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2007年10月

すこし眠りたい・・・

家庭や仕事であわただしく過ごしていることで充実していることは素敵だな、と思います。

社会的にみれば、わたしはそのどちらでもないかもしれない。こぼれ落ちてしまったちっぽけな存在。消えてしまっても、誰かがこまることはないでしょう。

でも、ここにこうしている、ということは小さいながらも“何か”になっている、ということなのかな?

明るい場処と暗い場処をいったりきたりしながら少しずつ、たいせつなものに気づいたり、大切にしたいことをやってきました。世界がどんどん加速していって息が切れてしまいそうになることがある。だけどそのことでじぶんを責める必要はない。みんながおなじに進んでいるわけではないのだから。

この10年、大きくみればさほど変わったとは思えないけれど、わたしのなかでは変革期にあたっていたと感じます。とくにこの5年くらいの間は、それまでの時間とくらべものにならないくらい加速していたと実感します。じぶんのやっていることが絶対に正しいとまではいわなくても心のうごきに素直に向き合った成果だから、まちがっていたとはおもわない。そうしてこれからも進んでいくのだろうと。

意識はいつもどこかへ飛んでいます。それは特殊なことでなく、じぶんにとって貴重な波動をチャッチするため。・・・ただ、人にはからだという器がある。これを無視することは危険なので、リズムやテンポをつけながら歩いていくことが課題かな。時折、からだが動かなくなっていったときの感触が襲ってくる・・・もうあんな恐怖はおぼえたくはないから。

眠っているのに、寝不足ではないはずなのに違和感があるというのは、からだのサインかもしれません。完全に眠ってしまうわけではない、けれどたくさんのことはできないかもしれない。いろんなひとからもらってばかりでお返しはほとんどできていなくて・・・分かち合えるものがなくて、ほんとうにごめんなさい。

だけどわたしはあなたのそばで生きていたいから

孤独と不安のレッスン

人間の記憶というのはかなりあいまいな部分が多い。・・・というのも、正しく記憶されていないこともあれば、そうだと思っていることがほかと照らすと矛盾が生じたりするからだ。そうして無意識に、自分をまもる機能が働いていることもある。だから生きられるのかもしれない。

はっきりとしたものではないのに、感覚的にこの体験がある、とかあれっという感じとかが生じることはないだろうか。私は大きなものではないが、ひんぱんにある、という気がしている。・・・そのひとつ。

「解夏」という映画を観たときのこと。(原作はさだまさし氏)あるシーンに出ていた人のことが妙に引っかかっていた。おぼろげながらえーとえーとあの人!・・・と思い当たったのが鴻上尚史さん。(ちがっていたらすみません)・・・しかしながら、当時の私には鴻上さんとの接点はまったく思いつかず、どこかでみたのか??と問いかけてみても認識はなかった。そもそも私は人の顔をおぼえるのが苦手である。なのに何故だ?

ハテナだらけでありながら、その後も鴻上さんがらみの出来事が続出していたのだが、どうやらこの人の書かれるお芝居や本に、少なからず共鳴しているのだということに気づく。これもはっきりしたことはいえないのだが。・・・横たわっている何かが、ある。

そんなときに書店で発見したのが鴻上さんの『孤独と不安のレッスン』(大和書房)である。

役者を志す人や業界の人であれば鴻上さんの書かれた本はたいてい知っているだろう。けれど私はその関連ではない。・・・ただ、舞台というのは生身の人間がむきだしになる場だとこのごろ痛切に感じているひとりの人間である。つくりごとでありながらリアルがある、と言ってもいい。日常のなかではひたすら摩擦が起きぬよう神経をすりへらしながら生活せざるをえない、でもそれってホントに生きてるっていえるのか?・・・という疑問が大きくなりだしたころその世界に反応したのではないだろうか。

友だちや仲間は多くはなかった、それはいまも変わらないけれど孤立していたわけでもないし、誰かがいてくれた。孤独主義者でもない。無論、そのことで苦しんだこともあったし悩みもつきることはない。ただ、それは異常なこと、特殊なことではないと、この本では伝えてもらった。時折、ある種の誘惑にとらわれることがある。不安定なのはいまのほうが強いかもしれないが・・・不思議と以前にはなかった静けさも自分のなかにもたらされているように感じる。

実はついこの間、ホンモノの(つまり生の)鴻上さんにお目にかかる機会があった。といってもイベントの聴衆としてではあるが。このときあらためて“必要なものは必要なときにあらわれる”ということばを実感した。それから・・・自分がいい、好きだと感じたきもちを信じよう、と・・・

未熟だから、まだやれることがある。一生をかけてまもりたいものに気づくとき、人は自らのいのちのかがやきを知るのかもしれません。

月に行こうか、火星に行くか

台風の影響でしょうか、天気が変です。今朝は雨がどばっと降っていて・・・そのうち晴れてきたようですが。体育会シーズンですね。ご近所では中止になったところがあったもよう・・・

夏から月探査機“かぐや”のことが気になり、新聞や雑誌などの記事もちらほら見ていたのですが。・・・宇宙開発というと筆頭はアメリカ、なんだろうか・・・無論、国の規模もちがうからね。あとはロシアとか中国とか・・・まあ、未知のものを探査することでいろんなことが解明されるのはいいことでもあるのだけど、むずかしい問題もはらんでいそうだな。

やはり地球からの距離のせいか、月や火星の話がよく出ますね、その方面。何気なく読んでた宇宙開発がらみの記事に旧ソ連の「スプートニク1号」のことが書かれていました。1957年の10月ってーと半世紀前か?生まれてないやん・・・・・・親世代が若者だったころ。想像でけんがどうやったんやろ??

宇宙旅行が現実のものとして語られるのも時間の問題?・・・そんなたいそうなことじゃなくてもいいけど、地上をバイクで疾走する感覚で宇宙空間横切れたら面白いだろうな。

まさかとは思ったけど、『月に行こうか、火星に行くか』は本のタイトルです。まだ現物は確認してませんが・・・つけたのはだれでしょう???読むかどうか決めてないですが、タイトルはすごい、と。あくまでも個人的感覚。

・・・あっ、そろそろ寝ないとやばいな、ドクターストップかかる前に

ついに映画化!?

テレビ自体あまり観ないので、ドラマも関心がうすいのですが、わりと長く観ているもののひとつに「相棒」があります。刑事ドラマ、といえばそうなのだけど銃撃戦があるでも派手な演出があるでもなく、淡々と話はすすんでいく。どちらかといえば心理面を重視している(ただしプロファイリングのようなものではない)作品のような気がします。事件や犯罪そのものよりそれによって生じる人間の言動を細かく追っている。犯人、関係者、警察、それぞれに視点を置いて。

もうじき新しいシリーズが始まるので楽しみなんですが、先日CMで2008年春映画化、という文字を見た気が・・・あ、やっぱり??って感じもなきにしもあらず、ですけど。ずいぶん続いてるし。

しかし一話完結式のドラマでやるのと映画の映像は別物だから、ちょっとちがうものとみたほうがいいのかな・・・嬉しいですが、複雑な気分も。映画だったらどんなつくりになるんだろう?

個性的な面々がそろってますが、右京さんと薫ちゃん(この人たちが“相棒”)とどっちが自分に近いかを考えると、理屈っぽい側面は右京さんと共通(かなり変わってるし)してそうですが、あそこまで博識ではないし、まわりを気にせず本音をびしっと、は恐ろしくてできないので(笑)でも、いやみな人ではありません、ときどきひそかに(?)面白いし。・・・だから個性的な人とウマが合うのか??それに、なんだかんだ言いつつ、薫ちゃんとは見事な連携プレーをみせてくれます。・・・相手が薫ちゃんじゃなかったら相棒はつとまらない!?それ考えると薫ちゃんってすげーなあって。一見、お調子者っぽい感じだけど人間的というかすっごいお人好しなんですね。右京さんと正反対の位置にいながらどこか良さが分かってる。そういう間柄っていいな。

女性人口少ないですが(笑)、ふたりがいれば充分!!ってくらい存在感たっぷりの女性陣。右京さんって結婚してたのか!?・・・と周囲がびびるくらいだからホント、別れたとはいえお料理上手なたまきさんは偉大・・・おまけにお店をやりながら右京さんとの良い関係は続いているという・・・・・・なんとなく“おかあさん”みたいな雰囲気をもってらっしゃる。それから晴れて薫ちゃんの細君となった美和子さん。とっても気がつよい女性だけど、記者さんってそんぐらいないとむずかしいよね。けど、かわいらしいところもあるんです。薫ちゃんにがみがみいってるときも愛情は根っこにあるというか。同棲期間が長くて別れてしまったりもしたけれど、お互いちゃんと想い合ってたんだよね。全然関係ないけど入籍したってきいたときは喜んでしまいました・・・・・・そんなおふたりとはまったく異なるタイプの私。もちろん、たかめる努力はしますが背伸びをしすぎず素直でいられたら・・・大切なひとのことを理解しようとする姿勢はもっていたいと思ってます。目下修行中・・・

よほどのことがないかぎり、映画も観るでしょう(笑)

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