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2007年12月

~空の夢~ Hiromu

『 同じだと思っていた

 何処が 違っていたのだろう?

 ただ、生きたいと願っただけなのに

 争いなどしたくなかった

 どうして憎むのか

 共存が望めないのか

 わずかな可能性に懸けて、俺は 』

 “君はそれ以上” File ≪Another moon≫

椿の花

「日本」や「日本語」を意識するからなのか、タイトルにこれらが含まれる本ってよく見かけますね。うーん・・・ちょっと強調しすぎな気もしますが・・・本質的に関心が高まっているのであれば良いかもしれません。

私は時代劇が好きなもので、新聞広告で目を引いた本がありました。基本的に書店で現物を見てから購入するかどうか決めるので、書棚を探しました。・・・すると。おや~?という感じもありつつ、へええ~~に変わるまで数分。堅苦しさがあまりないつくりなのが良いのかな?おなじみのことばから、聞いた(見た)ことのないようなものまで。おかげで愉しみかたはふえそうです。

『使ってみたい武士の日本語』(草思社):時代小説のあたりに置いてありました。こういう本、読んでみたかったんだよね・・・本のうしろに椿の花(だと思う)がひそやかに描かれてるんです。好きなんですよ、椿。私の印象では時代小説や、日本的なものをあつかった本によくつかわれている(カバーデザイン)気がします。代表的なのは大きなものだとピンク系のものかな?たぶん、種類はいろいろだと思います。私がすきなのは小ぶりのヤブツバキ。・・・赤が美しいなあと。すっきりとして、きりっとした雰囲気が。白も、目立たないところに一輪、けなげに咲いているのをみると、なんだか胸がきゅっとしめつけられるようで。

そんな影響もあってか、『君はそれ以上~出会い』(新風舎)の表紙イメージは早くからあったんです。内容は時代ものではないけれど、物語に宿る“気”はそうした側面を指し示していた・・・・・・作中に“武士”という人物が生まれたのは偶然だったと思うんですが。

・・・きょうはクリスマスですね。特別な日ということで楽しんでらっしゃるかたもいるでしょう。いつも通りでいらっしゃるかた、複雑な心境でいらっしゃるかた・・・さまざまだと思います。位置づけがどうであれ、日々を大切に、どうか過ごしてください。いまこのときは、二度とやって来ません。そばにいるひとも、ずっといっしょということではありません。それほどかけがえのない、かぎられた時間なのです。

物語も手紙も日記も、そして“こころ日和”も、たいせつなひとを心に刻んで書いて(描いて)います。『僕のたからもの』も『君はそれ以上~出会い』も(プロフィール参照)私の財産(たから)であり、生命(いのち)です。

こちらを訪れてくださる皆様へ感謝をこめて・・・

ゆずりは より

★本日は、めったにやらないことをやらかしてしまいました・・・お店のおねーさん、たいそうお手数かけました(恥)・・・でも、災い転じて福っていうからね。実際、うれしいこともありました。そんなクリスマス★

2007年 *いちばんうれしかったこと*

初めての本、『僕のたからもの』(新風舎)の出版のときも落ち着かなくて、そわそわ、どきどき、いろんな想いが交錯してましたが、それと似たような感覚があったのは、ある劇団の旗揚げ。

話を聞いたのが春で、自分の誕生月がはいってたりしたからぼんやりと(・・・春眠 暁をおぼえず??)、いつになるのかなあ・・・と想い、心待ちにしてました。

夏に出現したその劇団、『演劇集団スプートニク』。・・・この名前を聞いたとき、私は“よっしゃ!!”・・・と内心ガッツポーズをとっていた、かも?(かけ声にはあまり意味なし)

いえ、理数系は得意じゃないんで物理やら化学やら地学(?)などはよく分からんのですが、一応関心はあるんです。科学方面、かな。記事でも取り上げられてたと思いますが、旧ソ連の打ち上げた人工衛星「スプートニク一号」、その打ち上げから50周年にあたってたんですね。漠然とだけど、劇団名きいたときそのことが浮かんでいました。

旗揚げ公演を秋におこなった演劇集団スプートニクのメンバーへ一言(・・・でおわんなかったらごめん)。~紹介かねて~

★川岡大次郎さん:ドラマでちょくちょく拝見してましたが、たしかデビュー作「タイム・リープ」の主題歌を緒方恵美さんが担当されてたと思う~当時、緒方さんのFC会員だった(笑)~ので、その方面から存じてました。 ★粟島瑞丸さん:なまえが古風だ・・・話をきくかぎり、座長とじゃれてる感じですが、実際のところはどうなんだろう??誰かに似てる気がしてる・・・ ★佐藤晴彦さん:現時点では何といいましょうか、謎・・・!?そこが魅力だったりして。「晴彦」という響きは良いなあと。 ★福沢重文さん:・・・キャラが面白そう。要所押さえてくれるんじゃないでしょうか? ★吉岡毅志さん:このかたが座長です。・・・座長かあ・・・かないませんぜ、旦那(笑)自分は洋楽は詳しくないですが、ジャンル問わず音楽ってのは国境関係ないですね。考えてみれば人のつながりも、おなじかもしれない。便宜上区分はあっても、心ひとつで境界は越えられるんじゃないかって。

近年、月の存在が気になり始め、“かぐや”の打ち上げがあり・・・そんなとき、スプートニクの旗揚げを知りました。私は、宇宙は天空にのみ存在するのではなく、人のなかにも、またあらゆる場処に存在すると思っています。読書と音楽と絵画はどれが最初だったか思い出せないけれど、そこに演劇が加わることによって、ぐっと世界が、私の宇宙が広がっている気がしています。演劇集団キャラメルボックス、成井豊さんの影響も大きいですが・・・たぶん・・・きっと、きっかけは座長だよ★

物理的にも精神的にも難儀なことが多いけれど、演劇集団スプートニクの応援、これからも精いっぱい続けようと思ってます。・・・ほんとうにうれしかった。ありがとう、謝謝!

♪BGM “Precious Junk”~『un-balanced』より Ken Hirai

楪 蒼朋 Yuzuriha Souhou

さわれない、けれど たしかなもの

偶然であれ必然であれ

何かが極度に接している、重なっていると

恐怖さえおぼえてしまうほど

それは畏怖といってもいいかもしれない

音楽や書物のなかに風景をみる、気配を感じる

何故か異なる性の持ち主の精神に

それらはおぼろげな、かたちのないものを具現化するように

知るはずもない私のなかに忍びこんでくる

気のせいだと打ち消してしまうことはたやすい

ただひとつ、はっきりしていることがある

この痛みは幻覚じゃなく、本物

私が男だったら、せかいはどう映った・・・?・・・でもね、男とか女とかじゃなく、私は私で良かったって思ってる。ちっぽけで、「あ~あ」ってあきれちゃうところたくさんあるけど、「あれ?」って意外な部分が垣間見えたり、自分じゃみえないところが人にはみえてたり。そして何より、大切なひとがいて“すきだなあ”って想いがある。仮に人からバカじゃないの!?っていわれても一向にかまわない。

せつなさとよろこびはいっしょにやってくるものなんだな、たぶん・・・

自分の命も、ほかの命も

車の免許は、学生時代から取りたいと考えてました。・・・ただ、運動神経にぶかったら、適性がないっていわれたら・・・そんな不安はありました。

結局のところ、学校勤務と赴任先が決まった時点で車がないと生活も仕事もままならないと言われ、仕事をおぼえるのにもばたばた、出張も多いなか周囲の人の支えもあり、夜間自動車学校に通って半年をかけて免許を取得しました。

車を運転する、ということがどういうものかを切実に感じたのはこの後です。交通機関が発達していない場所では車を使うしかありません。故に出たり入ったりの多い仕事では一日職場にとどまることのほうが珍しく、生活面でもお店が近所になかったため、車で移動して回るしかありませんでした。まさに車にどっぷり、という訳です。

運転には神経をつかいます。何故なら自分の命を、また周囲の人の(あるいは、ほかの生き物の)命をしょって走っているようなものだからです。道路には無数の車がいます。自転車やバイクも走行しています。それらの情報が一気に視界に入ってくるのです。

昨今、飲酒運転が問題になっています。もちろん、やってはならないことです。私が思うのは、飲酒がどう、というよりも普通に運転していても事故は起きるという現実がありながら集中力や判断力を低下させるであろうアルコールをとったからだでハンドルを握る、ということがとてつもなく怖いのです。それによって自身のみならず、誰かを死に至らしめる確率が上がるということを知らないはずはないのに。車は、凶器に変わるんです。

乗らないわけにはいかないので、私も事故にかかわったこともあるし、恐ろしい目にも遭いました。命拾いもしました。以前ほど長時間・長距離の運転はしていませんが、それでもかなりのエネルギーを消耗するのです。知らないうちに蓄積された疲労でからだもこころもぼろぼろになりました。いくら仕事や生活のためであってもそれで命が危険にさらされたらなんにもなりません。まして周囲の人の命まで巻き込むようなことがあってはならないのです。

命について、気になる本を見つけました。年が明けたらしずかに見つめてみようと思います。

このいのちはひとつきり まもるのは、あなたなのですよ

静寂のなかで

「子ぎつねヘレン」という作品(映画)をご存じですか?

ある日、少年は小さなきつねに出会います。のちに、そのきつねは聴覚も視覚も機能せず、声も出せない状態であることが判明します。そのおり、獣医さんのつぶやいた「まるでヘレン・ケラーだ」という言葉から“ヘレン”と名付けられた子ぎつね。そのときから少年とヘレンの、あらゆるものとの闘いが始まります。

作品としてわかるようにフィクションも盛り込まれていますが、実話がもとになっているそうです。原作とされている本は読めずにいますが、視えない、聴こえない、というだけでも世界はまったくちがったものに感じられると思うのに、複数の要素がからんでいるというのは想像がつきません。障害をもったら、日常生活が送れなくなったら生きていて幸せなのか?という問いを突きつけられる。その答え(らしきもの)はそれぞれでちがっているでしょう。でも、いのちは自分だけのものじゃない。簡単に導きだせるこたえなんてない。仮に、意識のうえで“死にたい”と思ったとしてもその裏側には“生きたい”という想いがどこかに存在していると思うのです。実際、私はそう感じていたのだろうと・・・(いまもそうなのかもしれない)

少年のように純粋な気持ちでいられるかはわからない。でも、ヘレンの必死さは理解できる気がしました。あたえられた命をまっとうしようとする・・・そのあたりまえな姿勢が、人間の社会では揺らいでいる。・・・以前は映画で泣くことなんてなかった。つくりごとはつくりごととして突き放して見ていた。人にとって現実であっても、私には現実味のないことが今も多くあります。だけどこの映画を観ているときはどうしようもなく涙があふれた。人目もはばからず泣きっぱなしだなんて、ありえることじゃなかった。それはもう、悲しいとか空しいとか、哀れさとか儚さとかを通り越してしまってました。あのとき私のなかにあったのは、大切なひとのそばで生きたいという願いだけだった・・・・・・

大地に水がしみこんで還ってゆく・・・・・・そうしたしずけさが、いまの私を支えています。

物語にでてくる人も生き物も、個性豊かな面々ですので、どこに感情移入するのかを観察してみてもいいかもしれません。クリスマスも近いですし、ご家族でも楽しめるかな?

西村由紀江さんの音楽も素敵です。ピアノがきらいになりかけていた心をそっとほどいてくれた・・・

幸福な空間

・・・感じたことを言葉にするって難しい。だけど、何か伝われば、と思って。ふだん何気なくやっていることがとても厄介なものになったとしたら、あるいはそれをかかえて生きている人はどんなふうに思うのか。

障害、という言葉を人はどうとらえているのでしょうか。私自身、その分野にくわしい訳ではないので、いま感じていることを話します。専門的にはわからないので、異論のあるかたはお許しください。

先天的なもの、後天的なもの、そしてそれは身体的、精神的、知的なものと多岐にわたります。・・・ですがここで確認しておきたいのは、症例としてはっきりしているもの、病名などがついている場合でも、一律な考え方はできないということ。発症のしかた、回復の過程、日常への影響・・・それは個々で異なっているのです。まして原因不明とされている、症例として認定されていないものを含めると、複雑な状況におかれている人もたくさんいるのではないでしょうか。

ひとつの事例としてとりあげられている本を一冊読んで・・・感情をどこまであらわせるかわからないけれど、どうしても何か書いておきたいと思ったから・・・題名は『ぼくには数字が風景に見える』(ダニエル・タメット 著 古屋美登里 訳)

すでに読んでらっしゃるかたがどう感じているかはわかりません。これから読むかたにはそれぞれの解釈があるでしょう。でも、そうでない人、もしくはそう思っている人からすればやはり障害がある、ということは異質、特殊だと感じることのほうが多いだろうと。

著者と私に共通点はありません。ですが、この本を手にしたのは自分を知る、あるいは世界(自分の周辺もしくは著者の目を通した)をみる糸口になると直感したからでした。そうして読み進むうち、具体的には言えませんがどこか自分の子ども時代、そしていまいだいている違和感のようなものと似たものが著者のなかにもあるような気がしたのです。・・・それはもしかしたら~症例としてどうかは不明~広い意味での障害、というもののなかに私も含まれているからかもしれません。

大量生産される機械ともクローンともちがう人間、だからもともと皆ちがうんですよね。その違いを認めることから始めないと一歩も進めない。すこしずつ、だけど変だと思われても平気、と感じられるようになってきました。まったくこわくないといえばウソになりますが、自分の本質にせまりつつあるのかも、と・・・

私のなかのもやもやをやわらげてくれた著者と、訳者の古屋さんに感謝!

言葉や想いがとても大切にされている本だと思います。もっといろんな話がしたいのだけど、かたちにするのがむずかしい・・・あとは、読んでいただけたら。

以前にはなかった独特の感触を、本のみならずいろんな場処でおぼえるようになったな

Christmas card

文具屋好きの習性で(!?)、きれいなカードや葉書、便せんなどがあるとふらっと立ち寄ってしまい、うーんと悩みながらどれかを購入(笑)

クリスマスカードも例外ではありません。シーズンになるとたくさん出ますよね・・・

ふつうが連絡まめではない(電話が苦手、メールもほとんどしない)ため、おわびだったり近況報告だったりをかねて、毎年何人かにカードを贈るようにしています。

相手にとっての自分の位置づけがどうであれ、私にとってそうしたい相手はたくさんいるわけではなく・・・だからこそ大切にしたい。そんな想いをこめながらカードを選ぶ、その時点からとても幸福なきもちになれます。そういうかたがいる、ということがすでに素敵なことなのだな、と。

聞くところによれば、クリスマスカードか年賀状か、どちらかで良いというお話ですが、たまに重複しちゃう場合も(笑)・・・ですがこのかたちは当分変わらないでしょう。ささいなことだけれど、ふだん会えないかた、会っているかた、どちらに対しても心からのおくりものと考えていますから。

それがいまの私にできる、唯一のことだから

皆様にとって、素敵なクリスマスでありますように・・・

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