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2007年11月

銀色 暗号

光を求めていた

けれどそれは、自分のなかにあると

強くて明るいだけが光なのではない

ほの暗くても発する

あざやかでない色も

優しくやわらかな光もある

金色は美しい 中心で輝きを放つもの

私はそれがみえる場処にいられれば

自身は銀色で 映える光ではなくても

ぼんやりと遠くにかすんでいるのだとしても

痛みは、いのちの証。生きようとするから傷つく、傷つける。

それでも人は容易に壊れない。壊れたと思ってもどこかで治癒しようとするちからがはたらいている。

壊れてもまだ、生きているから

ありのままの私でサインを送りつづける

*『銀色 暗号』 という KinKi Kids の曲を聴いたときによぎった想いを紡いだものです。彼らの曲は何故か、私の心情に深く斬りこんでくることが多い・・・・・・近年、特に。

流す涙はかなしみやさびしさだけじゃない もっとあたたかくてたいせつな、宝石

~海の蒼~ Souichi

『 俺は 誰なのだろう

  人と魔とのあいだに 何があったのか

  ありえぬことが起きた・・・・・・?

  何故あのひとは 俺をこの世に送り出した

  分からぬまま、生きる

  さして重くもない、誰も気づかぬこの生命を

  それでもまだ 捨てられずにいる 』

  “君はそれ以上” File 《Another moon》

モノクローム次元

色のない世界を考えたことがあるだろうか

黒、白、グレー・・・色彩分野では無彩色と呼ばれるもの

正確にいえば、あざやかではない、ということで、「ない」と言いきることはできない

私はこの空間が好きだ

カラーがあるのは美しい、けれどモノクロには独特の色調を感じる

かぎりない静寂はしばし時間(とき)を止める

そうしてやがておだやかな時を刻みはじめる

外界には色があふれている、氾濫している、そのなかで呼吸(いき)ができなくなる私がいる

・・・とけこめないのはいけないことなのだろうか

無彩色はあらゆるものを包みこむ色・・・

何ものにも染まらず、さりとて表立って主張せずともたしかな存在を放つ

「色」は、みるものに委ねられるのだ

如何ようにも変えられる

その「抜き」のしなやかさに私は惹かれている

Shape Of My Heart

原曲や曲がつくられた経緯、どんなかたが歌っているのかくわしい背景は知りません。・・・映画でつかわれたと聞いた記憶もありますが・・・

わたしがこの曲を聴いたのは、鈴木重子さんのLive。

重子さんのLiveではいつも感情の押し寄せてくる瞬間がある。どうしようもなくなって、途方に暮れる・・・・・・じぶんの生命を、Life という言語をまざまざと刻みつけられる、そんないたみ。だけど重子さんの音楽がふわっと包みこんでくれる、生きていてもいいんだよ、とささやきかける。

この曲を聴いて、訳詞をよんで・・・こころがふるえた。涙があふれてとまらなかった。会場では声を押し殺しているしかなかったけれど。

わたしがこころ日和を綴りはじめた六月に発売されたアルバム『LOVE』に収録されています。発売された日も、ちょっぴり切なさの残る日でした・・・

あなたのHeart は今、どんなかたちをしていますか?

雲のように ~霞石~

雲があるから空の青さが映える、と言った人がいる。・・・同感。

空の上から雲をみることがあると、すごくふしぎで神秘だと感じる。

雲ってなんだろう?

気象や天文には詳しくはないが、雲があると雷が発生したり、雨が降ったりするわけだ。つまり、もとの成分は水。そんなふうに、天と地とを行ったり来たりする。

さて、雲がかかる、という表現以外で“霞がかかる”とあらわすことがあるが、これは気象用語ではないらしい。もっとも、季語としてはおなじみだろう。この霞のついた鉱石があると知ったのは、ごく最近。図鑑によれば、ギリシャ語で雲の意味に由来することからこの名がついたようだ。

原宿のコスモスペースというお店で石を見せていただいた。他所できいた話でも稀少な石だということだった。・・・石には少なからず縁がある。だから魅せられるのかもしれない。

Loveとは、いのちそのもの

言葉なんておぼえるんじゃなかった、とは詩の一節だったでしょうか。

神話か聖書の関連だったか(記憶があいまいですみません)、国が分かたれてさまざまな言語が用いられるようになったのは人間のごう慢さに神が怒ったからだと聞いた気がします。言語が違うと通じないのは当たり前、と思いますよね。でも、同じ言語どうしで本当に伝わっていますか?伝えていますか?

違うと思えばどうすれば伝わるか、と考えます。工夫します。相手のこと、自分のこと、観察して知ろうとします。これは何も国籍がちがう、ということのみではありません。同族で言語がおなじでも、一人ひとりちがうのです。違う誰かになることはできないし、自分のすべてがわかるわけでもない。そのことをふだん、どのくらい意識するか。

同じ言葉でも声音や大きさ、表情や仕草などで伝わりかたは変わってきます。まして文面のやりとりだともっとむずかしい。そのわりに、言葉そのものに対する頓着がなさすぎるように感じるのです。結果、行き違いが生じて関係が切れてしまう・・・それでも構わないというのならいいでしょう。ただ、うわべだけ楽しいふりをするのならもったいないと思うのです。

人はどうしてもウソをつく。必要な嘘、やさしい嘘ならまだいい。けれど、人(自分自身も含めて)を傷つけるウソや不幸にするウソは減ってほしい、と思う。・・・これはどこかで聞いた話なのですが、手話というものには嘘がない気がする、と。きっと、伝えたい!!という懸命な気持ちが相手に響くのだと思います。自分とどのくらい真っ向から対していますか?必死になって誰かに想いを伝えようとしていますか?大切なひとのことをどのくらい真剣に考えていますか?

私もそのことについて語れるほど大人ではないかもしれません。・・・というより、未熟だから伸ばせる側面がのこっている。人生という旅の途中でいま想うこと・・・愛ってなんだろう?

形のないもの、故にいろんなかたち、が在るのでしょう。やさしかったりきびしかったり、かなしかったりやわらかかったり。そのみえないものはとっても厄介で、苦しみや痛みももたらすかもしれない。でも、それを乗り越えないとほんとうのよろこびはわからないんだろうな。

話せることがあたりまえだと思わずに、想いを伝える術を考えよう、言葉をたからもの、おくりものとして大切にしようと感じはじめたことは私に大きな変化をもたらしました。同時に、自分のなかの不変な部分、しずかに息づいているものにも気づきはじめています。

理由や根拠などは示せないけれど、私の感じる愛は生命そのものなのだろうと。動いて、話して、笑って、泣いて・・・そこにいることをたしかめられる。全身全霊で受けとめられる私でありたいと思わせる。

生涯修行を積まなくてはね・・・・・・

☆星の花工房の皆様、藤城清治事務所の皆様、荒木幸史さま、小川洋子さま、伊集院静さま、黛まどかさま、葉祥明さま、かんのゆうこさま、小椋佳さま、東儀秀樹さま、鈴木重子さま、西村由紀江さま、中島みゆきさま、成井豊さま、鴻上尚史さま、山下景子さま、堂本剛さま、堂本光一さま、吉岡毅志さま

誠に勝手ながら感謝の意を述べさせていただきます。皆様の存在が私の鍵(キー)になっています。有り難うございます!!

楪 蒼朋 Yuzuriha Souhou

霞町物語

読み終わってから書こうと思ったんですが、もうちょいかかりそうなんで(笑)

集中して読む、というより持ち歩いてぽつぽつ読む愉しみを優先したとはいえ、こんなにかかるとは・・・・・・

きっかけは雑誌の記事。街の紹介ページのようなところに西麻布周辺で昔、霞町と呼ばれていたところがある、と。その一文にこの『霞町物語』のことが書かれていた。早速、書店へ行って探しました。講談社文庫から出ております。・・・で、表紙もお気に入り。(特にマニアではないのだが)・・・何のことか知りたいかたはぜひ探してみてください(笑)

この本、浅田次郎さんの書かれたものなのですが、浅田さんの本は実は初めてでして。原作は読んでいないのですが、映画でいうと「鉄道員(ぽっぽや)」、「壬生義士伝」が好きでして。とにかく一冊は本を読んでみたい、と思っていたのです。テレビ番組でお話をされる浅田さんご本人もいいかただなあと感じていたので。

途中ですが充分、お人柄は伝わってきます。そして何故か、作中人物が自分とだぶってしまいます。まったく同じ体験ではないのだけど感覚的に通じるというか・・・登場人物は大半男性なのに(汗)ちょっと時代劇っぽい空気もあるからかな。

年代として誰もが通るであろうほろ苦さのようなものを感じますが、そうしたものは過去として消してしまうのではなく、失わずにもち続ける、引き連れて生きていくものかもしれないですね・・・

本といえば、以前お話をした『新訳 孤独』(アンソニー・ストー 著 創元社)はようやく読了しました。著名な作家や学者や研究者も生々しい人間なんだなあ・・・としみじみ感じておもしろさはありました。作品とか著書とかはばくぜんと知っていても、人となりはあまり・・・という場合が多いですが、人間側からはいってみるのもひとつの手かな?それがささいなことでほかとつながっている・・・ということもある。驚きや発見。これがあるから新鮮なんですね。

手ごわかったけど、選んでよかったな、と思う一冊でした。・・・さて、浅田さん同様、人物として素敵だなあと思いながら未読の作家さんがもうひとり。その話はまた別の機会に。

呼吸するように本を

「・・・あ、またあ~~!?」ということはこのところなかったのですが。いろんなペース配分考えるうえで、精神衛生上(?)許容範囲を超える本を置かないことにしていたのです。読みかけの何冊かを終えるまでは・・・と。しかしながらやっちゃったんですね、ええ(笑)

久しぶりにご近所の本屋さんに行って、買おうかどうしようかと思った本があったんです。後日、再び行きまして、その本はやめたんで帰ろうとした。そのときにふと目にはいった一冊の本。ページをめくって目次をみてちょっと驚きました。・・・自分が関心を寄せている事柄にふれていたから。最近、何かに出くわすときはいつもこんな感じです。

帯文をみるかぎり、各方面で話題になっているもののようです。気づいてなかったな・・・『ぼくには数字が風景に見える』(ダニエル・タメット 著 講談社)

ちょっぴり読みましたが、はやる心をおさえながらじっくりみていこうと思います。

読書週間などもある時期かな?でも、読まない人もいますよね。・・・私も読書家といえるほど読まないし、難しい本を知っているわけでもありません。ただ、本がすきです。役立てようと思って読むのじゃなく、すきだからふれる。手ざわりとかインクの匂いとか、活字のぬくもり。画集や写真集にしてもそうだけど、つくった人たちのこだわりが伝わってくる感じがすきなんです。職人やなあって。

読書っていうとすごく敷居が高いもののように感じることもあるかもしれませんが、どこからはいっても自由なんだって気がします。絵本、児童書、エッセイ・・・興味が向いたものからでかまわないと。そこから世界を広げるもよし、別方向に進むもよし。本から得るものは大きいと思うけど、そうじゃないことから得るものもたくさん。

まんがから学ぶこともあると思うのです。現実世界だとわざとらしい、とか青くさい、とかいわれるようなことでも説得力がある。本当はそんな風にありたいと思っていても、現実では浮いてしまうからできない人が多いだけなんじゃないかな。そのあたり、私は時代劇も共通してると感じます。

ある俳優さんが言ってらしたんです。“現代劇だと浮いてしまうような台詞のなかから真に大切な、忘れてしまっていることを思い出してほしい”・・・ほんとうにそうだと思いました。

本を読まなくても生きていくことはできるかもしれない。けれど本を読むことで実際には会えない人との話ができて、知らない世界がみえてくることもあるかもしれないよ。それにはすこし、根気や忍耐が必要になると思うけど。

人間嫌いかもしれないって怯えてた私が完全に心を閉ざさずにすんだのは本のおかげかもしれません。まんがもたくさん読みましたよ(笑)いろんな本を読んで、いろんなことに首突っ込んだおかげで面白がってもらえてるみたい。もちろん読んでてしんどいな~って思うときもあるし、やめちゃうこともある。・・・ほかのことにしても、そうです。はなっからうまくいかなくっても、途中で失敗しちゃってもいいんです。そこから何かつかめることもある。

いまは本がからだの一部みたいな感じかな?物事に対するときも、なんとなく力が抜けるようになってきました。・・・やっぱり本は、私からはずせないなあ。

あなたにとっての本が、どのような位置にあるかは分かりませんが、ふれることで違うなにかに気づくきっかけにはなる、かも??

カナシミ ブルー

ブルーが気になりはじめたのはいつだったろう?

KinKi Kidsの曲ですが、シングル・アルバムどちらも持たないわたしがこの曲を知ったのはDVD。めったに購入しない、しかも音楽関連は初めてだったと思うのです。たまたまそれに入っていたショートストーリー(『鏡の中の六月』だったかな?)を観たかったせいもあったけれど。映像といっしょに流れる曲を聴きながら、じぶんが水の中に融けこんでいくような恐さと惑い、そして心地よさをどこかで感じていました。

あなたがブルーに対していだく印象はどんなものでしょう?

子どものころは、赤と対の青、という括りで単独の色としてのブルーはあまり意識しませんでした。・・・じぶんには似合わない、という気持ちもあったでしょう。好きな色、というのとも微妙に異なる・・・ただ、気になってしかたない。精神面の変化が押し寄せてきているのかもしれませんが、そのころから紫にも特殊な反応を示すようになってきているのです。

わたしの筆名をご存じのかたがいらっしゃるか分かりませんが、“楪 蒼朋”と書いて“ゆずりは そうほう”と読みます。筆名をつけるに至った事情はさまざまですが、何故このなまえだったのか・・・・・・

ブルーは色調や色相などで細かく分けていくとたくさんの種類や呼び名があります。グリーンと重なる部分も。文字にするにもいろいろですね。

かなしみ、を表記するなら「哀」かな?より情感ゆたかな雰囲気なのと、「愛」に通じるようにおもうので。「哀し」は「愛し」につながる・・・そう考えるとこの曲の響きが変わってくるかもしれません。

♪色彩(いろ)でなごむ:『プチすいぼく』(小林東雲 廣済堂出版)、『荒木幸史画集』(コスモスファンタジー発行)、『Blue Sky』・『Blue Ocean』(ともに作品社 葉 祥明)

♪My Book:『僕のたからもの』(二〇〇四年六月)、『君はそれ以上~出会い』(二〇〇五年八月)ともに新風舎より

高校生くらいのとき、ばくぜんとあった想いがこうしたかたちで結晶になるとはおもわなかったな・・・・・・作文きらいだから流れるような文章ってなかなか書けないし。『僕のたからもの』原案は心身ずたぼろで書いてたし、『君はそれ以上』も泣きながら書いてました。ただただ大切なひとに伝えられる言葉はこれが最期かもしれない、という想いだけで。そのくらいあやうい状態でした。

かけがえのない友人、先輩、恩師、師匠、同胞、同志に支えられてここまで。転ぶ回数多い分だけすこしずつ免疫力はついてると思いますが、頼りなげなわたしを受け入れてくれるひとたちがいるのだからじぶんのことを信じてもいいのかな、と。そうやってゆらぎながら一歩ずつ、積み重ねていきたいです、これからも。

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