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2007年8月

命をありがとう~いま、伝えたいこと

人気者でも、可愛いわけでも、明るくもない人間がこうしてここにいる。

誰でもいつかはこの世からいなくなります。けれど、戦争があるわけでもないのにここでは年間多くの人が命を落としていく。病気でも事故でも災害でもない理由で

つらくて、くるしくてたまらないことはいっぱい。そういうことほど相談できなかったり、話せなかったり。・・・私も、いつボーダーラインをこえて向こう側へいってしまうかわからない。そのことに怯える日もあります。ただ、意識や理性がなくなるさいごの瞬間まで精いっぱい生きられたら

かなり早くから、ここにいてもどこか浮いている自分を感じてた。それがたまらなく嫌だった日々もある。消してしまいたい・・・そのことばかり考えていた時期もありました。でも、ここにいる・・・振り返るといつも“護られている”気配はあったんです。

気づきがはじまったのは十年くらい前から・・・すきなひとに逢えたのも苦しい期間を経たのちで、黛まどかさんの『ここにあなたのいる不思議』で本の世界に戻り、荒木幸史さんのコスモスの絵に宇宙を感じた。そうして藤城清治さんの影絵の世界に人生を重ね、いわさきちひろさんの絵がそっと・・・私を包んでくれた、“おかえりなさい”と語りかけるように

涙もろくなったのは年令だけのせいじゃない。心身ぎりぎりの状態で出会った新風舎のかたは、ふつうは話すことのできない私からごく自然に言葉を引きだしてくれました。当時はからだを動かすのも難儀で、声をだすことも困難だった・・・そこからメールや手紙、原稿などによる格闘がはじまったのです。そのかたからのさいごの電話の直後、私ははじめて泣いたのです、説明がつかないほどあらゆるものがあふれてきて・・・きっと相手のかたの想いが自分のなかにはいってきた、私のなかで何かがほどけはじめる合図だったのだと

みえるもの、みえないものからもらったいのち、生かされているいのち

あらゆるものにありがとう、そして・・・・・・私の奥深くで闘い続ける“わたし”のいのち、こころ、魂への感謝をこめて

かすみ草 “ひそやかに・・・”

しばらく前に、とある洋服やさんでお花の種をいただいたのです。そのなかに、かすみ草の種もあって・・・・・・

メモ書きに、英名“Babys-Breath”とあって、へえ~そうなんだ?と。「赤ちゃんの吐息」・・・なんとなく、わかりますね。白くてちっちゃな花なのでどちらかといえば地味なのですが、私は大好きです。ほかの花と組み合わせると、映えるでしょ?代表的なのは赤いばらとの組み合わせかな・・・こうしたバランスって、人のなかでも必要になってきますね。

白が一般的ですが、ピンク系もしくは赤系の色もあると思います。かたちも微妙に品種でちがってたような・・・かすみ草だけで束にしたもの、アレンジしたものも人気だときいたことがあります。メモの続き・・・精神を安定させる効果があり、「霞」のようにさわやかで、やさしい雰囲気の人気のあるお花・・・だから、みてると落ち着くのかな。

2005年のきょうが『君はそれ以上~出会い』(新風舎)の発行日です。原稿を書いていたのは最初の本『僕のたからもの』の制作中・・・事情があって、最も近くにいる人に出版のことを話せなかったことがつらかった。でも、ほんとうは私にもわからなかったんです。どうしてそんなにしてまで書きたいのか、創りたいのか、いまここにある想いはいったい何なのか・・・自分の意志であってそうではない、別のみえないおおきな“意思”に動かされている感じなのです。それをやることでかろうじて呼吸している・・・・・・

自己との、原稿との、あるいは編集者との格闘から生み出された物語・・・その闘いはいまなお続いている。・・・手にする機会あらば、心して読んでほしい。真剣を交えるくらいの気合で。(格闘技や剣術はやっていなくても、心意気はあります)

なお、無意識ながら作品世界に小椋佳さんの曲がいくばくか影響しているように感じます。実際に“君はそれ以上”という曲もあります。コンサートへの参加はまだ一度きりですが、ほんとうに素敵なかたです。書き始めた頃に聴いた曲がきっかけでツアーを知り・・・会場で泣きながら、その後『君はそれ以上~出会い』というかたちになりました。

小椋さんのアルバム『デジャ ヴ~地中海の瞑想~』とあわせてご覧いただけたらと切に祈っています。

この物語は、敬愛するかたへのメッセージなのかもしれない・・・・・・

まいずつかさ?

“米寿司”って書いてふつう人名だとは思わんよなあ・・・ま、そりゃともかく。

宣伝みて「ん?」と引っかかって深夜ドラマ「スシ王子!」を観ております。(とはいえ、夜更かし御法度の身ゆえ、録画したものを観る→つまり、時差は生じるのですが)・・・堂本光一さん経由(?)ですが、出演者個性派ぞろいっすね~~、びっくり。タイトルからしてノリはなんとなく分かったんですけど、たまにゃーこーゆーのもいいなあと。力みすぎててふにゃっとしたいかたにはいいかも??・・・観てるぶんには「ほっほっほ~」な感じ・・・山下真司さんは前に光一さんと共演してたよね・・・「太陽にほえろ!」のころは想像しなかったけど、けっこうごっついおっさん(失礼、敬意をもって表してます)になりましたな。しかしながらギャグも似合う(笑)篠井英介さん出てらっしゃるのがうれしい・・・このかた、きれいなのに面白いんですよ~、だから好きなんですけど。

いろんな面で楽しめる作品だと思いますが・・・よくよくきいてると、言葉は深かったりもします。司(主人公)のお父さんや、師匠、兄弟子・・・これからまだいろいろあるでしょうけど。司みてると自分に照らして考えちゃうんですね、未熟だから。彼の“強くなりたい”とはたぶん、すこし事情がちがうと思うのだけど。

夏木陽介さんはお年を召してもかっちょええ~~~(ためいき)

・・・そういえばこの話、名前に“月”の字がつく人、ちょこちょこいますが何か意味があるんでしょか???

余談:夏の甲子園、佐賀の学校が優勝したんですね。九州人としてはなんだか嬉しかったです。

Sunstone

立秋すぎて、お盆も・・・・・・まだまだ暑い夏ですが、きこえる蝉の声が変わってきてはいませんか?

太陽の光がもっともつよく感じられる季節、この鉱石(いし)も、そんなエネルギーを宿しているようです。和名だと月長石に対して日長石かな?ムーンストーンに種類があるように、サンストーンも多種多様なようです。代表的なものは、光沢のあるオレンジ色。形状によっても色彩は変わる(たいていの石は、原石ではあまり色がでていないように感じる・・・そこも、魅力)ので、印象はちがうかも?もともと、ムーンストーンは知っていても、対極にほんとうにサンストーンがあるって知らなかったんです。だから何年か前に調べ始めたときは取り扱ってるお店がなくってかなしかった・・・(涙)

本のひろい読み、知人の話、もろもろから解釈すると、冒険、挑戦といったキーワードが浮かんでくる・・・人生の転換期にもっていると良いのかな?・・・同時に、心身にうけた傷をなおす、といったちからも含んでいるようです。この石に惹かれはじめたころ、ちょうどそんな心境だったのかもしれません・・・・・・

ことしは久しぶりに花火をしました。ちっちゃなものでしたけど・・・線香花火はいまでも大好きです。祖父母や、若くして亡くなったおじ、おば、姉の御霊の送り火になっていたらな。

さて、きょうは旧暦の七夕。この宇宙(そら)の下で、どんな願いや祈りが捧げられるのでしょうか・・・

祈りの花~サンダーソニア

写真が最初だったか、実物だったか忘れましたが、花のかたちがとっても変わっていて可愛らしかったのです。当時はめずらしい花だったらしく、お花やさんでもあまり見かけなかった。かろうじて名前が分かったのは華道をやっている母のおかげでした。

いまでこそテレビでも見かけるようになりましたけど、やはりはじめは価格が高いほうだったと思うので、数を多くは頼みづらかったですね・・・現在の市場価格は把握してませんが、出回るようにはなっているかも?先日、ご近所のスーパーの生花コーナーで発見したときには時代の変遷を感じました(笑)

花には、花言葉ってありますよね?このお花がきっかけでちょこちょこお世話になっているお花やさんのサイトによれば、サンダーソニアの花言葉のなかに“祈り”というのがあるようなのです。もちろん、ほかの説もあるだろうし、ちがう花にこの意味をもつものもあると思います。・・・ですが、私はこの花にぴったりな言葉だと、感じました。

花そのものは大きくはないし、華やかというのもちがう。でも、ふんわりとしたあたたかさ、やさしさが伝わってくるのです。色は、イエローとオレンジのまんなかのような、つよすぎない色彩、そして、ちっちゃなあかりがぽうっと灯ったような花・・・チャイニーズランタンの異名も、納得。

この花にはすこしだけ、苦い思い出があるけれど、いまは・・・私にとって幸福の、祈りの花になっています。

過日、河合隼雄さんと阿久悠さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。

命といふもの

みるものすべてが無にひとしい空間で、わたしは一人になりたかった

誰とも話さず、会わず、何もみず、きかず、ただひたすら眠りたかった

人にはそんなときが必要だ。あらゆるものから隔絶される時間が

そうしなければ守れない、誰かの意に操られる人形になってしまう、そうしていつしか抹消されてしまう

人は誰かのために生きているのではない

誰かのために生きることがあるとしたら、それはおのれを取り戻し、知るときである

わたしの命、あなたの命

たったひとつのいのちだから

そのいのちをまもるために、わたしは綴るのかもしれない

Moldavite

この石を初めてみたとき、どきっとするものがありました。説明文には宇宙からの石、隕石といったことも書かれていましたがたぶん、それだけではなかったと思う・・・・・・

まあ隕石かどうかは別として、色が独特なんです。グリーン系にはちがいないのですが・・・複雑な“みどり”。聞くところによると“ファンタジー・エメラルド”の異名でも呼ばれるとか。でも私、エメラルド本体にはあまり関心ないのです。おなじグリーン系の石なら、ひすいは好きですが・・・

以前よりは見かけるようになりましたが、このモルダバイト、稀少な石であることはたしかなので、それなりの価格は提示されます。つまり、個体が大きくなるほど、またアクセサリー加工が施されるほど高くなるわけで。石屋さんで見るだけでもけっこう楽しいです、私は。

どこか幻惑的な(?)色合いに惹かれて『僕のたからもの』ではサブタイトルに登場してます。何かの予兆のような雰囲気・・・

自然にとけこむ意識を感じ始めたころから鉱石に惹かれるようになり、『君はそれ以上~出会い』(同じく新風舎より)のなかでも鉱石名がでています。考えようによっては、人も鉱石であり、星であり、花なのかもしれませんね。

本日はたしか、ギター奏者の荘村清志さんの最新ベストアルバムの発売日じゃなかったかな?今度、リサイタルに行く予定なのですごく楽しみです。

文章にもリズムがあり、韻をふむ、といったことがあります。だからそこから音色がきこえてきそうな文章が書けたら(描けたら)いいな。

鉱石も、耳を澄ますと宇宙の、そして地球の息吹や鼓動(音色)がきこえてくるかもしれません。

心に咲いている・・・

ひまわりは、大好きな花で切なさをもたらす花

いつからそうだったんだろう?

ともだちが、ひまわりにまつわる昔話を教えてくれた、それはとてもかなしかった

それでもわたしは太陽にむかって花を咲かせたい

あなたがいてくれて、わたしはうれしかったから

~『僕のたからもの』(新風舎)発行・三周年によせて

異界への入り口

ふつうとそうでないこと、日常と非日常の境界ってどこにあるんだろう?

たとえば、視る・聴く・話す、ができる場合、それは特別なことではないと思っている。けれど、五感になにかの障害が発生したならばそれは直ちに当然のことではなくなる。また、戦争や紛争の渦中にある地域ではそれが日常である。

時の流れのなかで、物事や人々は変化せざるをえないのかもしれない。そうであるならば、境界も常に変わる、あいまいなものであると思うのだけれど。

世の中には白黒つけられないことのほうが多い。そうでなければ生きてはゆけない。そもそも、絶対ということは、ないに等しいのではないだろうか。・・・もちろん、論議することは大事だし、いろんな説があっていい。でも、このごろ感じるのはなんでもかんでも二極化したがっている、もしくはやたらに区別をつけたがっている人が氾濫していること。勝ち負け、損得、明るいか暗いか、前向きか後ろ向きか・・・そうしたものだけで類型化できるなら、人間はごく少数しか必要ないことになる。それって変だよ、プログラムされたロボットじゃないんだから。

自分のこと、どのくらいわかってますか?知ろうとしてますか?・・・みえてないこと、たくさんあるんだよ。「自分」があるのは「他者」がいるからなんです。ひとりじゃなんにもみえてこない。私もたぶん、ほとんどわかっていません。ちょっとずつわかりかけてきたのかな?というところ。ずいぶんながいこと、みんなとちがう場処にまよいこんでる気がします。はじめはすごくこわかった。だけど、ひょっとしたらおなじようなひともいるかもしれない、いなくても、おなじじゃなくていい、そう感じはじめたとき少し気持ちがやわらいだ。そうすることで、他者を知りたい、わかりたいと感じて泣く自分を知りました。

みえない障害があるとしても、それはきっと私へのおくりものなんだな、といまは思ってます。どんなにしんどくてもそのおかげで私はこころをなくさずにすんだのだから・・・

あしたのことはわからない。でも、その扉をあける勇気をわすれずにいたい。

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