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Loveとは、いのちそのもの

言葉なんておぼえるんじゃなかった、とは詩の一節だったでしょうか。

神話か聖書の関連だったか(記憶があいまいですみません)、国が分かたれてさまざまな言語が用いられるようになったのは人間のごう慢さに神が怒ったからだと聞いた気がします。言語が違うと通じないのは当たり前、と思いますよね。でも、同じ言語どうしで本当に伝わっていますか?伝えていますか?

違うと思えばどうすれば伝わるか、と考えます。工夫します。相手のこと、自分のこと、観察して知ろうとします。これは何も国籍がちがう、ということのみではありません。同族で言語がおなじでも、一人ひとりちがうのです。違う誰かになることはできないし、自分のすべてがわかるわけでもない。そのことをふだん、どのくらい意識するか。

同じ言葉でも声音や大きさ、表情や仕草などで伝わりかたは変わってきます。まして文面のやりとりだともっとむずかしい。そのわりに、言葉そのものに対する頓着がなさすぎるように感じるのです。結果、行き違いが生じて関係が切れてしまう・・・それでも構わないというのならいいでしょう。ただ、うわべだけ楽しいふりをするのならもったいないと思うのです。

人はどうしてもウソをつく。必要な嘘、やさしい嘘ならまだいい。けれど、人(自分自身も含めて)を傷つけるウソや不幸にするウソは減ってほしい、と思う。・・・これはどこかで聞いた話なのですが、手話というものには嘘がない気がする、と。きっと、伝えたい!!という懸命な気持ちが相手に響くのだと思います。自分とどのくらい真っ向から対していますか?必死になって誰かに想いを伝えようとしていますか?大切なひとのことをどのくらい真剣に考えていますか?

私もそのことについて語れるほど大人ではないかもしれません。・・・というより、未熟だから伸ばせる側面がのこっている。人生という旅の途中でいま想うこと・・・愛ってなんだろう?

形のないもの、故にいろんなかたち、が在るのでしょう。やさしかったりきびしかったり、かなしかったりやわらかかったり。そのみえないものはとっても厄介で、苦しみや痛みももたらすかもしれない。でも、それを乗り越えないとほんとうのよろこびはわからないんだろうな。

話せることがあたりまえだと思わずに、想いを伝える術を考えよう、言葉をたからもの、おくりものとして大切にしようと感じはじめたことは私に大きな変化をもたらしました。同時に、自分のなかの不変な部分、しずかに息づいているものにも気づきはじめています。

理由や根拠などは示せないけれど、私の感じる愛は生命そのものなのだろうと。動いて、話して、笑って、泣いて・・・そこにいることをたしかめられる。全身全霊で受けとめられる私でありたいと思わせる。

生涯修行を積まなくてはね・・・・・・

☆星の花工房の皆様、藤城清治事務所の皆様、荒木幸史さま、小川洋子さま、伊集院静さま、黛まどかさま、葉祥明さま、かんのゆうこさま、小椋佳さま、東儀秀樹さま、鈴木重子さま、西村由紀江さま、中島みゆきさま、成井豊さま、鴻上尚史さま、山下景子さま、堂本剛さま、堂本光一さま、吉岡毅志さま

誠に勝手ながら感謝の意を述べさせていただきます。皆様の存在が私の鍵(キー)になっています。有り難うございます!!

楪 蒼朋 Yuzuriha Souhou

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