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2008年3月

虚構は虚構にあらず

・・・舞台演劇に最初にふれたのは学生時代。そのころはまだ、自分の日常にかかわってくるものだとは思わなかった。

急激に接近したのは近年、しかしこれは時間軸が人によりけりなので長短はわからない。

直近の舞台では、タイムトラベルが主題であった。こうなるとファンタジー・SFといった区分が浮かぶかもしれない。けれど、タイムトラベルにせよパラレルワールドにせよ研究の余地があり、実際に科学的に論じられている側面もある。そう考えると単なる夢物語とも思えない。

友人のひとりはそうした分野を勉強したかったと言っていたが、私は専門的にではなくても知りたい、とは思っている。関心はおそらく早くからあった。

ふつうなら、舞台を観て面白かった、感動したですむのかもしれない。共感するところはあるにしても、非日常でありその場かぎりでおわる。・・・けれど私には素通りできない。いつのころからか舞台空間は非日常でありながら、どこかにまといつくものになっていた。自分の一部と化していくのである。

そもそも日常とは何なのか?自分の目にしているものは本物なのか・・・

疑問を投げかければきりがない。でも、舞台というのはある意味で見たくないものがさらされる場処でもあるような気がする。何故ならそこにいるのは生身の人間であり、多かれ少なかれそれぞれの人生観が交錯するからだ。

つくりごとをそのまま右から左へ追いやるのは簡単だろう。けれどもし、その出来事が形をかえて自分にふりかかったら?・・・そう考えたことはあるだろうか。物語や作品のジャンルが問題なのではなく、人間の存在そのものが謎にみちていることを忘れてはいないだろうか。

物語では、タイムトラベルによって歴史に狂いが生じ、多くの人の人生を変えてゆく。理性ではどれほど無謀なことかわかっていても感情には、心にはそむけないことがある。それはふだん、現実と呼ばれる事象のなかにも多くある。自分の行為によって誰かが傷つくかもしれない、傷つけたくない。だけど、どちらも避けることはできない。

人生のすべては夢のようなものである、といった言葉を耳にしたことがある。はかない、とよくいわれる。ならば一瞬たりとも無駄にはできないだろう。

その一瞬のなかに、無限なるものが秘められているかもしれないのだから

こころのなかで

熱風書房も マウンテン ルートも 新風だよりも

かたちはなくなってしまったけれど

人々の想いが行き交う場処にかわりはない

その森も、洞穴も しずかに息づいている

著者のみなさんとの交流は ほとんどもてないままだったけれど

それぞれにがんばってらっしゃるようすは伝わってた

・・・よわむしなじぶんがくじけそうになったとき、そこへ還りたい

それが何よりのしあわせ

だからずっとおぼえていよう、この場処を

わたしは新風舎がすきだった

ここでの出逢いはみえない、おっきな存在からのおくりもの

そうしてここから、なにかがはじまっていく・・・・・・

いのちの彩り

桜の花が咲き始めたようですね。ずいぶんあたたかくなりましたが、朝夕はひんやりすることもあるし、お天気でも気温が変動します。風邪にはお気をつけて・・・

春のイメージというと、うーん・・・・・・あお、みどり、ピンク、黄色、赤・・・いろいろありますが。特に花見、とかしこまったことはしませんが、歩きながら見かけるお花につい顔がほころんでしまいます。葉っぱもきれいになっていきますね。

植物もいきなり変化するのではなく、みえないところでじんわりと生命を育んでいる。・・・ときどき、自分の道行きがわからなくなってしまうけれど、そうした小さなささやきを感じながらすごしていくことができればもうすこし歩けるかな?

できるだけ明るいうちに作業を、と思いながら夜になっちゃった・・・

風の音、小鳥のさえずり、植物の香り・・・そこには生きている証があります。

本読みその他のペースも落ちてきてますが、調整かけながら進めていこうと思ってます。

・・・訪問してくださる皆様、更新期が定まらなくてごめんなさい・・・

氷が融けてゆくように。。。

こころをうしなうと「人間」という器は成り立たない

まるで「人形」のような・・・ 

きみはわたしのそばで すごくせつなげな眼をしていたね

そのことに気づけなくて

だけどかすかに感じてたあたたかさ

そっと近づいて身を寄せる

どこかでいつも助けられてた

だからきみがいなくなってしまったとき 悔やまれてしかたなかった

ほんとはもっとそばにいたかったのに

・・・ひょっとしたら、きみがもたらしてくれたのかもしれないね

とっても大切なもの

人もさまざまな季節のなかで生きている

みえないけれど、きみはきっと

どこかで見つめてくれてるんだね

そのぬくもりに護られて想う

あなたが生まれてくれていてよかったと、いまならはっきりそういえる

素直でいたいから

・・・あなたは人付き合いをどう感じていますか?じぶんのことをどう思っていますか?

何を大切におもうかは、人によってちがうでしょう。・・・わたし?いっぱいあるけど・・・いまは、じぶんのこころがいちばんだいじかな。人付き合いは下手です。でも、関わりたくないと思っている訳ではないのです。あえて言うならたぶん・・・距離をはかるのが苦手なのかな。

広く浅く、のほうがいいのか、なまじ本音を語ると馬鹿だと笑われるのか。心地のいい集団のなかだけで過ごすのか・・・・・・感覚的に、生理的にどうしてもダメな相手もいる。けれどできるかぎりながくつながりをもちたいと、このごろは思います。

去年から公私にわたってじわっとダメージがきてました。お世話になった出版社が破産という事態になったため、流通が止まってしまい、動向を追っているところです。本は存在します。ですがどうながれるか定かではありません。関係各位は尽力してくださっていると思うのでこちらはこちらでやれることをやるまでです。・・・以前よりもへこみかたが少なくてすんでいるのは、「書く」というはたらきがからだでやれるから。

メールもブログもりっぱな表現手法です。・・・ただ、わたしはいまも基本は手紙です。筆記具を用いた手書きです。これがなかったら、息ができなくなる。文だけでも状態がわかるところもありますが、手で書いた文字はごまかしがききません。それは上手いかどうかではなく、こころがあらわれてしまう。・・・筆記具がもてなかった時期がありました。ことばが綴れなかったこともありました。いまも、おそろしいと感じるときがある。それでも、偽らずに書こうと、使ったことのなかった万年筆をもつようになりました。

学生のころ、テストの答案は最初に書いたものが正しいことが多いと聞きました。それと同様のことを、ある書家のかたがおっしゃっていました。・・・つまり、手紙に綴ることばもはじめに書いたものがより本心にちかい、と。もちろん、正直なだけがいいということではありません。でも、伝えたい想いがふかいのなら飾り立てる必要はない、そういうものではないでしょうか。

人はじぶんの寿命をしらない、また、しる必要もない。ならば生きているあいだにどのくらいのことができるのか・・・語ることなく、伝えることなく散った言葉がこれまでどれほどあっただろう?そう感じはじめたときに意を決して筆をとりました。地位も名声も肩書もない、ちっぽけな・・・だけど怒り・泣き・叫び、心から笑うことをしっている生身の人間です。だからこそ、書くことで伝えたかった。言葉だからこそ届けられる、そこに語られない真の想い・・・・・・

紙という媒体でなくても情報が飛び交い、秩序がなくなる、安易な発言が増えるという懸念はあるでしょう。ですが、そこに存在することでようやく実体を保てるという人もいるかもしれません。わたし自身、紙に書くことがいちばん落ち着くことに変わりありませんが、誰かがことばにふれることでこういう人間もいるのか・・・となんとなくでも思ってもらえたらとここへ来たのです。

決してきれいな人間ではないけれど、応援してくださるかたがいます。理解しようと歩み寄ってくださるかたがいます。みえないけれど、ここをたずねてくださるかたには深い感謝の念をいだいています。こたえられるかわかりませんが、全身全霊であらゆることをうけとめて、精いっぱい生きたい。ちいさな存在ですが、これからもお付き合いいただければ幸いです。

どれほど言葉にしてもあらわしきれない・・・そこが魔力であり魅力

ほんとうにありがとう

『僕のたからもの』・『君はそれ以上』著者  楪 蒼朋(ゆずりは そうほう)

泣き言はいわない

久しぶりに本屋さんに行きました。最近は行き当たりばったりで本を買うことは少なく、たいてい下調べをしてから行きます。・・・で、この日は気になる本を実際に見てどうするかを決めようとしたのですが・・・ほとんどが空振り。考えてる時間もけっこう長くてちょっぴり疲れましたが(笑)そういう時間も大切かなあと思ったりもします。

さて、せっかくここまで来たのだから・・・と大幅に(?)予定変更して、山本周五郎先生の本を探すことに。昔はどっちかといえば読むというより「見る」ものだったので、書いた人への興味はうすかったんですが、さすがにそのあたり変わりましたね。人となりを知りたい、ということもあり、エッセイや評論から入ることもふえました。

周五郎先生について書かれたものも何冊か見かけたのですが、どうもはいりにくい。そこで思い切って文庫のコーナーへ行くと、あった!・・・のは良いんですが冊数が・・・ありすぎて選べない(汗)とにかく入門書のつもりで読む。そう決めて手にしたのが『泣き言はいわない』(新潮文庫)。・・・表紙みたときにどきっとしました。なんだかひょっとして待たれてた?と感じてしまって・・・(私個人の事情による)

テーマ別に周五郎先生の作品から言葉を抜粋してあるのですが、これがなんとも・・・・・・心酔するかたが多いのもうなずける気がします。すでに読んでみたい作品はあります。ただ、長編のようなのでよほどちからをつけないと対峙できない・・・半端な気持ちでは取り組めないので。

たしかに泣き言はいわないほうがいい。でも、周五郎先生はそのこと自体をいけないといっているわけではないようです。どこまでも「人間」に寄り添って書き続けられたかたなんだろうか・・・と読みながらいろんな想いが交錯して。ほんのすこし、ふれただけの私ですらじんわりと伝わってくるものがある。こういうかたがいてくださって、作家として書いてのこしていただいて・・・もう、何といってよいかわからない。

しずかな結晶

例年、三月・四月は春ごよみといえど寒さがのこります。冬がすきな私ですが、いろんな想いが交錯しながらのこの時季は格別の感慨もあります。

子どものころには地域的に雪がめずらしかったですが、最近はわりと降りますね。・・・とはいえ、いまごろだとちらほら、くらいかなと思っていたら大粒の雪が。さすがにびっくりしました。あの独特のひんやりとした感触はそのせいだったんだな・・・

雪が積もる、という現象もよく考えると不思議です。てのひらにこぼれた雪はあっというまに消えてしまうから・・・・・・でも、服の上だとまれに結晶がきれいにみえますね。

・・・そんなときにふとおもう、“ことば”も結晶なんだって。あたりまえすぎてないがしろにしてると大変なことになる・・・

話ができなくなった、口がきけなくなったときからなおさら「書く」ことのこわさや重さを感じるようになりました。だから、“ことば”を大切にしているな、と感じるひとに出会うとうれしくなります。たくさんは語れないけど、心のよりどころになっている本のお話をすこし。

『光り降る音』・『天つ風の音』・『星月夜の音』・・・雅楽をベースにした三部作の絵本です。

絵を描かれているのが東儀秀樹さんなのですが、かんのゆうこさんの文もとてもすてきなのです。心におもっていて、うまくかたちにできないことをかんのさんが語ってくれているようで。・・・時折どうしようもないくらいに心が乱れてしまうことがあるのですが、こうした文を書かれるかたがいらっしゃると思うだけで次第にしずめられていく気がします。

“ことば”は大切な、たいせつなたからもの

Kaze Iro

風はみることはできず、心身で感じるもの

だから、いかようにも染められる

どう染めるかは、あなたしだい

わたしはかつて一枚の葉書によって命をここにつなぎとめられた

「貴方」はそのことを知らない、それでも「私」の人生は動き始めた

人の思うあなたの色と あなたが感じるじぶんの色は

ちがっているかもしれない

けれどきっと、両方ともあなた

悩んだり迷ったりしながら染めあげられてゆく

あなたは誰かの“風”になれる

そして誰かの“風”を受けとめることができる

あなたの存在を必要としているひとに気づいてほしい

あなたがほんとうに必要としている存在に気づいてほしい

時にじっとして、時にじたばたして

あなたを発見してみてほしい

どんな色にも変化できるちからを誰もがもっている

わたしも誰かのやわらかな風でありたい

・・・それがたぶん、じぶんのつとめ

*こころのうた* KinKi Kids『風の色』~アルバム“ファイ”収録曲

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