりしてたから惜しかったんですが。

いつか読んでやる!・・・と思いながらどれくらいたったのか。でも、これは絶対に読んでおかないと前に進めないと感じていたのでした。

一力さんはテレビでお姿を拝見したのが最初でしたが、ものすごくお話に説得力があり、また、声がとても魅力的なかただな、と。・・・そうこうしてたら何と、講演会へ行けるチャンスができ、もちろんダッシュで(!?)一直線。すべては分からないけれどいろんな体験をされていて・・・自分が知らない世界のことだから、しっかりと耳を傾けてききました。

時代小説をたくさん書かれているのでこれから読む機会もあると思いますが・・・この『蒼龍』は短編集になるのかな?

人と人とのつながり、家族の情愛、夫婦のかたち、幸福とは・・・・・・

そうしたことが根底にあるような気がしました。いま、あたりまえのようにある暮らし、そしてそばにいる誰か・・・それがいつ、くずれさるかもしれない・・・そう思うと一分一秒が愛おしいものになるのではないでしょうか。

山本一力さんを語るにあたって“明日は味方”という言葉を耳にしています。この言葉が、いつしか私のなかでおおきな支えになっていました。・・・次の瞬間どうなっているのか、明日はやってくるのか誰にも分からないことだけど、もし仮に希望が見いだせない今日であったとしても明日はちがうかもしれない、明後日は、その次は・・・それを積み重ねていくことが大切なのだろうと。そうして自身が最大の味方であり、誰かの味方であれたらと切に願うのです。

・・・どうか“あした”が、あなたにとってささやかでも幸福なものでありますように

・・・植物だって生きてるんだよ

このごろ、全国で植物の災難のニュースが多い。

折られる、切られる、踏み荒らされる・・・

単なるいたずらのつもりか、騒がせる目的なのか、それとも人にぶつけられない不平や不満を物言わぬ植物に向けているのか。

時折起きる、動物への虐待にも感じることですが・・・

仮に捕まっても大した罪にならないと思っているかもしれません。

だけど、法令上はそうでも、植物も動物も生き物なんです。

自分が育てた、可愛がったものが傷つけられても平気ですか?

踏みにじられても怒りは感じませんか?

痛いのは、人間と変わらないんです。ただ、話せないだけで・・・

きょうは。。。。

「何々の日」、というのは祝日ではなくてもほぼ毎日、ついているようです。

ちなみに本日は、何年か前に見た新聞記事によれば『発明の日』となっていました。

たしか平賀源内さんがらみの話・・・エレキテルの人ですね。このかた、当時の人としてはかなり特殊な(?)感性をもってらしたようで、いろんな意味ですごい人だったんですねえ。

もうひとつ、お香のことについて検索していて、あるページをみるとそこにあったのはずばり『お香の日』。・・・なんだか由緒ただしき記念日のようでして、思わず感心してしまったのでした。

母の日、父の日、こどもの日、・・・それぞれの家庭、団体、人によって特別な日はさまざまだと思いますが、きょうがなにかの記念日になってらっしゃるかたへ・・・

☆おめでとうございます!☆

しっかりたのしんでくださいね。

ずっと変わらずに

検索をかけると記事があるかもしれません・・・

地域によっては観てらっしゃるかたもいると思います。上映会の話。

『風のダドゥ』という作品です。

人々のあいだをつなぐ存在として、馬が鍵となっています。

馬は私にとっても縁の深い、大切な生き物です。

上映会は全国をまわられる予定だとうかがったので、お近くで情報が入りましたらぜひごらんになってみてください。

まったく意図していなかったのでびっくりしてしまったんですが、制作された中田新一監督とも少し(予定になかったはずですから貴重なお時間をいただいてしまって)お話をすることができました。この場をかりて厚く御礼申し上げます。

“・・・いのちの器がなくなっても、時代が移り変わっても、ここに、風は吹き続ける・・・”

“何故、生きなければならないの?”

・・・半月ほど前に、ある作品の上映会へ行ったときのこと。

物語には、こころに深手を負っているであろうさまざまなひとたちが登場します。

リストカットを繰り返す少女、声のでなくなる病に苦しむ少年、教え子の死に責任を感じて辞職した教師・・・

“生まれてこないほうがよかった無駄な命”・・・そうした想いをいだいたことはありますか?

年間の自殺者の数は3万人といわれますが、未遂も含めると15万人にふくれあがるのだそうです。

戦後の話をきくと、生きるために必死だったから悩んでいるひまはなかった、といいます。・・・もちろん、物理的な悩みはたくさんあったでしょう。でもそれは、現代のそれとはおそらく中身がちがう。つかめない、理解できないと思う人は多いでしょう。ぜいたくな話で、甘えている、弱い、といってしまえばそれまでです。けれど、何処かで誰かが自ら死を選んでいる現状は変わっていません。もはや単なる精神論だけで片づけられる問題ではなくなっているのです。

いつ身近なひとが、そして自分がそのような状況におちいるかもしれない。・・・私自身、すべてではないにせよ、彼らの状況と酷似しているところがあり、上映中息苦しく、見ていてつらく、痛くてたまらなかった・・・おわりまで正気でいられるか不安でした。

最も不調のどん底にいたときよりは比較的安定してきているとはいえ、自分ではどうすることもできない感覚に襲われて外出が恐ろしくなることがあります。それ故、この日も気力がもつのか心配だった。上映がおわって会場が明るくなったとき、ここまでたどりつけたという安堵感が、私を充たしていました。

・・・問いかけに対する答えはでない、また、問われても答えられるのかわからない。それでも生きなければならない・・・・・・

たまに・・・

ちょこちょこ片付けをします。精神衛生上(?)、なのかむしょーにやりたくなって。

ポイントを決めて、よくばらないよう気をつけてますがモノが減る、とか、秩序がうまれる(?)、とかいった状態になるとすこしほっとします。・・・得意ではないですが、つとめて減らす方へもってったり、増やさないようにしたり・・・配置がきまらないときは買わないようにしています。

達人にはならなくても、理想のお部屋づくりに挑戦しようっと♪

・・・要はじぶんの心地好いスペースを創り出すってことですね(笑)

*お知らせ*

訪問くださるかた、コメントされるかたへ、有り難うございます。コメントはきちんと読んでいますがお返事はすべてにできるわけではなく、また、からだの具合によっては読めない期間がながくなることもあります。どうかご了承くださいませ。(パソコン扱いつけないのでヘマをやらかして失礼していることもあるかもしれません、ごめんなさい・・・)

気力がとぎれないよう、すこしずつ進んでいきますので今後ともよろしくお願い申し上げます。・・・再訪くださるかたもいらっしゃるようで・・・感謝です!!

海辺の扉

きょうは、清明。天(そら)が澄みわたる・・・・・・

そのことに気づくには、暗雲や嵐をこえていかなくてはならない。

綺麗なものを“きれい”だと感じるこころを、いつしかうしなってしまうんですね。

上・下巻に分かれている『海辺の扉』(宮本輝 著:角川文庫)のことを知ったのは、ついこの間。鷺沢萠さんの解説を読みたいな、と思い本屋さんへ走りました。

刊行されたのはずいぶん前なのに、不思議といま自分が抱えている課題に密接にかかわっている気がしました。・・・人とかかわることで傷つく自分、そして自分も誰かを傷つけている・・・かかわらなければこんなに苦しいことはない、痛くもない、それでもかかわらなくては生きていけない、かかわりたい・・・矛盾した思いのなかで日々を過ごしている。

それはもしかすると本能的なものに反応するのかもしれない、とこのごろよく思うこと。

人が誰かに、何かにであうとき、どこかに惹かれるものがあるのだと。ことばではうまくいえないのだけど、生じるべくして生じている、そんなふうに感じるのです。・・・これが十年前だったなら、五年前だったなら気づくことはなかった、理解できなかった、というような。そこをたどってきたからこそ「わかる」感覚というのがあるんじゃないだろうか?・・・あくまでも一個人としての考えです。特に分野として学んでいるのでも能力としてもっているのでもありません。

ある時期から私はよく、逢うことのかなわない、逢えるはずのないひとたちに逢いたいと感じるようになっていました。このことが、『海辺の扉』の鍵にもなっているようです。他社からの文庫版も出ているので読まれたかたもいらっしゃるかな・・・?

あなたがもう一度逢いたいひとは誰ですか?

『鷺沢萠さんへ ありがとう

 わたしはあなたに逢いたかった・・・』

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